第33回 ワインマンファクトリー 田町
前回、料理を作るプロとおいしい料理を作るプロについて、音楽家の例を挙げて書いてみた。比較的ご理解をいただいたようだが、つまりは、「素材の持ち味を生かす」だけでは、他店の皿との差別化は難しいということだ。ゆえ、似たような写真ばかりがネット上に溢れるのかもしれない。素材の持ち味に加わる独創性こそが、おいしい料理を生み出すための才能なのだろう。
今回紹介する『ワインマンファクトリー』の井上裕一シェフは、元々目黒の山手道り沿いでイタリア料理店『アンティカブラチェリアベッリターリア』を成功させ、不動前に『ワインマン』なる立ち飲み兼ワインや食材の物販も始めていた。ただ井上さんの中では、自分でワインを醸造したいとの思いが募っていたのだろう。その後『アンティカブラチェリアベッリターリア』と『ワインマン』を合体させ、そこにワインのタンクを持ち込みオリジナルワインの醸造所も加えて、新たに『ワインマンファクトリー』を田町にオープン。ずっと目黒界隈のシェフというイメージが強かったので、さすがに真反対の田町には驚いた。一階はワインのタンクとカウンターのみのレストランスペース。2回には軽いパーティもできる大きなテーブルと周りの棚にはズラリと購入可能なワインが並ぶ。コンパクトながらも井上シェフの理想に、この田町の物件がハマったに違いない。
移転当初は『アンティカブラチェリアベッリターリア』を一階で、『ワインマン』を二階にとそんな展開だったが、先日伺ってスタッフに訊くと、今のところは『ワインマンファクトリー』で一本化との解答。普段は二階をテーブル席として案内するようで、スタッフの皆さんが元気よく階段を上り下りしていた。
田町で開業以降も料理はずっと変わりつつあったが、今回大きく進化を遂げていて、やはりおいしい料理を作るプロだと心が震えた。一皿一皿、ものすごく手が込んでいる。カツオも生カキにも、数々のオリジナルな調味料、漬けこんで刻まれたり香ばしく炒められたりした野菜、世界中のスパイス等を添える。本来なら素材の持ち味は薄れてしまうと考えるだろう。そこは入念に綿密に測られたバランス。素材を見極める力も当然だが、それだけの個性的な脇役に支えられるからこそなのか、メイン素材はさらに、不思議なくらい際立っている。もちろん試行錯誤もされているかと思うが、どうしたらこの組合せを思いつくのかと頭の中を覗いてみたいぐらいだ。いっぽうハマグリの出汁に豆腐と冬瓜とプリプリのハマグリの身という器もあった。ここに良質のオリーブオイルがかかってなければほとんど和なのだ。
その辺の感じたことを井上シェフに問うと、自分はアシスタントをつけるのをやめて料理は一人でやることにした。結果、教えなくてもいい、背中を見せなくてもいい。つまり、イタリア料理をやらなくてもいいと気付いた、というのだ。特に井上さんのような職人気質の料理人は、いろいろな重荷を背負い、師匠への思慕やしきたりにも縛られながら活路を見出してきたのだと嘆息しつつ、重荷を降ろしたときの瞬発力にも瞠目した。ひとところに安住せず、変わり続ける料理人は数多くいると思う。ただ、この人本当にこれが好きなんだろうなあとの溢れる気持ちと進化の行程とがシンクロしている、井上さんのようなシェフはなかなかいない。
■ワインマンファクトリー
東京都港区芝5-20-22 1階
03-6412-8251