コーチングCPCC試験&マイコーチとの2年の旅路ストーリー
この心の震えた状態で、何か書かないといけない気がする。そう思って書いてます。
本日CTIのCPCC口頭試験を終えたこと、マイコーチとの2年間のこと、クライアントさん始め出会った全ての人々に感謝したいこと、そんなことを書いていこうと思います。
▼クライアントさん、出会ってくれた人々、ありがとう
あ〜上手く書けるかな。
CPCCの口頭試験が終わりました。合否は2週間後。やるだけ精一杯やりました。ベストを尽くせたかな。
これが今の自分の実力だし、合否までは完全スッキリではないけど、まずはここまで来た自分に対して労おうと思います!
どことなく幸せ感と心が満ちている感は、たくさんの人が応援してくれ、励ましてくれ、携わってくれ、認知してくれているパワーの方が遥かに大きくて喜びだから。
ほんとそれが一番で、今の人生、自分サイコー!なんて思えている自分が好きだから。結果がどうであろうと。
そして何より、試験を受けれたこと、それ自体に感謝です。
CPCC試験には条件があり、クライアントさんがいないと成り立たない。
・有償のクライアントさん5名以上
・100時間以上のコーチング時間経過
・筆記試験合格
・上級コースまでの約200時間トレーニング完了
・CPCCとPCC資格を持つコーチをつけること
私にとって大切なクライアントさん、出会ってくれて、私のコーチングを受けてくださり、本当にありがとうございます。LOVEです。
長く継続してくださっているクライアントさんもいて、いつもその時の全力だけど、振り返るとそりゃあ拙いセッションもあったなと・・・
いや〜よく私を選んでくれているなと、良い意味でたまに思います。
感謝しかないです。
▼マイコーチ、2年ありがとう
先日、なんとなく「今かな〜」と感じ、「いや今?試験前っしょ??」って自分にも気づきながら、約2年間お世話になったマイコーチと完了をしました。
最後は涙と感謝の完了セッションでした。
2年前の私は、いつも自分を責め、自己肯定感の低い、繊細で生きづらい、芸能事務所で働くバンドマネージャーでした。
大学を中退してまでやりたかった音楽(バンド)、でも夢を叶えられなかった。数年走り続けた20代中盤に「学歴も劣等感・履歴書にかけることなんて何もない自分」に気づき、音楽しかやってないじゃんと気づく。
人に何かを教えるなんて興味なかったけど、声や体の使い方を学んでみようと入ったスクールでボイストレーナーになり、人の成長や育成することへの喜びに気づいちゃう。
そこから社員としてボイストレーナーとして芸能事務所で11年働き、バンドでメジャーデビューすることを夢見る一人の少年と出会う。その子を育成する中で、自分が叶えられなかった夢を叶えて大きい景色を見せてくれる。
前任のマネージャーが辞めるタイミングで、37歳でマネージャーにキャリアチェンジ。最初はお客さんが3人だった。バンド休止の最後はアリーナツアーで、13,000人キャパ代々木第一体育館の2日間を満席で埋めるバンドにまで成長してくれた。
信頼できる数人の友人以外、私は40年間LGBTQをずっと隠して生きていた。
また、それを知った父の言葉「お前は頭がおかしい・変わるなら許す・縁を切る。」という言葉に傷つき怒りを感じ恨んでいた。
また、仕事ではカミングアウトできる環境でもなく、軽蔑・差別的な言葉も日常で飛び交うような雰囲気だった。そして必死にバレないように、それを一緒に作り笑いしている自分が嫌いだった。罪悪感を感じていた。むしろそれらの声を無視していても、何か息が詰まって生きていないような気がした。
だからこそ、自分のレッスンや自分主導のイベントでは、多様な誰もが受け入れられるような、違いを認め合えるような場になるよう全力で創っていた。心掛けた。生徒やアーティストたちは、違いを認め、尊重し合う人が増えていた。その時は命が輝いていた。
私は今いる自分の環境に疑問を抱き始めた。
マネージャーになると会社外にいることが多い。取引先・業務提携先・TV局・イベントなど、芸能・音楽業界の人たちだ。
縦社会・人と比べ価値を出す・人を馬鹿にする・マウントする・自分のポジションを守るために必死な人、そうじゃない人もいるけどそんな人たちが目につく、なんか違う、一緒にいたくない、
「でもこの業界から離れるなんて学歴もない、芸能・音楽以外の仕事なんてしたことないし、絶対無理」だと思っていた。
ティーチングをし、マネジメントにも携わり、経験・成長させてもらい本当に感謝している。
でも苦労した。
音楽に強い事務所でもなかったのでマネージャーのロールモデルもなく、先輩もいなく、取引先からはプロとしてのハードルを求められそれができずバカにされた日々。
音楽ビジネス知識も体制も職種のあり方もアーティストとの関わりも、0から1を作るばかりで身体と心を壊す寸前だったけど、いや壊したな、うん壊れてたなw。
会社に10年いてこれからのキャリアに悩んでいた。
でも気づいた。「私はありのままの私でありたい、それを活かしたい。」
コーチングを受けてそれに気づいた。
キャリアじゃなくて、
誰かの期待に応える、自分を殺したこの生き方をやめたくて悩んでいるんだと気づいてしまった。
マイコーチからもらった言葉はたくさんあるが、完了セッションの時に言ってくれた言葉は
「初めて会った時、本気のクライアント来たなと思いました。」だとか。笑
本気中の本気のやつw
まるで悪口のように書いた芸能業界の人たちのことを、敵だと思っていた。でもそれは自分の見え方だった。人それぞれ価値観も違う。
「出会ってくれた全ての人がいるから、今の私がいる」、そう思えた。
また、自分と合わない人・自分を大切にしてくれない人は、世の中に一定数いる。無理にそこに合わせなくていいんだとも気づいた。
自分がいたい環境は自分で作ることもできるし、環境を変えることも選択できると気づいた。
コーチングを受けて1年後には、自分の大事にしたい価値観や何のために生まれてきたんだっけ?を思い出せる言葉、自分が人生を選択し、今から創るという意識のクセがついていた。日々の挑戦のできないことからも学び、そして行動し、私は必死だった。
▼仲間よ、ありがとう
仕事は1日の中で最も時間を使う。1年で考えたら、仕事がほぼ自分の過ごす時間だと気づいた。
「1日の中で一緒にいる人たちが、信頼できる仲間やコーチたちだったらどんなに幸せかな〜。素敵な人たちばっかりなんだも〜ん。」
マイコーチやコーチング仲間がいたから、いつも応援してくれるパートナーに支えられたから、なんとかやってこれてるけど、そんな時間もあっという間に過ぎる。
ある時限界値が超えたみたいに、すごくフラットな気持ちで、
退職届を書くために便箋を買いに行ってた。
前にいた環境が嫌いとかではない。
育成して携わったアーティスト・生徒は愛おしい。
あーだこーだ言って切磋琢磨した、仕事の仲間や上司が好き。
でもこれから、私は私の命をもっとシンプルに使いたいんだ、ありがとう今まで。
育ててくれてありがとうございます、そんな想いだった。
2年前はコーチになると思っていなかったけど、私はコーチングが好きだし、こんな人への関わり方って幸せしか生まないと思うんだよ、うん、信じようと思う、この自分を。
不思議なことに、上級コースも終盤にかかった今年2021年に、
やっと父と私自身も許せた。
不器用で昭和の亭主関白怒りんぼうの父に感謝している。愛も感じる。
なぜか今年、父の態度も変わった。母は天国にいるけど、よかったよ、父が生きている間に許すことができて。
何より、父を許していなかった自分を許すことができて、楽になった。
コーチングでそんなことにも向き合っていた。
▼最後に
こんなに長くなってしまった。もうこれ完全に自分の記録のために書いてます。
でもここまで読んでくださった方がいたならスーパーラブを差し上げたい。ケイのエアーハグもだよ。
そう、私は人によって傷つき、怒り、悲しみ、哀しみ、、、
でも人によって喜び、楽しみ、心が躍り、癒され、優しくなれて、大切なものを教えてくれて、大切な思い出を作れて、笑い、目一杯ジャンプできるくらい生きてる実感を感じることができる。
私にとって人生とは生きるとは、「人」は欠かせない。「愛」も欠かせない。
これからもいっぱい自分に愛を与え、
今つながっている人たちやこれから出会うであろう人たちにいっぱい愛を伝えて、
生きていくんだと思う。
そしてこれからも、やっと取り戻せたありのままの私で生きていこう。
未来の自分へ
サンキューベイベ。忘れんなよ。このこと。不完全でステキなケイ★より。