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【子どもの発達と音楽】我が子がクリスマスコンサートを成功させるまで
このコラムでは、発達上の特性を持つ我が子に、音大ピアノ科卒の母親がどうやってピアノを教え上達させていくのか、現在進行形のエピソードと、過去の成長記録とをポイントで絡めながら綴っていきます。
一口に「上達」と言ってもその成果の形は様々です。
ここでは、2024年12月25日にクリスマス楽曲の課題をクリアし、「クリスマスコンサートin 我が家(親戚にはLINEで生中継)」を完遂できるか?というところに焦点を絞り、そこまでのプロセスを追っていきたいと思います。
まずは現在の我が子について簡単な説明をしますが、
小学校一年生の性別男性です。
生まれた時早産だったことや早生まれだったことがどこまで影響していたかは今もわかりませんが、とにかく言葉が出るのが遅かった。
3歳6ヶ月頃までは「おいしい」「あか」「でんしゃ」といった数単語を前後に繋がりのない形で発音するのみでした。
忘れもしない記憶として、年少の夏頃、初めて父親をおとうさんと呼び、そこから遅れること3ヶ月後にコープ生協の入口で「おかあさん」と呼んだことでしょうか。
これに関して、そもそも「パパ」「ママ」と呼ぶように促せばこんなに時間はかからなかったのではないか、と私の両親は言っていましたが、そんな簡単なレトリックではなかったのは確実です。
その後も一年以上、言葉を介したコミュニケーションはなかなか思うように進まない状態が続きました。
一歩進んでは2歩下がる。そんな状態でも小さな一歩を喜んで、時には周りと比べて落ち込んで、そんなこんなで気づけは小一、と言いたいところですが、簡単に明るく振り返ることができるような幼稚園生活でもありません。
当然、療育や児童精神科にも通いました。ここに関しては我が子に限定して話すならばいくらでも語ることがありますが、キリがないので一つだけ。このような、発達に問題を抱えた子の親が駆け込む場所は何一つ「答え」は持ち合わせていないので、答えを求めて行ってはいけない場所であることは、私が経験を通じて言えることです。
「そのお子さんは将来歌舞伎町でしか働けませんよ」という、受け止め方が難しい言葉を投げつけてきた児童精神科の医師もいましたが、彼らの仕事が、確たる拠り所のない、非常に難しい立ち位置にあることも時間をかけて理解してきたつもりです。
さて、今読んでいる方が一番聞きたいのは「今現在、発達しょうがいはあるのか?」という点ではないでしょうか。これに関しても、答えがないと言わざるを得ません。そもそも発達●●とは何か?それは「度合い」、「捉え方」、「環境」「周囲の見方」、いろいろな要素が関与して、社会的に見做されることだからです。最近の「グレーゾーン」や「ボーダー」といった呼び方も社会が子どもたちを仕分けるために仕立て上げた勝手な名称で、個人的には大嫌いです。
おそらく周囲と隔絶した世界においては、我が子をそのようにラベリングする人はいないわけですが、
社会は常に仕分けるための理由を探しているということは、強調しておきたい部分です。
敢えて回答するならば、現在も常に発展途上であり、ある点に関しては目覚ましいスピードで発展し、舌を巻くことがあるし、ある点に関してはまだ癖が強い、幼い、など、それぞれが愛おしい個性の中で日夜蠢いているとしか言えません。その中で、本人が特に才能(夢中になることが才能であると考えます)を見せる部分はどこなのか、そういったことを観察しながら共に暮らしている、そんな塩梅でしょうか。
ピアノの話に戻しますと、今練習している楽曲は3曲。
ドレミ楽譜出版社の「やっぱりすき!ピアノ名曲集」より、
・きらきら星
・ジングルベル
・聖者の行進
きらきら星とジングルベルはもう仕上がってストック状態ですが、時々弾き方を忘れるので都度さらい直し。
聖者の行進は2週間程度とかなり時間がかかりましたがようやく全体の譜読みが完了し、これからテンポの乱れや指のもたつきを解消するために繰り返し練習に入るという段階です。
聖者の行進は「タイ」「休符」「メロディが右手と左手で交互に出てくる」などが頻出するので、まずタイの概念とカウント方法を浸透させるまでに何日も要し、その程度の苦労は折込済み…といっても、理解の遅さにイラつきを鎮められず、心を無にしてピアノの横に座っていることが多くなってしまいました。
夫からは「一つできたら一回抱きしめるくらいの気持ちで当たらないと」などと言われ、それもわかるようでいて、わからなかったり。
特にピアノを教え始めたばかりのころは、自分は「音楽療法」をやっているのではなく、ピアノという技術を体に身につけるための本当に辛い基礎練をやっているのでこれはスポーツと同じなんだ!
という、行き過ぎた思いが出てしまっているきらいはありました。
もともと自分自身、レクリエーション的な楽しいピアノレッスンを人生で一度も経験せず、身内に習った中途半端な腕前で、初めて外に習いに行った先がドイツ帰りのストイックな先生だった、いうこともあり、一般的なヤマハやカワイやいろいろな個人教室の先生が提供する「楽しいピアノ」を全く通っていません。これは正直、子どもに教える立場としては致命的とも言えますが、一方で、「楽しいから弾く」と同じくらい「弾けるから楽しい」という「事実」が存在することも、自分はよく知っているつもりでした。
だから早く、楽しいくらい弾けるようにさせてあげたい。そういう思いでスパルタ式のレッスンを開始して、約4ヶ月。
次回は、クリスマス楽曲それぞれのレッスンを分解。そこから見えてきた傾向と対策面について書きたいと思います。