第32回 haruna 白金
先月フーディのことについて書き、何か反響あるかなあと構えていたが、ぼくには何も聞こえてこなかった。尊敬する証券アナリストにして超美食家のKさん曰く、伊藤さんの文章は長いのでフーディは読まないですよと諭された。これからも頑張って長い文章を書いていこうと思う。
さて、
あるピアノの演奏を聴いて、この演奏が、ピアノの先生によるのか、2000人を沸かせるコンサートピアニストのものか、ぼくには、その差が説明できるほどには分からない。友人のカナダ人ギタリストは、好きなギタリストとしてジョン・レノンの名前を挙げる。ぼくは正直、そんなに上手な方だと思っていなかった。カナダ人曰く、超絶技巧だとか言われる早弾きなんて練習すれば誰でもできるようになるが、ジョン・レノンの音色は出せないのだという。
飲食の世界にも、やはり才能というものが確実にあって、料理を作るプロとおいしい料理を作るプロが存在する。しかし大多数は、スペックや来歴などの情報と無数の料理写真に味覚の大半は奪われ、その差異が分かりにくい。ただぼくの場合、ピアノやギターの音色は聴き分けられなくても、おいしいかどうかについては判断できる気がするし、情報や画像を排除して、真実を見極めようと常に探求しているつもりだ。
その視点から俯瞰すると、★などの評価はいったい何をどう食べているのかと思う。極端に予約が取れないといった偏りにも、ぼくには信じがたいズレを感じる場合がある。だけど一つ一つ、どこの誰かなんて書かないし、というか、多くの料理人との人間関係が壊れるような気がして、怖くて書けるものではない。
いっぽう、おいしいなあと嘆息したレストランなら胸を張って紹介でき、過去もしてきた。今回も、スペックや来歴、★などとは関係ない、ぼくが感じるおいしい料理にありつける一軒である。
と、レストランが登場するまですでに700字を越えてしまった。いいペースだ。
広尾からも白金高輪からも白金台からも平均的に遠い『haruna』は、2024年2月にオープンした。散歩中に偶然見つけ、黒板メニューにぐぐっと吸い寄せられ、それから3度訪問した。
元々、白金高輪の駅前で、ブラッスリ-として7年以上お店を続けてこられたそうだが、残念ながらその時に伺った記憶がなかった。それから4年のブランクを経て、ブラッスリーをフレンチ酒場と日本語の冠にして『haruna』は再スタート。料理店というよりは、倉庫かスタジオだったかなと思わせる四角い空間。以前は会員制の居酒屋だったと聞く。どおりで前を通っても気にならなかったわけだ。テーブル席はゆったりとして、厨房を囲むカウンター席と個室まで完備のフル態勢を男女二人で仕切る。カウンター数席にワンオペという、最近散見される省力省人高利益なオペレーションを望まず、きちんとrestaurantに仕上げている姿勢が頼もしい。
ところで、料理人がインタビューなどで揚げる常套句に、「素材の持ち味を生かして・・・」があるが、これはプロなら当たり前のことではないかといつも思う。料理に関心のある主婦でも、それを考えながらスーパー内を歩く。ただ、意外にも素材の持ち味を生かすところで留まっている料理人は多い。素材の持ち味が生きるための独創性を、ぼくはいつも探し求めている。例えば、先日訪れた焼鳥店では、砂肝に塩だけではなく軽くローズマリーの香りをまとわせ砂肝自体のおいしさを増幅させていた。その点が冒頭でも書いた、コンサートピアニストとピアノ教師の違いではないだろうか。
『haruna』の春名正裕シェフは、「れんこんのスパイシーマリネ」など辛い味付けは痺れるほど辛く、「しょうゆ麹のトリハム」はねっとりと麹の旨味深く、「根菜のコンフィ」は、見かけなど気にしない茶色ずくめの皿。ブータンノワールは揚げ物として提供され、アンドゥイエットはテリーヌに仕上げ、こちらは焼いて酸の利いたソースをかける。こうして巧みなひねりを見せる前菜に対し、メインの肉は豪快。炭火焼も煮込みも、シェフの情熱を具現するように赤く逞しい。それらをすべてアラカルトとして客に選ばせるのだ。
いずれの料理も様々な角度から口内を攻められ、おいしさは無限。食べ飽きることもない。ラストにはパスタやリゾットもあり、「アラビアータ」は、ビストロが提供するレベルを超越している。
ワインを注文する際、最初は泡でというと、うちはシャンパーニュしかなくて9000円でと、フレンドリーな女性スタッフから告げられる。シャンパーニュとしては破格だけど、ワインはそこそこ高級かもと構えつつ次のワインを頼んだら7000円のものを数本。逡巡していると、5000円もありますよとウレシイ提案で、結局5000円を2本飲んでしまった。さすが、ワイン酒場である。
haruna
東京都港区白金5-12-12 門脇ビル 1階
080-4084-0867