元講師が打ち明ける「歌手やシンガーソングライターを夢見る君へ」:来歴について
メモ書きが数千万円で売れることも・・・それが「来歴」
「来歴」という言葉は、あまりなじみのない言葉かもしれない。
まあ本の著者紹介ページとか、選挙の時の立候補者の資料とか、
そういうのでたまに見る言葉かもしれない。
この記事で扱う「来歴」というのは、
その物事や人にくっついてくる「お話」の部分だ。
例を出そう。
黄ばんだ汚いメモ書きがあるとする。
かなり古い感じはする。
これを見た君は、
通常なら汚くて触るのも怖いから、一目見て素通りするのかもしれない。
あるいはすぐにゴミ箱へ入れるとか。
ところが、これが、
「ジョン・レノンが自作曲の歌詞を作っている時に書いたメモ書き」
だとしたらどうだろう。
これが本物と証明され、オークションにかけられたら、少なくても数百万円、下手したら数千万円で落札されることになる。
これが「来歴」だ。
「来歴」と「そのもの」はあくまでも別のもの
「実在する物」としては、あくまでも「他人が昔書いた汚いメモ書き」なのだ。
そこに、
「ジョン・レノンが自作曲の歌詞を作っている時に書いた」というストーリーがつくだけで、
誰もその様子を実際に見たことがなくても、高額のお金を稼いでしまう。
「来歴」と「そのもの」は、あくまでも別々のもの。
この事実は、送り手としても聴き手としても、とても大事なことなのだ。
歌手やシンガーソングライターを目指す君には、この「来歴」について知ってもらい、上手に利用したり無視したりできるようになってほしいのだ。
「来歴」は必要かつ大切。でも、ほぼ「来歴しかない世の中」になってきた
私も含め、音楽でも絵でも、多くのエンターテインメント業ではこの「来歴」が利用される。
いや、エンタメだけではない。
今現在、この世で売られるものはほぼ来歴まみれだ。
例をいくつか挙げてみよう。きりがないけど。
あ、全部フィクションね。
音大卒3人組のダンスボーカルユニット
英語・中国語・日本語のトリリンガル帰国子女のシンガーソングライター
元ストリートギャングのギター弾き語りシンガー
アメリカで社長をしているラッパー
漁師をしながらクラブでイベントを行うDJ
10万人の中からオーディションで選ばれた男性ボーカリスト兼モデル
音楽以外だと、
餌として紅茶だけ食べさせた馬の馬肉
世界一の塩マイスターが作った粗塩を使った塩肉まん
映画○○で俳優△△が着ていて、今年限定復刻されたデニム
70年に一度しか咲かない花から香りを集めた香水
今はもう亡くなっている有名漫画家の書いた幻の新作コミック
世界中を旅して無許可でこっそり壁に落書きをする正体不明のアーティスト(あ、これはいるか)
私が子どもの頃は、今よりも来歴は「うるさく」なかったと思う。
例えば、ハンバーグは、スーパーでハンバーグとして売られていた。
まあ新鮮なビーフ100%くらいの文字は小さく書いてあったけど。
それで十分美味しかった。夕食は幸せだった。
今はどうだろう。
「〇〇牛で仕上げた」とか、
「〇〇牛乳で長期間熟成させたチーズとろける」とか、
「煮詰めたキノコのうま味たっぷり」とか、
コテコテに来歴がくっついて売られている。
で、食べてみると、美味しいけど、まあ値段相応。
結局味=値段だよねー、となる。
まあ、自分にとってはそのハンバーグで十分に幸せな夕食なんだけどね。
歌手やバンドは、以前の記事でも書いたが、音楽自体に実体はなく、好みで全てが決まるので、来歴がコテコテになりやすい。
そして来歴には流行もある。
私が若い頃は、「母親との関係がよくなかった」みたいな来歴がくっついた歌い手が結構いた。
「元不良」とか「学校で抑圧されてきて、社会に対する不満に対抗する」みたいな来歴もあったなあ。
今は、苦しい生い立ちを来歴にする歌い手はあまり流行っていないような気がする。
「来歴」は、その商品や君をまだ知らない人たちの耳目にひっかけるためのフックとして必要かつ、大切なものであると思う。
私だって、この記事シリーズのタイトルに「元講師が打ち明ける」という来歴をちゃっかりくっつけているのだ。
このへんの身もふたもない自分の欲に、自分でも笑ってしまう。
まあ、あんまりこの記事を見ている人もいなさそうなのだが、
ただ、この元講師という来歴も、証明する手立ては何もない。
元講師といったって、自分でそう言ってるだけなのだから、
本当は音楽の仕事すらしたことのない、くたびれたおじさんが
100%嘘でこの記事を書いているかもしれない。
そう、来歴は、その場ですぐ証明できることは基本的にない。
嘘かもしれないのだ。
しかも、その商品、音楽であれば、音や歌は、来歴とは関係ない。
来歴がいい感じに思えるからといって、その人の出す音がよいという保証はないのだ。
来歴は実体ではなく飾りなので、いくらでも「盛る」ことができる。
最近の日本は、来歴がうるさすぎると思う。
しかも、「そのもの」を味わう前に、
ゆっくり味わう時間も無くすくらい、来歴を言ってくる。
味わってみると、普通に「いいかな」くらいの感じで、
なにか物足りなくて、
再び来歴を見直して、やっぱり物足りないんだけど、
うーん、そんなもんかなあ、みたいにありがたがるというか。
来歴に惑わされず、音の良し悪しを判断しよう
歌手やシンガーソングライターを目指す君には、以下のことを伝えたい。
来歴に惑わされず、自分の五感と直観で、
心底いいと思える音を見つけてほしい。
君自身は来歴を上手に利用してほしい。
そしてさらに、将来、来歴に影響されず、いい音だと思ったら、その音楽を買ってくれるリスナーが増えたらいいなあ。
ブライドテストで「来歴」は無力化する
そういえばテレビで、芸能人を格付けするバラエティー番組があった。
あれは「来歴」と「そのもの」が無関係であることを上手に利用した面白さがある。
といっても私はその番組を見ていないけど・・・。
おそらく、その番組では、高級肉とスーパーの肉を食べてどっちがそうなのかとか、
1億円のバイオリンと100万円のバイオリンとか、
ピカソくらいの画家が描いた抽象画と素人の落書きとかを
ブライドテストさせて当たった外れたと面白がっているが、
まあ当たらない。
当たったら「やったー」って喜んでるんだから、
それくらいブライドテストしたら判別つかなくなるのだ。
ガ○トさんは全問当たっているみたいだけど・・・まあそこには触れないとして。
音については、プロも含めて、世の中の少なくても8割くらいの人たちは、ブライドテストしたら正確に本物と精巧な偽物の区別はつかないだろうと、ほぼ確信的に思っている。
いや判別できる人も間違いなくいるよ。
メジャー級のミキサーさんの耳とか超人レベルだもん。
でも、プロミュージシャンだってそこまでの耳を持っている人はそうそういないと推察。
いや、実際はいろいろ言ってるよ。
でもまあ、ブライドテストしたら結果は散々だろうね・・・。
楽器とか音響機材とかにもいろいろあるのよ。そういう「来歴」が。
そりゃ、あきらかに安物とかなら自分でも区別はつくと思う。
さっきの1億円のバイオリンと、じゃあ100万円のバイオリンを目をつぶって同じプロバイオリニストが弾いて、どっちが1億円かなんてわからない。
わかるはずない。
違いはわかるよ。
どっちが響いてるとか、
どの周波数帯が豊かとか。
音色がこうだとか。
でもどっちが1億円かなんてわからないし、そんなの音の良し悪しには関係ない。
もう一度いうけど、1億円でも100万円でも、音の良し悪しには関係ないんだ。
来歴に惑わされない耳で聴こう
トップのバイオリニストならどっちが1億円のバイオリンかがわかるのかもしれない。
でも、ことポップスに関しては、いろいろなほかの歌や楽器とのミックスで音の良し悪しが決まる。
だから、1億円よりも100万円のほうがいいという判断も全然ありうる。
プロのミュージシャンなら、
楽器や機材の値段で音の良し悪しは判断しない、はず。
まあ、痛い思いして超高額の楽器や機材を導入したら、
バイアスがかなりかかっちゃって、
「高い楽器はやっぱりいーわー」になるかもしれないけどね。
むかし、あるギタリストさんとスタジオで録音の仕事の後、
ギタリストさんが自分の車に楽器を積んでいるのを見た時がある。
彼のワンボックスカーの中には、高そうなギターが数台積んであった。
しかしその中に、あきらかに安物の、楽器屋の入り口近くに裸でつるしてあるようなギターが積んであるのを見つけた。
話を聞くと、仕事をしているとこういう安物のギターの音を要求されることがあるので、積んでいるとのことだった。
音を要求するほう、つまりプロデューサーやディレクターは、
「安物を使え」とは要求していないと思う。
おそらく、チープな音とかペラペラな音とかが欲しいとか言われると、その安物ギターが活躍するのだろう。
つまり、音は音なのだ。
1億円の楽器をバイオリニストが奏でようと、その辺に転がっているバケツをしゃもじで叩こうと。
「音質」については、また別の記事で取り上げられたらと思う。
君が心から「いい音」と思う音が「いい音」なのだ。
くれぐれも忘れちゃいけないよ。
音の良し悪しの判断は、「来歴」とは対極にあるといっていい。
どんなに高級機材でも、
演奏者がどんなにろくでなしでも、
いい音かどうかは無関係。
歌手やシンガーソングライターを目指す君には、
来歴を無視し、偏見なしで音を聴き、
自分の感覚だけでよい音と確信できる耳を養ってほしいのだ。
売れていない人でも、いい音を出しているのかもしれない。
売れている人でも、音はそうでもないかもしれない。
そして、君自身が出す音についても、いかに君が労力をかけたとしても、それを無視して自分の音の良し悪しを見極め、ダメなら捨てるくらいの耳を持ってほしい。
労力かけた音を捨てるのはつらい。
だけど音作りって、「作っては壊し」の繰り返しになる時もある。
でも、壊したり捨てたりするのは、いい音を作るためなのだ。
送り手の君としては、自分が確信できるいい音をつくるために、
来歴なしで音を聴ける耳で音を作ってほしい。
そして、聴衆の皆さんに対しても、将来、来歴なしで好きな音楽を見つけてくれるようになったら・・・というのがある。
来歴ってある意味「楽しさのタネ」でもあるから、
そこは、おおいに来歴を楽しんでほしい気持ちもある。
で、もう少し、来歴関係なしで
「自分自身がいいと思ったら聴きつづける」という割合が
増えたらいいなあとも思うのだ。
オススメも「来歴」なのだ。
有名人がSNSで褒めたから、
有名人のプレイリストに出ているから、
その曲を聴いているとして、
それ、ほんとに自分が心底いいと思って聴いてる?
と問いかけたい衝動もたまーに感じる。
セレブがちょっと褒めたら、すぐバズって世界中で大流行するよねえ。
んで、褒められた人は大儲け。
褒めたセレブは多分次の朝にはその歌を覚えてないかもしれないけど・・・。
いやセレブでも一般人も関係ないんだけどさ、
その人自身の心の中にずっと残るような、それほどの、
「いい曲」って意味で褒めたんじゃないかもよ。
新しい音楽に出会うためにオススメを聴くというのは私もやるけど、
オススメされたけどあんまいい曲じゃないな、とか、
うわ想像以上にいいじゃん、とか、
来歴に影響されない価値判断も使えると、音楽の楽しさが広がると思う。
あんまり有名じゃない自分だけのお気に入りの名曲を見つけるって、
結構ウキウキできることなのよ。
「来歴」が後回しになる世界になったら面白い
最近は、来歴がうるさすぎると同時に、
「そのもの」より「先に」きちゃうよね。
これが昔のラジオだと、来歴より先に
まずカッコいい音が耳にどーんと入ってきて衝撃を受け、
「誰?今の曲?」なんて言って、どうしても気になり、
ついにはラジオ局に電話して、「○月○日の○時○分ごろにかかってた曲はなんて言う曲ですか」とか確かめたりして、
次の月、少ないバイト代が入ったら小銭を握りしめてレコード屋に買いに行く、
みたいな感じだった。
で、ケースの中にそのアーティストの説明がちっちゃい字でたーくさん書いてある紙が入ってて、曲を聴きながらむさぼるように読み込んで、来歴の部分も知るみたいな流れだ。
この違い、伝わってるかな?
音が先なのよ。
好きになった曲のアーティストが、
たまたま○○みたいな側面を持っていた、という順番。
だから、いい曲との巡り合わせが思いがけなくて、すごいワクワクして楽しいのだ。
脱線するけど、LGBTQとかって、あれも一歩間違えば「来歴」になっちゃう。
「先に」LGBTQだから〜っていうのがあって、
そこから良い方向にしようっていうのも、まあ悪くはないけどさ、
好きになった人が、友達になった人が、
たまたまLGBTQの人だったとか、
日本以外の国に生まれ育った人だったとかで、
それすらも、普段会ってても特に意識しない、ってほうがいいと思うのよ。
LGBTQでも外国人でも日本人でもなんでも、いろんな人がいるんだから、
まずその人自身をお互いに自分の目で見て、
いいやつだなとか思って
好きになったり、友達になったりして、
来歴は後回しで、あんまり気にされない。
そういうのがいいな。
まずは音楽から、そうなれたら。
言葉が通じなくても伝わるものなんだし。
ね。
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