「直感」が、わたしを動かした。大人の島留学2年目を迎えた、いま。
社会人6年目、勤めていた会社を退職し、大人の島留学に参画。
彼女が歩んだ1年と、その先は?
R5年度大人の島留学生として海士町に来島し、その後、制度を延長。
滞在先を知夫村に変え、仕事も変わった佐藤華奈さん。
島前に来て約1年。
海士町で1年間暮らし、何を感じ、何を考え、そしてなぜ、4月から知夫里島で暮らすことを選んだのか。
島での生活を通して感じたことや、これからのことについて伺いました。
その日のうちに決断した、大人の島留学
島に来る前は、地元の映画館でパートタイムで働いていました。
仕事は楽しいし、職場の雰囲気も良い。
大好きな映画も、たくさん見られる。
でも、
「このままで良いのかな……」
という思いも、心のどこかにありました。
「ずっと地元にいるのも、なんかちがうな」って。
何か変化が欲しいけれど、どうすればいいか分からないまま日々を過ごしていた時、テレビ番組の特集で海士町を知りました。
特集では大人の島留学についても紹介していて、見た瞬間に、
「これ面白そう! 行ってみたい!」
一目惚れみたいな感じでした。
テレビ番組が終わり、すぐにパソコンを開いて、「大人の島留学」を検索。
制度について調べていると、参加資格が「20〜29歳」と書いていて、当時の自分が26歳。
「あと3年しかない!」
映画館の仕事もいつの間にか3年目に入っていたので、3年ってあっという間に感じて。
ザッとホームページに目を通し、すぐにエントリーボタンをポチりました笑。
オンライン面接で「島でどんな仕事をしたいか」と聞かれて、自分の中にあったのは、「農業」というキーワード。
父親が青果市場に勤めていることもあって、農業にはもともと興味がありました。
加えて、大人の島留学を知ったテレビ番組でも、島の農業について取り上げられていて。
「島の農業はどうやってまわっているのかな?」
「島の食料事情って、どんな感じだろう?」
島の農業に疑問と興味がわいて、初年度は、島前地域で一番農業が盛んな海士町に決めました。
描いていた島生活
島留学1年目は、海士町役場の地産地商課に所属しました。
港にある島の直売所「しゃん山」で働きつつ、生産者さんが忙しいときには、畑しごとのお手伝い。
生産の現場と、流通の現場、両方に関わることができました。
同じ所属の島留学生と畑もしていて、自分たちが育てた野菜をしゃん山に出荷することもありました。
でも今年の2月にしゃん山は閉店してしまって。
1年もいなかったけれど、たくさんの島の方と出会えた場所だったので、寂しさを感じました。
島に来たら、今までしたことのないことに挑戦したいと思っていたので、プライベートでも野菜づくりをしました。
シェアハウスの目の前に畑ができる土地があり、 ご近所さんに教えていただいたり、苗や種を分けていただいたりして、たくさんの野菜をつくることができました。
「苗/種を分けてくださって、ありがとうございました!」って収穫したものをお礼に持っていくと、その倍くらい、さらに立派な収穫物をもらって帰ることがあって。
「この循環が島の食糧事情かな」と、仕事以外でも感じることができました。
港の近くで働きつつ、農作業もして、来島前に思い描いていた生活ができたと思います。
「延長」 という選択
島留学の面接では期間が終わった後のことも聞かれ、その時から、島に残ることに前向きな思いがありました。
1年過ごしてみて良いなと思ったら、延長か移住もありかも、と。
島留学に応募したのも、生活環境を変えたい、という思いがあってのことだったので。
来島後もその考えは変わらず。
島留学が始まって早い時期には、延長を決断していました。
延長に対しても、エントリーの時と同じく迷いはなかったです。
でも延長できるなら、ほかの島でも暮らしてみたい、という思いもありました。
海士町で過ごしている間、ほかの島に行く機会がほとんどなくて。
でも、暮らしてみないと分からないこともあるな、と思ったので、ほかの島での延長を希望しました。
「知夫里島」という選択
知夫を選んだのは、暮らしに惹かれたから。
来島後すぐのスタートアップ研修で、知夫里島と西ノ島を訪れる機会がありました。
知夫里島を訪れたのはこの時が初めて。
観光協会のガイドさんの案内で、知夫里島の観光地を巡りました。
赤ハゲ山や赤壁、島津島を案内していただいて、途中でたぬきや牛とも出会って。
ふと、
「ここでも暮らしてみたい。」
「海士より小さくて静かな島で、ここの暮らしはどんなだろう。」
と、そんな気持ちになりました。
以降、他の島に行く機会があまりないまま、1年目の島留学も残り1ヶ月、という時期に知夫で研修がありました。
1泊2日の任意参加の研修で、
「この機会を逃したら、いつ知夫に行くの!」
と思って、即参加連絡。
そこではスタートアップ研修ではなかなか見ることができなかった、島の日常的な姿も見ることができました。
知夫を選んだ理由の一つが、食。
甘いものが好きなんですけれど、来島前のイメージでは、島には和菓子屋さんとか洋菓子屋さんとかはなく、今までみたいに甘いものを食べられなくなると思っていました。
でも海士町には、毎週金曜日と土曜日に開くお菓子屋さんがあるし、自分が働いていたしゃん山には、知夫のお菓子屋さんのパンやお菓子が入荷する。
どちらのお店でも、初めて見るものが並ぶと、必ず購入していました。
どちらの店にもそれぞれ好きなお菓子がありました。
でも知夫には、海士では販売していないパンやお菓子があると聞き、まだ見ぬパンやお菓子を求めて知夫里島へ。
次に、たぬき。
動物も大好きで、赤ハゲ山で出会ったたぬきに一目惚れしました笑。
我ながらゆる〜い理由だな、とは思うんですけれど、そんな気軽さで離島に移住する人が増えたらいいな、とも思います。
それから、海士町で1年間暮らして思ったんですけれど、自分って人が多いところは苦手だな、って。
海士町の人口約2000人でもちょっと多く感じてしまって、もっと人の少ないところで、島そのものをもっと知りたいって思ったことも、理由の一つです。
新たな環境で
4月から知夫里島で暮らし、2年目の島留学をしています。
隣の島だけれど、知夫での生活は、海士町とは全然違います。
海士町よりも小さくて、人口も少ないけれど、知夫は海士町より「密」。
海士町で住んでいた地区は、家のすぐ近くに畑を作れるくらい、家と家とのあいだが開いていました。
でも今住んでいる地区は、窓を開けるとすぐお隣さんの家がある。
ご近所さんとのコミュニケーションが増えたし、人口が少なくて「島民みんな知り合い」みたいな島だから、他の地区を歩いていても、気さくに話しかけてくださることがありました。
海士町の時よりも、人との距離を近く感じます。
ほかにも、知夫はどの地区も海に面しているので、どこにいても海を感じられるところが「島に来たな」って思います。
目の前に海がある生活も初めてだし、魚を捌く機会も増えました。
網漁のお手伝いに行った時に、「アジ好きです!」と言ったら、クーラーボックスいっぱいのアジをいただいたことがあって。
その日1日で、海士町にいた時に捌いた魚の数を超えました笑。
海以外の自然との距離も近く感じます。
特に動物。
人よりたぬきの方が多い、ということは知夫に来る前から聞いていたんですけれど、シェアハウスの目の前に現れるなんて思わなかった。
それにシェアハウスにいて、牛の鳴き声を聞くなんてことも想像していなかったです。
人が少ないから、自然の声がより近くに聞こえる気がします。
今年度は島前ふるさと魅力化財団に所属して、来年度の知夫での島留学生受け入れに向けた準備をしています。
広報やシェアハウスの整備、現場支援&事業所開拓として、島守ちぶりやホテル知夫の里、観光協会、福祉施設など、いろんなところで働いています。
海士町にいた時は自分の勉強重視だったけれど、今回は自分よりも、島に対してベクトルが向いているように思います。
やる気のベクトルというか、「知夫里島のためになることってなんだろう?」みたいな興味・関心のベクトルというか、行動原理というか。
不安なことがあるとすれば、いろんな事業所で働いているので、いろんな経験ができる反面、広く関わって中途半端になるのが怖いな、とは思います。
関わるからにはしっかり関わりたいし、自分だけが得する結果にはしたくない。
ちゃんと役に立てているか不安を感じつつ、自分にできることを精一杯やろう、と思いながら働いています。
これから
島留学生としては2年目だけど、住む場所も仕事も変わったので、1年目でもあるなって思います。
だからこそやれることはどんどん挑戦して視野を広げたいし、自分がどこまで出来るのか見てみたい。
まだまだ暮らしにも仕事にも慣れていないけれど、誠実に、正面から、島に関わっていきたいなと思います。
わたしにとって大人の島留学とは・・・
「人生の夏休み」!
楽しいこともあるし、課題もある期間。
成長……できるか分からないけれど、何か、気持ちだけでも、変化が起きていたらいいなって思います。
まずは根っこに出不精な自分がいるので、そこから変えていきたいです。
(R6年度大人の島留学生:木村)
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