元講師が打ち明ける「歌手やシンガーソングライターを夢見る君へ」:「売れる」と「好み」について
「売れる」とはどういうことか。
どうしたら「売れる」のか。
これは音楽業界だけでなく、あらゆる商売の永遠のテーマだと思う。
きれいごとを言ったって、売れて金が入らなければ何も始まらないのだから。
音楽の場合、売れるかどうかは「好み」で決まる。
はっきり言おう。
リスナーは上手いから買うのではない。
「好きだから」買うのだ。
技術をつけるのは自分がやりたいことを仕事として続けられるようになるためであって、売れる、つまり仕事としてやっていけるかどうかの直接の要因は、選ぶ側の「好み」に合うということなのだ。
プロよりうまいアマチュアなんていっぱい実在するのだ。
だから、究極、売れるかどうかの分かれ目は技術じゃない。
あ、仕事としてやっていける技術はいるよ。でも。
君、もしくは君の作る歌がリスナーから好かれ、選ばれないと、
君はプロとして音楽を続けられないのだ。
ごめん。努力を否定するつもりは全くないんだけど、
「売れる」と「好み」については、君の「技術の上手さ」はそれほど関係ない。
むしろ技術の上手さばかりアピールしたら鼻についちゃう。
もし君が、単に聴き手に「すごい」と思わせたいのなら、
とうぞ超絶技巧を身につけて、見せつければいい。
それで君の目的は達成された。
でもさ、君が聴く人に伝えたいことって、感じてほしいことって、
「俺ってすごいだろ」なの?って話なんだよね。
君が聴き手だったらそんな人好きになる?
まして、お金を出してその人の曲を買う?
まず先に自分が相手の心を満たすこと、
そしてそれによって相手から好かれる。
昔、師匠に怒鳴られたなあ。
「お前、音楽はスポーツじゃないんだぞ!」
「音楽とは心の動きを表現することだ!」
あイタタタタ・・・。
音楽は「好み」
仕事としてやっていきたいなら、「好み」ということについて日々よく考えてほしいのだ。
どんなに売れっ子でも「全ての人間の好みに合う」ことは絶対にない。
誰かには絶対に嫌われる。
多くの人の好みに合うようなプロもいれば、少数でも熱心なファンを持つアーティストもいる。
ただ少なくても、仕事として成り立つためには、「誰かの好み」や「その場で求められているもの」と合致することが必要になってくる。
この事実をあらためて理解してもらえれば、自分の個性をどう伸ばしていくか、オーデイションや発表する曲に対しどう戦略を練っていくかの参考にしてもらえると思う。
あなたのどの部分を好きになってもらう?
あなたを好んでくれる人はどんな人?
どこにいる?
どうやって集める?
馬鹿正直に技術だけ高めたとして、好かれるのだろうか?
普通に上手いだけだったら、まあ面白くはないよね。
今は楽器を弾かないバンドとかもヒットしているわけだ。
自分の表現したいことが、きっちり表現できればいいのだ。
そのために、練習して技術を身につけるも、
自分にできない部分を誰かに丸ごと作ってもらうのも、
どっちが上とかではない。
まさに考え方、それこそ好みなのだ。
楽器を演奏しないバンドが、どうして「好かれ」、「売れて」いるのか。
なんでリスナーが酔えるのか。
君はどう思う?
ただ単にリスナーに媚びてばっかりでもブレてしまってだめなんだけど、やっぱり、面白さとかかっこよさとか、ロマンとかセンチメンタルとか、そういう「隙」とか「色気」が欲しいのよ。
歌手やシンガーソングライターとは別の世界だが、大人数でしのぎを削っているアイドルグループは、まさに「好み」、他人より自分が好かれることで互いに競争しているわけだ。
単にかわいいとか、歌やダンスがうまいとかだけの競争じゃない。エグい。
「好み」と「売れる」は異種格闘技戦でのバトルロイヤル
「好きだから」買うというのは、音楽の技術の高さとはあまり関係がない。
下手でも好まれれば、例えば飛びぬけてかっこいいとか美しいとかの人だったら、歌を出しただけで売れてしまうこともある。
さらに言えば、どれくらい好きなのかのライバルは音楽だけではないのだ。
歌、携帯での動画視聴、ゲーム、スイーツ・・・10代~20代の少ないお小遣いの奪い合いだ。
君や君の歌を、リスナーはゲームや携帯を含むあらゆる娯楽よりも好きになって初めて買ってくれる。
それは必ずしも重々しいものではない。
価格設定もあるだろう。
期間限定もあるだろう。
スポーツで優勝や金メダルなどの「おめでたいこと」が合った時に、お財布が緩むこともある。
スーパーのレジ横にあるお菓子とかもそう。買っちゃうよねえ。
ただ、「好み」と「売れる」というのはお金を使うすべての娯楽との競争であることには違いない。
オーディション合格の基準も「好み」
勘のいい人は気づいているかもしれないが、オーディション合格の基準も、結局は「人の好み」なのだ。
オーディションの記事で、選ぶ側の基準に合わせて君が消耗する必要はないと書いたのはこのことだ。
「好み」の前では、最終的にいかに技術が上手くても容姿が良くても、勝てない。仕方がないのだ。
嫌われるのはいいこと
歌手やシンガーソングライターとしての自分が嫌われても、全然いいのだ。
むしろいいことなのだ。
君だって誰かを好きになるし、たまには好きになってもらえることもある。
好きになってもらえるということは、誰かに理由もなく嫌われても、おかしくない。
君もテレビやYouTubeで気に入らなければすぐにチャンネルを変えるでしょ。
まあ、お互い様なのだ。
そして激しく嫌悪されるということは、その反対の好みを持つ人々から激しく好かれる可能性があるということだ。
激しく嫌悪された要素を、別の見せ方で見せることで、激しく好かれる要素にできるかもしれないのだ。
むしろ難しいのは、なんとなく嫌われないとか、うすーく好かれてしまうことなのだ。
君はこのことをどう思う?
個性の記事で「強い個性が欲しい」と書いたのはこのこともある。
「売れる」は「信念」
事務所の社長やレコード会社のプロデューサーなどは、「これなら売れる」と思ってアーティストをデビューさせる。
でも実は、そう信じているだけなのだ。
これに気付いた時、私はちょっと愕然としたのを覚えている。
東京のレコーディングスタジオで、深夜、曲の仕上げに対しものすごい圧でミキサーさんに指示を出すプロデューサーの背中を見ながら気づいたのだった。
汚い言葉出るよごめん。
「そうか、こいつ、売れるっていうのはそう信じてるだけか」
あ、思い出した。昔話。
私は以前、あるスクールから、オーディションを受ける女の子の付き添いをちょくちょく依頼されていた。
その中に、ある大きい事務所のオーディションに合格した女の子がいた。
私の生徒ではない。レッスンしたこともない。
顔見知りでもなかった。
初めて会ったのはオーデイション会場の最寄り駅の改札だった。
その女の子が合格したオーディションに付き添っていた私は、その流れで、その子のマネージャーが決定するまで、彼女が慣れない東京での付き添いを引き続き依頼されたのだった。
その事務所の社長と女の子が初めて直接会うということで、彼女が呼び出された場所は、東京でも特に栄えている地区にある、超高級ホテルのスイートルームだった。
私はそのスイートルームに、付き添いとして同席した。
うわー高級だなこの部屋。
一晩泊まるだけで数十万円するんだろうなー、みたいな部屋だった。
超高層階の、壁がないのかと勘違いするような大きな窓から、東京のあの有名な建物たちがいくつか見えていた。
事務所の社長は穏やかに微笑みながら、
「いやー君は売れるよー。後はもう僕に任せておいて」
などと言っていた。
彼女も、高校生だったが、お人形のように目鼻立ちが整った、派手で、しかもかわいい女の子で、さらに負けず嫌いでとても気が強く、ハキハキと受け答えできる頭の回転の速い人だった。
あの有名な事務所の社長があそこまで言うんだから、こりゃやっぱり売れるんだろうなー、と私もなんとなく思った。
そして彼女も、お金持ちの社長の娘さんだそうで、大きな話でも全く物怖じせず、常に自信満々だった。
歌の実力はプロレベルではないが、別に下手でもなかった。
こんな華があって強気で超かわいい女性で、あんな大きい事務所がバックについてたら、もう売れることは間違いないよな、と若い私は思っていた。
話はとんとん拍子に進み、半年も経たないうちに5人組の女性ボーカルグループとして彼女はメジャーデビューした。
もちろん彼女がバリバリのセンターだった。
もうえげつないほどわかりやすいジャケット写真だった。
もう全国的にCMも打って、その当時でも珍しい昭和の頃のような大プロモーションだった。
当たり前のように全国ネットのドラマの主題歌でのタイアップもついた。
制作陣ももちろんメジャーの一流の人たち。
おそらく制作費と宣伝費で億は超えていたと思う。
これは見当ね。真実は知らないよ。
やっぱり大きい事務所は違うなー、と感心しつつ、すでに遠いところに行って私などとはもう会うこともないその女の子がヒットすることを、疑いもせず確信していた。
で、どうなったか。
まったく売れなかった。
今もうあまり覚えていないが、シングルは3枚出して、アルバムも1枚出したと思う。
彼女のブログには、2年前くらいに同じ事務所からデビューしてすでに売れていた女性歌手と一緒に美術館に行った内容などが書かれていた。
その有名歌手とは友達になったらしく、一緒にいる写真もよく掲載されていた。
2年後、そのグループは解散し、彼女は名前を変え、ソロの歌手として再デビューした。
それも売れなかった。
その3年後、彼女は再度名前を変えてソロデビューした。
今までのブログも廃止され、今度はキャラ付けもついた。
「母親からあまり愛されず、貧しい家庭で育った」みたいな設定になっていた。
顔も服装もメイクも地味風に変わっていた。眼鏡をかけていた。
もちろん私が付き添っていたときに眼鏡などかけていたことは一度もない。
視力もよかったはずだ。
で、結局、それも売れなかった。
彼女が今どうしているのか、全くわからない。
売れるかどうかなんて、若い人の流行や好みが相手のビジネスで、未来を確かめることもできないのだから、誰がどう予想したってやっぱり「信念」にすぎない。
業界で実績を残してきた偉い方々は、経験や実力もあるのだけど、そういう人がどれほど考えて頑張っても、売れると思っているのはそう信じているだけの「信念」なのだ。
「売れる」は予想できない。「因果」も「相対」も結果論。
どのビジネスでも、過去に売れたものを分析することはできる。
でも特に音楽については、それを「相対関係」や「因果関係」として読み取ることはできない。
というか、結果論として抽出してもこれからの曲にあまり活かせない。
こういう「分析」というのは、ある時期にどんな歌手がどれくらい売れたとか、売れた曲の歌詞には〇〇という言葉が入っているとか、そういうのをデータ化することだ。
わかりやすく言おうか。アイスクリーム。
7月~8月に売れる
気温が〇〇°を超えると売れる
〇〇地方で売れる
冬にコタツが出る時期になると意外に売れる
乳脂肪分が〇〇%だと売れる
・・・そういうデータだ。数値化といってもいい。
こういうデータを積み重ねるとすごく説得力があるから、企画は通りやすい。
実際、メルカリでも楽天でもアマゾンでも、君の通信データを盗み見てはAIかなんかでパパっと分析したオススメ商品を出してくるだろう。
あれって時々気味悪くなるよねえ。
こういうのを「相対関係」という。
乱暴に一言にまとめてしまうと、「前回、◇◇はこうだったから、次は〇〇だろう」ということだ。
根本的に、相対関係は「過去」なのだ。
これに対し、音楽は時間を操る芸術だ。
つまり、今の瞬間から未来にしか、音は生まれないのだ。
昔の音を利用することはあり得るが、それこそ今までにない利用のされ方をするのだ。
しかも音楽は空気を伝わる波状の振動だ。
実体はない。
極論、音楽があってもなくても、人は死なない。
これが、「売れる音楽」を予測することを、さらに難しくする。
だから、音楽については、過去に何が売れたかの相対関係を見たところで、この先何が売れるかなんて誰にもわかるはずがないのだ。
桜ソング、クリスマスソング、夏の歌、冬の歌、ドライブ向け、ライブ向け・・・。
そういう需要を見込んで曲を作ることはできる。
旬のサウンドを取り入れたり、流行の曲調で仕上げるということも、特に最近は簡単にできるだろう。
だからといって、他の誰かも同じような狙いで曲を作るわけで、自分の曲が好かれ、売れるかどうかなんて絶対に確信できないのだ。
そして「因果関係」としてはもっと予想不可能になる。
「因果関係」というのは、原因と結果ということだ。
速く走るためには、歩幅をどれくらい広くするのか、とかそういう「〇〇すれば、◇◇になる」というのが因果関係になる。
それは、楽器の練習としては有効だ。
「指をこう動かせば、こう上手に弾ける」というのは成り立つ。
でもね、「好み」だと、「因果関係」ですらもう無力すぎて・・・。
恋愛体質の人は実感するんじゃないかと思うが、
究極的に、「好き」に理由なんてないのだ。
だから因果関係もなりたたない。
かっこいいから好き、と思ったって、じゃあ、
かっこよければ誰でもいい、とは絶対にならない。
考えようにとっちゃ、この事実ってとっても面白いと思わない?
これだけデータでなんでもわかっちゃうように思われてる時代なのに、相対関係からも因果関係からも予測できないのが、歌についての「好み」であり、「売れる」ということなのだ。
誰が売れるかわかりようがないんだから、君だって売れるかもしれないのだ。
この事実を、君がどう考えるか。それが人生の分かれ道になる。
良くも悪くも。
大物プロデューサーですら、大当たりするのは人生に一度
ビッグアーティストや名曲が誕生する時は、社会情勢とか、若い人の感性とか、そういうのがいろいろとかみ合わさる。
でも、これとこれが要因なのかな、とわかるのは、売れた後だけなのだ。
時代を代表する超大物プロデューサーでも、
「これは売れる」という彼の信念が、
彼の手掛ける歌手のミリオンセラーなどで本当に実現する時期というのは、
大抵、人生に一度だ。
それでも十分にすごい。
ほとんどの人は全く売れないのだから。
その歌手が3年続けば、もう金メダルくらいの感じだ。
秋元康さんのようにおニャン子クラブとAKB系や坂道系で人生で2度も3度も時代の人になれるというのはまさに神がかっている。
まあアイドルというシステムだからというのも言えるんだが。
こういう数十年に一人の例外以外は全て、売れると信じてやっていても、極端に言えば「まぐれ当たり」というレベルになる。
だから、何かの偉い人に「君は売れない」と言われても、「君は売れる」と言われても、君が動揺する必要は全くない。
それは事実でも予言でもない。むしろオカルトに近い。
そんな戯言は聞き流して、君のやるべきことを続けよう。
好かれるのは「余分」の部分
突然だけど、「顔で歌う」ってわかる?
「顔で踊る」ダンサーとかもいる。
プロのミュージシャンやダンサーで、もちろんパフォーマンスも素晴らしいのだが、顔の表情が豊かすぎて、そっちに目が行ってしまうタイプのことだ。
私は顔で演奏する人や顔で踊る人が好きだ。
見ていて楽しい。面白い。
今私は、アマチュアとして演奏を楽しんでいる。
仕事とは違って何をどう演奏しても自由なので、
これからは顔で演奏できるようになっていこうと思っている。
人に好かれる部分って、結局、「余分」とか「ムダ」の部分なのよ。
余分とかムダなんで、本来なくても、歌は聴かせられるんだろうけど、
そこに何か一癖加わっているから、まあそこが「クセになるような面白味にもなる」ってことなんだよね。
どうせやるなら面白くやったほうがいいじゃない。
売れる=好み=予想不能=余分=だから面白い
売れるかどうかは「好み」で決まる。
人は何かを好きになるのに、理由はない。
だから、いつ誰が売れるのかなんて誰にもわからない。
もう一度言うぞ。
今、どんなに向いてなさそうに見える人だって、
何年か後にその人が売れるのか売れないのかなんて、誰にもわからないんだ。
君は将来、歌手やシンガーソングライターとしてスターになるかもしれないし、プロにすらならないかもしれない。
出来ることと言えば、信じることだけ。
でも案外、人生のほとんどはそんなものかも。
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