自分が複雑夢女であることが再認識できただけだった

“夢”の夢を見た。
推しと私がハグしてイチャつく夢だ。
目が覚めた時は嬉しかった。推しとハグ、したいに決まっているからである。

でも待てよ、私は推しと一切関わりを持ちたくない(けど推しとハグはしたいというジレンマを抱える)タイプのうちの子型夢女…自己投影なんてしていないはず……アレ…????

何も分からなくなってしまった。頭の中が鳥取砂丘より広大になった。
見て見ぬふりをすることは簡単だが、ツイッターで夢垢を持っている身としてはツイプロの注意書きに真実を書くことが大切になる。

というわけで、自己分析頑張りました。
最後にまとめがあります。


私の夢創作の実態

まず、そもそも自分の夢女としての生き方はどないなもんか?と思ったので、これを可能な限り言語化した上で、自己投影をしているか否かの分析に進みたい。
夢女も千差万別で、「○○型」と呼ばれる中にも色々なタイプがいる。ここを可視化することは非常に重要だと思っている。
なぜならツイプロにはできるだけ真実を書かなきゃいけないから。


前提として私はうちの子型=3次創作夢女であり、夢主を原作に放り込んで夢主視点での物語を構築して楽しんでいる。
なぜ3次創作夢女になったかというと、占いツクール出身だからだと思う。
あそこの小説は名前変換機能こそあるものの、夢主にはしっかり自我があるし個性もある。あれは3次創作、ひいては夢創作と言える。

ここで、自分の夢創作のやり方を振り返ってみる。

非常に分かりやすい表現を見つけたので引用させていただく。引用元はこちらから。

自己投影する為の夢主を「自分を模したキャラ(異世界転移ものの主人公に多い。現代人、現実の自分と同じ名前が多い。)」と考えている人もいれば、「自分の意志を入れた架空のキャラ(異世界転生ものの主人公に多い。オッドアイやアルビノや有翼人などの変わった容姿、ペンネーム、ハンドルネームのような名前が多い。)」と考えている人もいる。
▫️分かりやすく言えば、異世界転移はごっこ遊び、異世界転生は人形遊びである。

まさにこれなのである。異世界転生、つまり「人形遊び」。
私の夢主は私自身とは容姿も性格も程遠く、私の理想や性癖を完全に反映したキャラクターである。私、音々という人間とは全くの別人。
自分の好きなように人形をキャラメイクし、自分で操る。原作のキャラクターたちと絡むのは私自身ではなく夢主がいいし、夢主というキャラクターの性格から外れたことはしたくないから、私がキャラクターになりきる「ごっこ遊び」とは違う。

つまりどういう事かと言うと、私の夢創作の実態は
「私は人形師であり、夢創作の世界という箱のなかで夢主の人形を操り“夢主の人生”という演目を行っている」
ということ。
この表現が1番しっくり来た。


私は夢主に自己投影をしているのか

私の生態がだいぶ分かったので、いよいよ本題へ。


最初に書いたとおり、私は推しと一切関わりを持ちたくない(けど推しとハグはしたいというジレンマを抱える)タイプのうちの子型夢女である。
推しが私のことを好きになるどころか興味を持ったりすることすらも解釈違いで、死んでしまう。喉をかっ切りたくなる。
一方私の夢主はとっても魅力的なので、色んな人が夢主を好きになってしまうのも当然のことである。そう、当然のこと。だから推しは夢主と仲良くお喋りするし手も繋ぐしハグもするし何ならその先までできちゃうのだ。

ここでふと気付く。
私がしたいことを“私”ではできないから夢主にやらせているのか?
夢主を自分の手で操り、自分のことのように楽しむことで自分の欲求を満たしているのか?

なるほど、もしそうだとしたらそれは自己投影に該当する。自己投影してるじゃん。

結論:自己投影してるわ

でも待って。だからといって自己投影型夢女なわけじゃないと思うんだ。弁解させてくれ。


弁解

そもそもオタクが言う「自己投影」って何ぞやと思って調べてみたら、noteで簡潔に言語化してくれている人がいたので引用させてもらう。

A.共感、感情移入、同一化と似た意味の「自己投影」。多くの人がやっている。
B.同一化した特定のキャラを不自然に優遇するメアリー・スー的な「自己投影」。
C.受け(orヒロイン)に視点が置かれるという意味の「自己投影」。

ちなみにこの中でもBとCは叩かれやすいらしいよ。怖いね。

Aについて、これは夢とか関係なく作品を楽しむ人なら割と誰でもやってるやつ。
悲しんでる推しの気持ちになって自分も涙したりする、ああいうやつ。私もやってます。

Bについて。そもそもメアリー・スーとは、

・二次創作において、原作のキャラクター以上に活躍する、オリジナルキャラクターのこと。
・例としては、最強・美貌・人気者・人気キャラクターと恋仲になる、などが挙げられる。

という存在らしい。
私の夢主は「私が憧れる超人的理想人間」な面が強いから、イケメンだし、チート的能力を持ってたりするし、私の推しに軒並み好かれる。つまり私はBもやってるということになる。

Cについて、「視点が置かれる」の意味がイマイチ理解できていないが、私の夢創作は夢主が主人公なので、夢主から見た世界が全てとなる。つまり私はCもやってるというわけだ。


……全部やってるやんけ!!!!!アレ!?!?!?
私は自己投影型夢女だった…?????

いやでも、そもそも自己投影型の範囲・定義があやふやだし、人による所も大きいと思う。
noteでまた分かりやすく言ってくれている人がいたので引用させてもらう。

オタク界隈で言う自己投影型とは、自分ではない二次元の存在をあたかも自分と同一人物と思い込むことができる能力を有する人を示す言葉

なるほど。つまり“夢主と自分の同一化”ができる人を指す言葉なわけだ。

例えば、“代理キャラ”という文化がある。あれは「見た目(場合によっては名前も)が違うだけの私自身」という存在であり、
そういう代理キャラ的夢主を使って楽しむ夢女は“夢主と自分の同一化”をしている。

私はそういう「9割くらいは自分」みたいな夢主で夢活をしている人を自己投影型夢女と呼んでいるんだけど、引用したnoteを基準にすれば大体合っていそうな感じがする。


じゃあ、私は夢主と自分の同一化をしているのか?

それは違う。

前述の通り、そもそも夢主は私ではない(断言)。
その時点で同一化はしていないことが分かると思う。

※しかしながら、同一化はしていないが感情移入はしている。先述のとおり、夢主の人生を“自分のことのように楽しむことで自分の欲求を満たしている”からである。
かなりクソデカ感情移入である。


蛇足になるが、ここで「なぜ操っているのは自分なのに夢主の性格を尊重してしまうの?」という疑問が浮かぶ。

それには訳があって、
夢主の人格を曲げてまで自分の欲求を満たすには、夢主のことをひとつのキャラクターとして好きになりすぎているということが挙げられる。つまり、夢主が推しなのである。
二次創作における「キャラ崩壊」が苦手なように、私の自我が在ったとしても夢主の人格は曲げられない、曲げたくないのである。

実際、私は夢主というキャラクターに対しても撫でたりとかハグしたりとか襲ったりとか色々なことをしたいという欲求がある。複雑かよ。


そういう点を踏まえると、自己投影は3割くらいってことになるんだろうか?正確な割合は分からないが、少なくとも“夢主と自分の同一化”はしていない。

とはいえ、今回問題なのは「私が夢主に自己投影をしているか否か」であり、その結論としては「している」ということになる。
しかし夢主と自分の同一化はしていないので、一般的な「自己投影型夢女」には分類されないだろう。


まとめ

夢主に自己投影を少しでもしているか?と言われたら、している。
しかし、一般的な「自己投影型夢女」ほど自己投影はしていないし、夢主と自分を同一化してもいない。
私は夢主のことを一人のキャラとして推しているから“私の自我”が夢主に出てくることはまずない。

こんなところか!?!?
流石に疲れた。目が痛いです。


自分のことというのは、案外自分では分からないものである。
自分では認めたくない、見ない振りをしている部分があるなんてことはザラ。それを言語化ないしは可視化することで、初めて自分で認識する。これがなかなか難しい。
今回は夢女としての自己分析だったけど、けっこうな成果を得られたんじゃないだろうか。
自分と向き合うことは夢主と向き合うことでもあり、ひいては推しと向き合うことでもあるのだから。

めっちゃ頭良さそうな文章の書き方したな。ワイ最強!


☆頭悪いことに変わりなし___!!

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