見出し画像

元講師が打ち明ける「歌手やシンガーソングライターを夢見る君へ」:素人について

若い時に教えてもらった言葉が財産に


私が10代の頃、師匠にふと言われた一言。

いいか、ライブの後で、音楽に詳しくない素人のお客さんが「うまく言えないけど、なんとなくよかったなあ」と思って帰るのがいい演奏なんだぞ。


これを若いうちに教えてもらって、本当によかったと思っている。
まさに、かけがえのない財産だ。


こういう言葉は、自分が間違った方向に行かないように助けてくれる。

人が危うくなるのは、ピンチのときではなく、うまくいっている時だ。

そういう時に「思い上がり」が出てきて、道を踏み外す。


最初の「音楽に詳しくない素人のお客さんが「うまく言えないけど、なんとなくよかったなあ」と思って帰るのがいい演奏」という言葉は、

自分さえ初心を忘れ切っていなければ、

調子がいい時の自分の思い上がりを防いでくれる可能性がある。


今回のテーマについて心から実感できるのは、どちらかというとプロというか、ある程度いい歌が歌えるようになった人にはなると思う。


でも、歌手やシンガーソングライターを目指す君が、たとえ力不足でも、経験が乏しくても、早いうちに伝える価値のあるテーマだと思う。


今回の記事のテーマは「素人」だ。


素人の大切さ

唐突だけど、君は素人?

それとももう何かしらの音楽の仕事をしている?

今回で扱う記事の「素人」というのは君のことではない。
君の音楽を聴く相手のことだ。

この記事での素人は、「音楽に対しての素人」という意味になる。

もちろん、大人も子ども、性別もいろいろな人たちを指しているし、
別の仕事をしている、つまり別の分野でのプロも対象になる。

素人は我々音楽を送る側にとって、とても大切な存在だ。

なぜなら、プロが音楽を売る主な相手は素人、つまり一般の人々だからだ。


歌でも楽器でも、いかに自分が世界一の技術を持っていようが、お金がなければ飯は食えない。

飯が食えなければ数日で死ぬ。

音楽を仕事にする者は、一般の人々がお金を支払ってくれるからこそ、生きていけるのだ。

また、音楽をしている人の数よりも、
音楽に詳しくない素人の人のほうが何十倍も多い。


多くの一般の素人の皆さんに音楽を楽しんでもらえているということは、
社会が明るく良くなるということ
でもある。


だから、自分の音楽を聴いた「音楽に詳しくない素人」が、
それをどう思うのか
は、最重要で大切なことなのだ。


立場のある人からの評価の有効度は50%未満

君は自分の音楽の良し悪しについて評価を受けたことはあるだろうか。

例えば、音楽の先生にレッスンをしてもらっている場合、
歌うごとに何かしらの評価を受けるだろう。

もちろん、多くの場合、それは君にとって一定の割合で有益にはなる。

また、何かの機会で、プロミュージシャンに自分の歌を聴いてもらうとか、オーディションで聴いてもらうということもあるだろう。

ただ、そういう専門家の評価というのは、
常に全幅の信頼をおいていいものとは限らない。

なぜか。それは、音楽のプロには「立場」があるからだ。

講師で言えば、在籍数は自分の収入とも言えるので、
生徒を辞めさせるわけにはいかない。

だから、基本的に厳しいことは言えないというか、なかなか本音は言えないのだ。

また、プロミュージシャンだって、

相手がいつか自分と仕事するようになるかもしれない、とか、

いつか自分に仕事を紹介してくれるかもしれない、という思いは、

少しだけかもしれないが絶対にある。

だからやっぱり、基本的には厳しいことは言えないのだ。


また、一部のプロは「専門バカ」になっている場合があり、
耳がもう自分の仕事や重視している基準に特化している場合もある。

そうなるともはや一般の人の感性を想像できなくなっているので、
的外れになってしまう。

むしろ、「専門バカ」からは評価を聴いたりアドバイスを受けたりしてはいけないパターンだ。

ちなみに「専門バカ」というのは私の造語だ。

そういう用語があるのではない。

「専門バカ」についてはこの記事の後ほどで説明しよう。


「専門バカ」までいかなくなくても、
プロの聴く基準というのは素人とは変わってくる。

もちろん、耳を切り替えられるプロもいる。
歌い手の耳、作曲家の耳、ミキサーの耳、素人の耳のように。

歌って作曲して編曲もするようなプロの場合、作業工程ごとに耳を切り替えないとやっていけないので、自然とそれができる。

でもやっぱりプロからの意見はプロの視点なので、ある程度は参考にできるけど、素人が「なんとなくよかったなあ」と思う現象とは、あまり関係がないのだ。


アドバイスは半分聞くのでちょうどよい


話がちょっとそれるが、だいたい、どんな人の考えや意見も何かが正しく、何かが間違っているのだ。

その人が、どれほど大物であろうと。

もちろん私も人間なのだから、この記事だって何かは正しいし何かは間違っている。

だからこの世のアドバイスというものは、自分に参考になる部分をチョイスしてMAXでも半分聞けば十分なのだ。


ミュージシャンと聴衆は対等

オリンピック、スポーツのワールドカップ、甲子園・・・そこで優勝した人は、世の中から賞賛される。

なぜそんなに勝者が賞賛されるのだろうか。

私は「負けてくれる人がいるから」だと思っている。

世界一とか日本一とか決する試合での競技者たちは、人間の能力として追い込めるギリギリまで練習しているわけだから、みんなほとんど力の差はない。

そして、同じように人生のすべてをかけて挑戦している。

全人生をかけて努力し、競ったうえで負けてくれる人がいないと、世界一とか日本一とかの「勝者」にはなれないのだ。

だから、勝者にとって負けてくれる人というのはとても大切な存在、というか、実は価値として全く勝者と敗者は同等なのである。

負けた相手への敬意などというレベルではない。
敗者が存在しなければ勝者も存在できないのだから、
完全に同等の存在なのだ。

これと同じように、

ミュージシャンと聴衆はどっちが偉いということは全くなく、対等の存在なのだ。

「演奏がうまい」というのは、「聴いてくれる人、そしてよいと思ってくれる人」がいるから成り立つのだ。

自分がいかに練習を頑張ろうと、いかにお金をかけようと、そして聴く側の素人が何にも努力をしていなくても、全く関係ない。

聴いてくれる人がいなければ、ミュージシャンも存在できないのだ。


昔、ネットの掲示板で、演奏するほうがお客に金を払え、みたいな書き込みを見たことがあるが、おかしなことでもない。

演奏者が演奏することで自分がいい気分になりたくて、聴く側が時間とお金を使って演奏者の聴き手になるのだから、お客が演奏者を気持ちよくさせるためだけに聴くのであれば、お金を払うべきなのは当然演奏者ということになる。

それくらい、まるでシーソーに両端に同じ体重の人が乗っているような、バランス感覚での対等なのだ。

まあもともと、どんな人でも、それぞれの価値は違うというだけで、技術があろうがなかろうが、金を持っていようがいまいが、誰かが誰以上でも以下でもないのだが。

素人の「よくわからないけどよかった」は本音

素人のお客と言っても、親や友達もやはり立場があるのだから、なかなか厳しくは言えないだろう。厳しい言葉だったとしても、むしろ親心なのかもしれない。

その点、自分とは仕事上もプライベート上も何の関係もない素人の評価というのは、本音の可能性が高い。

音楽の素人の人は、当然ながら専門知識などはない。

だから、音を聴いて自分が本当にいいと思ったとしても、それが「どんなふうに」なのかを言葉で表現するのはなかなか難しい。

その結果、「よくわからないけどよかった」というような感想になるのだ。

よくわからないけど、確かによかったと思っていて、それを表明したいからこそ、その言葉が出る。

素人の「よくわからないけどよかった」こそ、ミュージシャンにとってとても価値のある感想なのだ。

その言葉が聞けたなら、あなたの音楽は確実に相手に伝わっているし、
実際に相手によい反応も起こしていると言っていい。


プロのクオリティで、素人が「いい」と思えるものを作れるのが本当にすごい。


スターになるということは、多くの人に支持されるということだ。

ミュージシャンをスターに押し上げるのは、プロデューサーでもテレビ局でもYouTubeでもなく、一般のリスナーだ。

限られたプロ同士で「いい」というのは、そこで止まったままでいるのは、
そんなに良くない。

たくさん売れるためにはニッチではだめなのだ。
セールスを上げるには一般のリスナーから買われる必要がある。
しかし、それこそがとても難しいのだ。

だから、素人に支持される音を作れるのが、本当にすごいことなのだ。



「専門バカ」というダークサイド

「専門バカ」というのは私が考えた造語だ。

「専門バカ」とは、ある程度の専門性を身につけた結果、一般人の感覚をなくしてしまい、ひどい時は一般人を見下すようになる状態をいう。

専門バカになると、築き上げてきた自分の専門性について、誰かの羨望を欲しがりながらも、結局もらえていないので、常に自分で埋めようとしており、本人が気づいていなくても言動の端々にそれがにじみ出てしまう。

専門バカの行動パターンのひとつに、素人の相手の知らない専門用語や知識をわざと相手に投げかけ、相手を戸惑わせる、つまり「マウントをとる」というのがある。

これは私がサウンドクリエイターの現役時代にもたまーに遭遇していた。

その時の相手はあるサウンドクリエイターだったが、初めて会った時、初めて会った時の最初の会話なのに、いきなりマニアックな知識(例えば〇〇の国のピアノの〇〇は◇◇なんですよー、なんでか知ってますか?)みたいな話をしてきた。

よろしくお願いします、みたいな挨拶もなかった。

まあ、「ははは、そうなんですかー」とかいいつつ、すぐ距離を取ったけど・・・。

相手が知らないことを自分が知っているという部分に興奮するんだろうね・・・。

自分が多少専門性があることにうぬぼれてしまって、その前の一般常識的な部分にすら盲目となっているというか・・・。

あの時はシンプルに怖かったなあ。

だいたい専門バカになっている人は、難しいことを難しい言葉でしか説明できない。

本当に頭のいい人、本当に理解している人なら、素人の相手でもわかる表現にかみ砕いで伝えることができるし、素人の大切さを知っているプロならば、誰に言われなくても自然とそうする。

これは講師にも言える。

相手の理解できる言葉で簡単に説明できない講師は、一人前とは言えない。

理解できないほうが悪い、ってなったらプロの講師としては終わり。

ネットに情報があふれかえっているこの時代に、
講師の存在意義を自分で全否定していることになってしまう。

理解できない生徒が悪いんじゃないので、ご注意あれ。

専門バカの最終形態は、人によって好みはすべて違うという当たり前の事実も忘れてしまい、その表現するものが、「これこそがいい音だ」「これこそがおもしろいんだ」を押し付ける感じになってしまうことだ。

そんなことあるはずがないじゃん。
いいかどうか決めるのは聴衆でしょ。あくまでも。

音楽は究極的に「好み」だし、相手にいいと思ってもらえるかどうかは、送り手にとって永遠に「チャレンジ」なのだ。

演者も聴衆も、本当にいい結果になるかわからないからこそ、
ライブをする価値があるのだし、約束されていないからこそ、
もしいい演奏になったら嬉しくなるのだ。

芸事で、お客に押し売りするようになったら本当に終わりなのだ。
謙虚さのかけらもない。

わかるだろうか。

君はくれぐれも「専門バカというダークサイド」に落ち込んではいけない。

音楽は伝えるもので、コミュニケーションだ。
こちらから音を出すことでこだまのように響くものだ。
いい音ならいい反響が返ってくるのだ。

本気の音を相手に何回もぶつけていくうちに、「自分の音楽が相手に深い部分で伝わっている」という実感を感じることができる瞬間がある。
しかも毎回それができるわけではない。
それがパフォーマンスだ。

それが「押し付け」になってしまえば、
当然相手のリアクションは最初からどうでもいいことになる。

最初から相手の反響を無視すれば自分だって満たされない。渇く。

自分のことを「ほかの誰かよりすごい」と思っているのに、渇く。

当たり前だ。人に上下はないんだ。違うだけなんだ。

誰かよりすごい、と思っている時点で間違っている。

音楽が世界一の人でも、不器用で何もできない人でも、
どんな人も違うだけで対等なのだ。
くれぐれも勘違いしてはいけない。

本当にいい音を出せているなら、自分から自慢しなくても相手から本気の拍手をもらえる。

誰にそれを自慢しなくても、相手からもらった本音のリアクションは、本気の拍手、感謝の言葉、握手した手の温かさは、君の中で自負としてゆるぎなく、誇らしく輝き続ける。


同じバカなら、馬鹿正直になったほうがよっぽどいい。

素人の、一般の、いろいろな人々の人生を彩ることに、

心底楽しんでもらえることに、

言い訳せずに正面から挑んでほしい。



素人をダマして商売するようになるな

専門バカまでいかなくても、素人軽視の陥りやすいダークサイドとして、「素人をダマす」というのがある。

これは、競争の厳しいサウンドクリエイターの世界よりも、学校業、ボーカルスクールなどで多く見られる。

スクール業のお客は基本的に何の知識もない素人だ。
だからこそ学校に来る。

これを学校側から見て言えば、何も知らない相手をいくらでもダマせるということになる。

また別の記事で書こうと思うが、ボーカルスクールとかDTMとかの講師には資格はいらない。

つまり、何のプロでもない君でも、ボーカル講師と自称した瞬間、ボーカル講師が誕生するのだ。

それ自体は何の法律違反でもないし、悪いことでもない。

私が若い講師だった時、ポップス系の音楽学校自体が珍しい存在だったが、

そこから10数年立つと、一般にそういうスクールが認知されてきて、

商売上手な大人が目をつけ、新規のスクールを立ち上げるようになった。

そういう商売上手はすぐに気づく。

あ、これ、別に音楽に詳しくなくてもできるじゃん。歌だし。

そうなのだ。

生徒が素人なら、教える側が素人でも、教える側がカラオケ中級者くらいの実力で、口が上手ければ十分に商売できてしまうのだ。

だって、レッスンしていて、レッスン中に講師が本気の歌を聴かせるとかはほぼないし、生徒も素人なのだから、歌を聴いたって「自分より上手いか下手か」くらいしか判別がきかない。

もちろんこれは法律上何の問題もない。

また、プロ経験のない人が講師をやることも悪いことばかりではない。

演奏する才能と教える才能は全く違うので、プロ経験がなくてもよい講師になる場合も全然ある。
教えるのがうまいうえに、プロ経験がないことでよく勉強するようになり、いろいろなタイプの生徒や音楽にも柔軟に対応できるようになる場合がある。

逆にプロ経験があるからといって、先の「専門バカ」のようになっていて、人によって全部違う身体面とか個性とかを無視して一つの価値観を押し付けるということもありうる。

ここで言いたいのは、相手が音について詳しくない素人でも、嘘のない仕事をしよう、ということだ。

あまり詳しくは言わないが、以前そういうボーカルスクール経営者や講師を何人か見たので、まあ伝えておこうと思ったのだ。

いや上手い商売の仕方だよ実際。目の付け所はいいと思うよ。合法だし。

でもさ、長ーい目で見たら、衰退すると思うのよ。
そういうインチキがはびこっている文化って。

素人だからって自分の養分にしちゃっていると、いつか音楽は衰退する。
音楽のもつ力を信じられる人が減ってしまうだろう。
ミュージシャンを支える音楽ファンとしての素人でもあるんだから。


素人についてのまとめ

いつもながら脱線の連続だが、

素人はミュージシャンにとって一番大切な存在だ。

ミュージシャンって何なの?あいつらただ音楽ばっかして、何も生み出してないじゃん、みたいな、一般の人々が思うことに対して、プロミュージシャンは正面から受け止め、自身が作る音楽で回答していかないといけない。

専門バカや素人ダマシを横目に見ながら、君は嘘のない本気の音で素人の一般の人々の人生の1ページを彩ってほしい。

君の音を聴いた専門バカや素人ダマシが恥じ入って逃げ出すようになったら、社会はちょっとだけよくなると思う。

いいか、ライブの後で、音楽に詳しくない素人のお客さんが「うまく言えないけど、なんとなくよかったなあ」と思って帰るのがいい演奏なんだぞ。

君がもし将来、プロの歌手やシンガーソングライターになれたとして、この言葉が頭の片隅に残っていたら嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?