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新卒で離島に来て、広告代理"人"となった3年目。

新卒で縁もゆかりもない知夫里島に移住し、地域おこし協力隊、島で唯一のラーメン屋を経て、広告代理"人"として働き始めた中村凪沙さん。

アルバイトでもない、会社員でもない、自由な働き方を求めて飛び込んだ知夫里島で3年目を迎え、島で働くことについて伺いました。


中村凪沙さん(取材当時25歳)
大阪府堺市出身


「1ヶ月、インターンで島に来てみませんか?」

組織の中に入る、集団で何かをする、ということに違和感を感じていた学生時代。

「個人で何かをやりたい。」
「でも、具体的にしたいこともない。」

とりあえず始めた就職活動で、何気なく求人サイトを眺めていた時に目に止まったのが、
「離島で暮らしながら、働きませんか?」
という知夫村役場の広告でした。
凪沙さんが知夫里島のことを知ったのは、この時だったそうです。

人口600人の島で、業務内容も種々様々。
島での暮らしや仕事に興味を持ったものの、
実際に自分がその環境に身を置く、そのイメージができませんでした。

それを面談で採用担当の職員に打ち明けると、
「1ヶ月間、インターンで島に来てみませんか?」
という話に。

大学卒業を間近に控えた冬、思い切ってインターンに参加することを決めました。


島で暮らすこと、島で働くことのイメージがつかなかった一番の理由は、島に関する情報の少なさでした。

インターンの参加を決めたものの、
「どこに行くんだろう……」
何も無いんじゃないか……?」
という不安に悩まされます。

そこで決めたことがもう1つ。
「良いことも悪いことも、記録しよう。」

まずは島への渡り方から。
YouTube【なぎんこ 島暮らし】の配信が始まりました。


毎日の配信を目指し、実際欠かすことなく島生活のリアルを写してきた凪沙さん。
インターン先である知夫村役場では、
「動画見たよ!」
「面白かったよ!」
と、毎日のようにリアクションを下さる方がいたそうです。

記録のために始めたYouTubeの配信。
いつしか、その目的も変化していきます。

インターン中、主要産業の一つである漁業の活性化の一環で、島の漁師さんに取材に行く機会がありました。
そこで知った、島の課題の数々。
個人や島全体での取り組みだけでは解決できない課題が山積みだと感じたそうです。

「もっと長期で島を記録したい。」
「もっと話したい、応援したい島民がたくさんいる。」

こうした思いから大学卒業後、知夫里島への移住を決意しました。

悩んだ末にたどり着いた知夫里島(写真:本人提供)


「平日にしか会えない人がいる。休日にしか会えない人もいる。」

移住1年目、「個人の裁量で働けそう!」という思いから地域おこし協力隊として来島し、知夫村役場地域振興課に所属します。

仕事内容はYouTubeの配信や、ちぶり島公式noteの立ち上げ、島内交流誌の執筆など広報活動だけでなく、ホテルや観光協会、他の協力隊員の手伝い、イベントの運営など、多岐に渡りました。

しかし新社会人で、初めてのひとり暮らし。
慣れない環境でありながらも、学生時代と変わらない「箱に入れられている」という感覚が心に残り続けました。


2年目、より自由でワクワクする環境を求め、同じ地域おこし協力隊の方の、島で唯一のラーメン屋立ち上げに参加します。
本土と島を往復して会社設立に立ち会い、開店に向けた準備、広報活動、店舗での接客にも携わました。

しかし接客を通じてお客さんと関わることはあっても、どこか「店員と客」という壁を感じていたそうです。

「平日にしか会えない人がいる。」
「休日にしか会えない人もいる。」
「その日にしか開催しないイベントがある。」

組織に属して働いたままでは、出会えるものに出会えなくなる。

地域おこし協力隊、ラーメン屋従業員を経て、3年目。
勉強になることは多かったけれど、移住1年目、2年目では叶わなかった「自分が本当にしたいこと」
協力隊の起業支援金を手に、独立を決意します。
2024年3月、【アトリエ日曜島】が誕生しました。



島に2頭しかいない馬に出会うのもレア。(写真:本人提供)


「何かと誰かをつなぐきっかけを作りたい。」

「今が生きてきて一番、ハッピーな時期。」
独立して4ヶ月を振り返り、出てきたのはそんな思いでした。

組織に属していた時には出会えなかった人、イベントに出会えている。
すべて自己責任、自分次第であるけれど、
人と交流したい時に交流ができるようになり、交流の幅が広がったことが楽しさにつながっている、と話す凪沙さん。
自分のペースで働くことができて、やりたくないことはやらない、という選択肢を持つことができるようになりました。

現在は週の半分をアルバイトとして働き、もう半分はアトリエ日曜島として活動する日々。
小さい島なので、自分がフリーランサーになった話はいつの間にか広まっており、
「仕事手伝いに来てよ!」
と声をかけられて、アルバイト先はすぐに決まったそうです。

一方で、人間関係が濃いのが、島ならでは。
仕事のようで、ボランティアなこともある。
島の中だけでは、仕事に限りがあるのも実状です。

それは本職の方でも。
インターン中に感じた、知夫里島の課題の数々。
それらを解決するのに、島の中にいるだけではいけない。

今後は知夫里島を本拠地としつつ、他の地域にも拠点を増やして、つながりを増やしていきたい、と考えているそうです。
ここに行ったら課題解決につながりそう、と思う地域とつながり、行き来できる関係性をつくることを目指して。


「もっと知られるようになった知夫里島の行く先が楽しみ。」

「後悔はひとつもないので、そのまま島に行ってください!」

最後に、島に来る前の自分へ送るメッセージを伺いました。

びっくりすること、ショックなこともあるけれど、それも良い勉強になっている。
いろんな体験、ここでしかできないことも、たくさんある。

ここに来ていなかったら、YouTubeも始めていなかった。
YouTubeを始めたことで、自分の中に強みを持てた
今まで、自分が思っていることを話すことは多くなくて、アウトプットする機会がなかったけれど、YouTubeを通してアウトプットすることができるようになった。
自分を客観的に見ることができた。

だから、

「後悔はひとつもないので、そのまま島に行ってください!」


(R6年度大人の島留学:佐藤)


2024年7月、知夫里島公式YouTubeチャンネルが開設されました!
こちらでも凪沙さんのお仕事ぶりをご覧いただけます。
是非チェックください!


また、凪沙さんのさまざまなSNS情報はこちら↓から!


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