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ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス: テクノロジーとサピエンスの未来』“ ההיסטוריה של המחר”を読んだら

原書が2015年刊、日本語翻訳版は2018年刊、で、私が読んだ今が2022年。
ざっくり言うと「人類を含む世界がこれまでこんなで今こんなで、この方向に進むと未来はこんなじゃね?」という内容なので、読むタイミングって結構重要で、感想に影響があるな、と思いました。
世界的にいろいろあり過ぎですからね、ここんとこ。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ハラリはいきなりこんなこと言います。

「人類はこの数十年というもの、飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた」

2015年、2018年でも異論があったかとは思いますが、新型コロナのパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻を見てしまった2022年の現在ではさらに味わい深い言葉になってしまいました。
さすがのハラリも2022年がこんなことになってるとは思わなかったでしょう。

この導入でちょっと引っかかってしまいますが、この本の本題は、「飢饉と疫病と戦争」を克服した人類がこれから何を目指すのか?というところです。
生命に対する大きな脅威を克服した「ホモ・サピエンス」は、次の段階「ホモ・デウス」への進化を目指すことになります。
なんでしょう?「ホモ・デウス」。
「ホモ・デウス」それは不老不死の「神(に近い存在)」、だそうです。

「神」って。
いきなり吹っ飛んだ話に聞こえますが、なぜそうなのかの説明がそこそこの長さで続きます。
ただ、読んでいて、「まぁなんかそういうのSFで読んだ気がするなぁ」という気分でした。
それと、もしも技術的に不老不死が実現したとしてもこの格差社会、一部の権力者が独占するだけでしょう。
そうなるとNetflixやamazon primeビデオに山ほどある「格差社会が行くところまで行き着いた悪夢のような世界が舞台の未来映画」の世界ですね。

こんな調子で、上巻の三分の一くらいまではあまり読む価値を感じることができませんでした。
でも下巻まで買っちゃったしなぁ、と読み進めているとさすがハラリ。だんだん「おおなるほど」ということが増えてきました。

宗教や宗教的なものと人類の関係など、『サピエンス全史』で書いていたことを基礎に、その先を描いているような印象を受けました( 参照→ヒトはパンのみに生きるにあらず、されど人類は小麦と肉牛のために働くのだ。ユバル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』を読んだよ)。

資本主義も社会主義も何かを人々に約束するという点では宗教であると。従来の宗教が死後のなんかいいことを約束したのに対して、資本主義も社会主義は生きてる間にいいことあるから信じろよ、という姿勢で信者を集めたと、そんな話。
資本主義は人々の信仰心を保つために成長が必須だそうです。

そんなこと今さら、と思う人も多いかと思いますが、私はこの辺りの解説にいろいろ思い当たることもあり、ああやっぱりこの本は読む価値があったな、と思いました。

ハラリが描いてみせたこの先の世界の姿は、身も蓋もない、個人には冷酷なものでしたが、それでも、それが嫌ならそうじゃない道も選べるんじゃないか、という締めになってました。

まぁでも、ハラリ自身は、未来が身も蓋もないものになると思ってるんだろうなぁ、というのが私の独語の感想です。

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