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読売新聞さんから取材を受けた件/シナリオライター13年生のざっくり雑記

上野動物園のジャイアントパンダ「リーリー」(オス、19歳)と「シンシン」(メス、19歳)は29日、中国に返還される。愛くるしい姿で日本中を魅了した2頭。別れを惜しむ声はやまず、園を訪れる人も絶えない。

上野のパンダ「リーリー」と「シンシン」、お別れカウントダウン…あす最終日
読売新聞オンライン


上野動物園のリーリーとシンシンが、中国へ帰りました。


2頭は高血圧で体調が思わしくなく、帰国という判断となったそうです。人間年齢に換算して60歳くらい。いろいろと体調不安も出てくる年齢かと思いますので、致し方ないことと理解しております。

日本は楽しかったかい?

いまごろ、お里の懐かしい空気や、おいしい笹をたくさん食べていてくれるといいな。



さて、上記の記事についてですが。

「来園したときと比べたら、大きくなったな」。神奈川県在住のシナリオライター(36)も、かつての2頭の姿を思い浮かべて懐かしむ。

高校時代、パンダの抱き枕を買ったのをきっかけに、ぬいぐるみや携帯ストラップなどパンダグッズを集めるように。専門学校に進むと、和歌山県のアドベンチャーワールドで実物を初めて見てさらにとりこになり、機会を見つけて通うようになった。

上野のパンダ「リーリー」と「シンシン」、お別れカウントダウン…あす最終日
読売新聞オンライン

…………???

神奈川県在住の?

シナリオライター?

36???

私だ。


記者さんの隣でバシャバシャ撮ったうちの一枚。リーリー!


そうなんです。人生で初めて新聞社さんから取材を受けました


というか、


読売新聞さんからの取材申込のメールで2頭が中国に帰るということを知る羽目になりました(笑)

大変奇妙かつショックかつ複雑すぎる気持ちを味わわせていただきました…(笑笑)


ショックのあまり丸1日近くメールを返せなかったんですが(ガチ)

「ああ。これも、リーリーが私にくれた貴重な“縁”の一つだな。」

そんなことを思い、取材を快諾したのです。


たくさんの“縁”をくれたパンダ、リーリー。


パンダが好きです。きっとずっと好き。

私がパンダ好きになった理由や、リーリーたちの日本での名前の公募が始まったときに迷わず手を挙げた経緯などは、記事にて記者さんがきれ~~~にまとめてくれているので、そちらをお読みいただけたらと思います。


それは私が、フリーのシナリオライターになって1年目のできごとでしたホワンホワンホワンホワン…(唐突な回想シーン)

当時のわたしは、まだ自分で仕事を取ってこられるような実績も何もなくて、吹けば飛んでくペラペラの白紙のような存在でした。

時代も、今ほどシナリオライターの社員登用があったわけではなく、シナリオ書くならフリーでやるしかない――

覚悟を決めた私は、恩師の紹介で知り合った某社長さんに、フリーとして戦っていく方法をいろいろと相談しておりました。

ある日。


その方に、私が上野のパンダ・リーリーの名付け親であることがバレました。

「ハ!?そうなの!?」と驚かれた。

…いや、別に隠してたわけじゃないんです…が、

こういうことって、あんまりひけらかすべきではない

という心理が働いていたんです、当時の私。


小学生の頃、なにかのコンクールで賞をもらったときに、それを周りに話してたら、面倒くさいクラスメートの男の子に2年間ずーーーーっと睨まれる嫌がらせを受けるなどしたことがトラウマになっていたこと、

また、就職面接のときの圧迫面接で、「なんでそんな『自分はできる』アピールするの?」と言われたこともあり。(いや面接なんだから当たり前だろと今では思う)

あの圧迫面接は一生のトラウマです。圧迫面接なくなれ。


自分のことは、あまり周囲にひけらかすべきではない。

そういう暗示を、自分で自分にかけるようになってしまったんです。



さて。私がリーリーの名付け親だと知った某社長、目ん玉ひんむいてこう言いました。


「すごいじゃん! それ名刺に書いて!! パンダの話するたびに織り交ぜて!! 絶対人に覚えてもらえる、“縁”になるから!!」


そう言われたとき、最初は「えぇ…???そんなの…」となったんですが、


その後、わりとすぐに、救われたような気持ちになったんですよね。


「あ、言っていいんだ」「好きなこと話していいんだ」


そうあっさり思えたのも、ずっと私が大好きなパンダやリーリーの話をするのを我慢してきたせいなのかもしれないです。

※今でも当時のこと思い出すと涙が出ます。。

それまで、交流会や縁繋ぎの場へ行っても、

「シナリオ書きます(終わり)」で。

まわりの反応も、

「あ、そうですか。なんかあったら頼みます」

で解散~みたいになっていました。

某社長の「絶対人に覚えてもらえるよ」という言葉をいただいてからは、交流会に行くたびにパンダのTシャツやグッズを目立つところに身につけるようになりました。

すると自然に「パンダ好きなの?」と聞いてくれる人がいます。

そこからパンダの話をさせてもらえて。

好きなことだから、つい饒舌になってしまって。

みんな知ってる上野のリーリーの話にもなっていって。

「ああ、あのパンダの名付け親の人!」って、覚えてもらえることも多くなりました。

同じパンダ好きの人と知り合うこともあり、ずっと緊張してばかりで苦手だと思っていた交流会を、心から楽しめるようにもなりました。

日本でリーリーに会う最後の日。
一瞬だけ、リーリーと目があった。うれしかった。


9月19日が、日本でリーリーに会う最後の日となりました。

リーリー(ビーリー)は、自分の名前なんてどうでもいいって考えてるかもしれない。

もちろん、私がシナリオライターとしてやってきた13年なんて「なにそれ?おいしいの?」状態。

それでいいのです。好きに、自分勝手に生きてほしいのです。

私に好きに生きることを教えてくれて、そうすることでこそ“縁”をつなげるのだと教えてくれたのが、リーリーなのですから。

謝辞

お世話になった読売新聞記者の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。炎天下に上野に呼びつけて60分以上一緒に並んでもらって本当にすみませんでした(土下座)

記事はリーリーとの素敵な思い出になりました。一生大事にします。

みなさんとの縁もリーリーが繋いでくれました。

そしてなにより某社長にも感謝を。ご無沙汰しています。また機会があればお仕事手伝わせてください。

オチないからオチをつける。


旦那氏「記事読みました」

おとの(リアクションわくわく)

旦那氏「とても綺麗な内容だが、しかし、その本性は、人外魔境熊猫狂」

おとの「wwwwwwwwwwwwwwww」


はいどうも人外魔境熊猫狂です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

これからもずっとずっとずーーーっとパンダ大好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


いただいたご支援は、今後の更なる創作活動のために活用したいと思っています。アプリゲーム作ったり、アニメ作ったり、夢があるの!(>ェ<)