女子高生と、インターネットの恩人さん
分かる方がどれくらいいるか不明ですが、昔、個人サイトに足跡帳ってありましたよね?
mixiのあしあとじゃないですよ。
BBSに書き込むほど交流求めてないけど、このサイト見たからコメント残していくよ~っていう一回きりのアレです。(伝われ!!!)
横文字があったような気がする…とずっと考えていましたが、ゲストブックだったかな。
今、私のnoteのトップに固定している記事が、うれしいことに毎日のようにスキを押してもらえていて、足跡帳みたいだな~ってふと思いまして。
もはや個人サイトっていう響き自体が過去のものなのかもしれませんが。
私、今でこそ凡人以下のPCスキルしかないですが、高校生の頃は最先端ガールだったんです。
昭和59年生まれながら、父がSEだったので生まれた時から家にパソコンが数台あり、小学生の頃はスーファミの代わりにフロッピーに入ったゲーム(あんまりおもしろくない)やワープロで遊んでいました。
今のように同期なんて便利なシステムもなく、PCを買い替える時はメールやブックマークの移行の仕方を全部調べながら、遅すぎるインポートに耐えながら3日くらいかけてやり遂げたり、けっこう頑張ってました。同期って、たまに音楽とかで「あぁあああ違うぅぅ間違えたぁ同期しないでええぇ」ってなるけど、やっぱり同期考えた人は天才です。
そんなインターネットが世間で流行りだしたのは中学生の時。5つ上の姉世代がポケベルからケータイへ移行していた頃かな?
そういえばケータイも、利用者が増えて番号が今の11桁に変わることになって、コンビニ??(ほんとか?)かどっかでその手続きが出来たと思うんですけど、姉がそれに行ってるのを見てなんだか大人な感じがしたものです。
調べたら1999年1月1日から変更だったそうなので、中学3年生の時。中3で持ってたのは学年でも数人の目立つ子くらいで、私は高1でちょっと早めのケータイデビューでした。
そしてインターネット。我が家にも、父の仕事用じゃないデスクトップパソコンがやってきて、私はそれを独り占め。当時はその画面の薄さに驚愕でした。そしてテレホーダイって何?って勢いで23時前でもガンガン使っちゃってました。だって重いしもうすぐ寝るし。母は気になってただろうけど、父が無頓着だったので。請求、いくらだったんだろ。申し訳なかったなぁ。
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当時、プロバイダのトップページにはいくつかチャットルームがあって、そこに入っていろんな大人の方と話をしました。高1っていうとみんなビックリして、場違いだったと思うけどみんな優しく相手してくれてましたね。
何を話してたかなんて、もう全部忘れてしまいましたが、ひとつだけ忘れられない会話があります。
20歳くらいの男性が、高1で学校を辞めたい、つまんないという私に、かけてくれた言葉。
「自分の好きな場所、好きな人を増やしていくんだよ。それが人生のいいとこだから。」
今思えば、20歳でこんなことが言えるってすごいなと思います。彼のHNも覚えてます。がるべすさん。がるべすって何?ってずっと思ってたけど、数年前、野球選手の名前だったと知りました。遅。
この言葉を完全に忘れていた時期や、もし覚えていたとしても響かない時期も長かったけれど、やっぱりたまに思い出しては、なんて素敵な言葉だったんだろう、と思います。
高校を辞めたかった理由はいじめでも何でもなく、ただ「高校って思ってたより全然つまんない」「授業、特に体育死ぬほどめんどくさい大嫌い」とかだったんですが、やっぱり高校は出てないとって近所のお世話になってた大人(ECCの先生。親には相談しないのが高校生)に言われたりしました。
こうして書くとそんな理由で辞めんなよですが、女子にとって体育の憂鬱さって異常なんですよね。
でも、我慢して半年も通った頃にはそれなりに楽しいこともありました。帰宅部でぜんぜん青春とかじゃないけど、いつも一緒に登下校していた地元の友達がすごく面白い子だったし、高2、高3になると好きな授業や先生もできて、いろんなタイプの子と仲良くなったりもして。
まぁ、高3で遅めの爆発的反抗期がやってきて時々サボるようになっちゃいましたが、やっぱり卒業してよかったなと普通に思います。
自分でも本気で辞める気なんてなかったのかもしれない、でも、結構しんどくて。
そんな時にあの言葉があったから、あぁ、、って思えた。まだよくわからなかったけれど、深い意味が込められているように感じました。
高校生でネットに出会っていなければ、きっと今も知らない言葉だったので、親にも感謝しています。
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