令和のポップシーンにもっと変態性ある音楽を!SSWアツキタケトモの魅力に迫っていたら「Habit」を思い出した件
以下は、シンガーソングライター・アツキタケトモはもっと売れていいんじゃないか?という個人的な思いから書いた単純なガチレビューです。
アツキタケトモの初めて聴いた時の印象は、詩の世界観に昭和歌謡の影響を濃く受けつつ、打ち出しつつ、令和アーティストならではのライブラリーを生かしたサウンド、を両輪稼働させている佇まいだった。
こう手法だけ書くと、令和ポップスを一望する限りそこまで珍しいタイプではないと思われそうだが、肝心なのはその両輪稼働のハイクオリティさにあり、かなり変態的な仕上がりになっているというところだ。
聴いたあと、何か「湿る」「しこりが残る」感覚。アツキタケトモは今のシーンでは他にあまり見当たらない癖の強さを持っている。
実際の楽曲を紹介していきたい。
この「Family」は前述したことが比較的スピーディにる伝わる楽曲。
アツキタケトモがメッセージのコアにしているものは、人間関係の感情の機微や不文律に基づくものが多い。この楽曲はタイトル通り、家族という集合体の葛藤を描いている。
「ひとつ屋根の下に暮らしていたって 結局 孤独だから」という歌詞に象徴されるように、家族だからみんながうまくいってるわけじゃない。素敵に見えるのは見た目だけさ、という形骸化された「家族」というイメージに対する強烈なアンチテーゼが感じられる。
この強めのメッセージに負けないサウンドワークは冒頭から炸裂していて、多重録音で心の叫びがエコーするような演出、次いで差し込まれる乾いたビート、重なるメロウなシティポップ、と、このイントロだけでも複数の音楽的情報が氾濫しているのである。
まさに家族の持つ「混沌」を表しているように思えて、息を呑んだ。
こういった世界観は、いわゆる「心のヒダを撫でにくるタイプ」のジャンルとして、音楽でハッピーになりたい人たちからは嫌煙されることもあると思う。
正直そういう人にお勧めしようとは思わない。反面、思い切り沼る人は確実にいるだろう。
アツキタケトモの音楽には今の時代避けて通れないキーワード「承認欲求」が根幹にある気がする。ここに多くの人が一気に振り向く可能性を否定できないとも思うのだ。
ちなみに、「承認欲求」といえば、それをタイトルに据えるような曲は、本質的な意味がズレていると思われる……
次に触れる「Outsider」は、「どこに行っても部外者」という承認欲求の満たされなさを絶妙な言葉えらびで表現している。
「誰かといるときの方が 一人より孤独なアウトサイダー」
この一節が胸に刺さる人は少なくないと思うし、通信インフラ、SNS、連絡ツールの多様化で、かえって人間関係の構築が難しく、煩雑に感じられる昨今。この楽曲を今一度よく聴いてみてほしい。
歌詞以上にすごいと思うのは、楽曲はポップスとして群を抜いてカッコよく、軽やかに乗れるようなチルみ、クラブで踊りたくなるようなファンキーな躍動感もあるというところ。骨太なJ-POPにファンクミュージックを絶妙にミックスした音楽は、スガシカオの「アシメトリー」「19歳」などを彷彿とさせるものがある。ラジオで尊敬していると言うコメントもあったようだが、スガさんをリスペクトしている令和のアーティスト、と言う意味でもアツキタケトモの存在は貴重だ。
最後に触れるのは「NEGATIVE STEP」。これはちょっと変わり種だが、0:51あたりの切り替わりに注目してほしい。
MVについては、サラリーマンの「スタンド」のようについて回りつつ全く絡まず歌う本人。逆回転やネガポジ反転が差し込まれたり、映像アイデア的には捻られたものなので、もっと観られるといいなと思いつつ。
ここ数ヶ月の新譜ではアニメーション方向に変化していっており、個人的にもそのほうが楽曲が入っていきやすい気はしている。どうしてもアツキタケトモのような内省的な歌詞の場合、本人が出ることでイメージがどう転ぶかわからないことがあるし、この毒気のある歌詞の世界観をどこまで、どんなタッチでMVで伝えるか?というテーマは今後の重要なファクターではないだろうか。
ちなみに最新譜「#それな」は、歌詞が今までとは違う意味でものすごく秀逸。「こういうLINE送ってくる知り合いいるよな…」っていう絶妙なラインを攻めるところは流石としか。「腹割って話そー!?」は、二つの意味にも受け取れるのが面白い。
最後の最後に。
内省的であったり風刺が強い楽曲でなおかつ変態的で昨今バズったもので言うと、どうしても「Habit」を想起してしまうのだが、今見ても、あの楽曲をあの設定と美術とダンスでやり切る気合、そして撮影と編集センスには脱帽してしまう。
セカオワがこのタイミングで投げてきた変化球、という意味も大きかったように思うが、当時よく「中毒性が…」と評されていたあのMV。間違いなく、中毒性を狙って作れるようなものではないだろう。
人が中毒を起こすには、その上の「変態性」をいくくらいでギリギリなのかもしれない。
そういうわけで、変態性のある楽曲が少なめの今のポップシーンにおいて、とても貴重な存在だと感じているアツキタケトモについて書かせてもらいました。