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水と龍神と弁天と宇賀神と空海と🍠

🌾メンバーシップようではないです





前にメンバーシップ限定で出していたものを抜粋しました🍠

この記事を公開して(3月25日)以後

4月23日
天皇陛下がサミットでお話されました

私は芋占い師
予想していました(嘘です🤪)


フツーに驚きました!🤣
龍蛇信仰、水についてのお話


私の記事よりも
こちらの動画をご覧になって下さい🍠


私も対抗してこちら!
おーるおいもにっぽん!🍠



私のしょうもない
文章を読みたい方がいましたら
こちら

かなり抜粋しているので
抜け落ちたところは
補正してください

空海とかのとこは
抜け落ちてますかね🍠
その後の考察も抜け落ちてます🍠

かなり
バーッと書いた印象ですね( ´艸`)
私も天皇陛下のように
綺麗に流れるような文章を書きたいも🍠


蛇とは何なのか?について考察していきたい。
個人的には、龍と蛇についてはシンボリックに観て、抽象度をあげればほぼイコールとみれると思う。
 「蛇」について考えていくとまず、世界の各所で信仰の対象であったと言える。キリスト教ではアダムとイヴをそそのかしたことは有名である。また『ナーガ上のブッダ』の彫刻にも表されているように、仏教では釈迦の瞑想中に雨風を凌いだなどの話がある。シンボリックで、ある種の宗教的な存在であり、古くから信仰されていたことがうかがえる。日本においても例外ではなく、縄文時代からその痕跡は観られる。土器において明らかに、蛇のような形がはっきりと見える。神道を本質的に宗教とみなすかは微妙なところではあるが、神道においても注連縄なども蛇の表現ではないかと言われている。
なぜか。一説によれば、見た目が男根に似ていることから、生命の根源、生命力の象徴とされたことなどがある。また脱皮をしたり、長期間食べなくても生きられることから、不老不死などと崇められていたということだ。確かに、原始的な時代において動物信仰として、そのような見方があったことは否定できない。子孫繁栄や、不老不死に対する欲望はある程度普遍的な価値があったように思える。また、畏怖の存在であったともいえる、蛇の鳴き声に近い周波数帯の音を聞くとサルは身体レベルで恐怖のシグナルが出るそうだ。人間にとっても蛇は天敵であり、噛まれてしまえば毒で殺されてしまう。少々短絡的ではあるが蛇は死と生に結び付いた存在であり、それはまた宗教的な存在としての十分な要素をもっていたと言うこともあながち間違っていないように思える。
 ところで、蛇は何故「水」、「雨」と関わり、「水神」とみなされたのか。『宇賀弁才天座像』、八部衆の『沙羯羅像』などは象徴的に水神としての性質を表している。宇賀神は日本神話の宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来すると考えられている。頭部が翁であったり、女性だったりする。頭部が翁である場合の宇賀神に関しては宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』で千が初めての大仕事で、薬湯につかってきれいになって帰っていったあの神様を想起する。彼は頭部が翁であり、体は白かった。川の神であったか、ごみを捨てられて汚くなっていたが、薬湯によって浄化され、本来の姿になって帰っていった。これは宮崎駿監督がシンボリックな表現として宇賀神を用いた例と考えることも出来る。穿ちすぎだろうか。いずれにしろ、宇賀神の弁才天との結びつきの濃さが、蛇と水の関係性を否定することを不可能にしているように思える。

次に沙羯羅像は八部衆の龍に相当する。奈良時代に作られたとされている。雨を呼ぶ力を持っているとされる。頭には蛇を巻いている。顔は少年のようである。水との関係性がはっきり感じられる。また、岩国における白蛇弁財天白蛇弁才天の伝承では蛇行する蛇の形が川と似ているため、川の神としての性質の強い弁才天と重ねられたという説がある。習合していく中で複雑性を増したり、抽象性が高くなったり、規範が緩んでいくことは考えられるが、蛇と水の関係性は見て取れる。
しかし、このままでは、腑に落ちない。
ここからはかなり主観的であり、民族の生活世界に没入して調べてみることとする。地方出身者や、田舎と呼ばれる地域に住んでいる方々の話では、蛇は雨が降った日に出てくるという話、蒸し暑い日に出てくるという話、水辺に現れるという話、泳いで渡ったのを見たことがあると言う話が出た。これは、科学で裏付ける必要性も感じないが一応のため、根拠を考えてみたい。蛇はまず、変温動物であるということを考えれば、かなり説明がつくように思える。雨の日では、地面が冷えているため、活動がしづらい。よってどこかに静かに書くれている必要がある。しかし、雨が上がれば、体温を調節しなければならないし、日光を浴びる必要があり、餌を確保する必要もある。よって、雨が上がったくらいに活動が活発になるということは考えられよう。これらのことは、経験的に語られたことであるし、かなり本質的だと思える。水辺に現れれば、水との関わりから水の主、水の神が連想されることも十分考えられる。蛇が泳いでいる姿はある意味で神秘的にも見える。蛇が水の神と呼ばれることに違和感はないのではないか。

 ここまで、龍と蛇は特に区別することなく語って来た。習合していっただけということも出来るし、単純にシンボリックな表現として相違なく、区別なく用いているだけかもしれない。蛇にも龍にも、鱗があり、動き方も似ているように思える。蛇はより原始的だと考えられる。龍の方は人間が抽象思考をより洗練させ、仮想の能力を上げるまでに脳を発達させた段階で考えられたという言い方も可能であるかもしれない。(いや、龍なるものが実在していたのか。それについては憶測の域を出ない。)また龍はと読むこともでき、より水との結びつきが強いのかもしれない。であれば龍の方が具体性が高いのかもしれない。

ならば、龍ではない蛇は何を表すのか。龍で表せない蛇、それは何であるかを考えてみたい。日本の蛇、龍を理解しようと考えたならば、各国との関係性、歴史性、流れを見る必要があるのかもしれないと思い色々探してみた。🍠🍠🍠🍠において、🍠🍠🍠と🍠🍠🍠🍠の壁画を見てみると、🍠🍠🍠は下半身が蛇である。これは理解できない。人間が高度な抽象思考、仮想が出来たことで、蛇のシンボリックな要素と人間を合成させたのか。他に、『🍠🍠と🍠🍠🍠』でも下半身が蛇であり、上半身が人間である。これらの類似がみられることも不思議である。他に、🍠🍠🍠🍠🍠にある『🍠🍠🍠🍠🍠像』ではライオンと人間の半獣半人であり、蛇が巻き付いている。ちなみに宇賀神も頭が翁であった。ユング的な元型から見ればありえないことではないと言えそうなのだが、不思議である。

ここでこれまでの知識を確認し、考察していきたい。蛇は、原始的、実在的なものである。それは男根に似ている。生と死に深くかかわり、人間にとっては畏怖の対象であり、また崇拝される存在でもある。蛇の部分集合として龍を想定したときに、立ち上がって来る蛇の要素を拾い上げた時、単に習合という観点から見えない、遡行的な解釈が可能になり、人類の歴史に踏み入ることが出来るのではないかと考える。
それは今後の課題であるし、長期的な研究が必要である。
オカルトに走らないように気を付けて、研究を進めたい。

😅


結局何もわからないのか~い!🍠( ´艸`)





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