感受性を捨てなきゃ社会ではやっていけない

教育の仕方を知らないまま先輩になった人がいる。口は達者で立ち位置もそれなりにある。だが体型がコンプレックスな割に気がとても強い。言葉のヤイバを常に放っているような人で後輩に対してはタイミング問わず目に入ったら声を掛けて単純な指示を出してくる。相手に一言言えばいいが分かってるかどうかを作業内容一つ一つを言うたびに相手が返事をしないといけない。そうしないと永遠に注意が続く感覚を人間が味わっていいのだろうか。仕事のことに意識を向けていると突然配慮もなしに意識をその人間に向けなきゃならないほどの勢いで肩を叩きながら声を掛けてくる。ただでさえ自分に与えられた仕事をこなして集中している最中にそれが起きる。場所問わずに相手のタイミングもお構いなしにそれが行われる。それが毎日起きるとどうなるか。人はトラウマを覚え考えるのを辞めてしまう。その人の声を聞くだけで自分が威圧的に命令されている感覚を味合わせてくる感覚を覚え萎縮して考えられなくなる。それが続いては本人にもいう事ができず他にそうだしても自分のせいでしょとヤジを飛ばされる。果てには精神的な苦痛に変わり仕事に対する意欲が薄れて行く。そんな毎日を送っていては得て体得した視野の広さによる起点の気配りができなくなる。作業時間が大幅に増え効率も下がり会社全体に波及する。仕事ができるからって教科書通りの指示を出していては下は育つことを諦める羽目になる。

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