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『忘れさせてよ、後輩くん。』とシュレディンガーの猫。

 前々から予約していたあまさきみりとの『忘れさせてよ、後輩くん。』を往復の通勤+少しの時間をかけて読み終えた。

最高の作品をよんだあとのため息のために生きている。もちろん、最高の作品を書いたあとのため息のためにも生きているけれど、つまり、最高の作品から得られる養分が根無しの私を地に足つかせている。

『忘れさせてよ、後輩くん。』は初恋の人を亡くした先輩ヒロイン広瀬春瑠と、そんな彼女にずっと初恋の片思いを続けている主人公・白濱夏梅の、断ち切れない恋を巡るひと夏を描いた作品。あまさきみりとの作品は、以前『星降る夜になったら』も読んでいるが、『後輩くん。』を読んで見事に心臓を射抜かれた。今日からあまさきみりとの一ファンだ。

初恋というワードは、青春信者なら誰しもが一度は夢想する、ロマンティックでエモーショナルな色彩を帯びている。青春に囚われた悲しき大人たる私もそんな初恋の色彩に魅せられている一人だ。

初恋って人生で多くてもたった一回の経験で、そんなたった一回の体験がその後の人生を大きく左右するといっても過言ではない。ゆえにこそ、深い執着があってほしいという願望がある。

恋愛感情は所詮脳が引き起こすバグなのだ……という脳科学的なメカニズムはこの際無粋だ。

バグ、過ち、後悔……それらは決して無駄ではない。この物語は、初恋の呪いを描いている。呪いというのはいつまでも尾を引くものだ。とりわけ春瑠は初恋の人を亡くすことで、初恋が破られず、同時に叶うこともなくなってしまった。

そうなってしまえば、初恋の幻は、人生の全てを引き換えにしても拭いきれない強力な呪力を持ってしまう。呪いは連鎖して、夏梅をも呑み込んでいく。しかし、呪いとは突然に出現するものではない。ある要因とある要因…n個の要因が連なってはじめて、複雑な式のもとに生まれるのだと思う。

――彼等は、初恋を口にしないことで、初恋を終わらせない生ぬるい関係を続けてきた。シュレディンガーの猫、という法則がある。「観測者が箱を開けるまでは、猫の生死は決定していない」可能性は五分五分で綺麗に二分する、というものだ。恋を伝えない行為は、まさにシュレディンガーの猫のようなものだ。

恋は生えるもので、しかし、生えるだけでは実らない。草木が受粉をするように、言葉と行為の花粉をもって、相手に伝えることではじめて一本線で結ばれる。その結末が成就であれ、破局であれ。

でも、何も伝えなければ、外的要因に左右されない限り、シュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの両思いが成立する。架空の両思い。イマジナリ・恋人関係。本物と比べれば見劣りするものの、決定的な傷を負わないで、依存できる関係性。そういう儚い関係性に私は良さを抱かずにはいられない。

キャラクタがいれば、逃げるなって諌めるよりもついつい逃げ場を与えてしまうのが持論だ。逃げ道を与えた上で、長い時間がかかってもいい、キャラクタが自ずと逃げずに向き合うという選択をしてくれるときを待望している。果たして、春瑠と夏梅の終わらない初恋の結末は――?

ここからはあなたの目で確かめてほしい。『忘れさせてよ、後輩くん。』はライトノベルであるとともに、現実にありそうな、共感度の高いキャラクタが出てくる。ラノベへの偏見とかとりあえず横において、ページを捲ってみるべきだ。

恋はただ「好き」と伝えて終わるだけではなく、その過程の苦みや辛さの味があるからこそ心臓を撃ち抜くのだと思う。そして、あまさきみりとという作家は特大級の初恋で私の心を撃ち抜いた。

さあ、あなたも読んでみてはいかがだろうか。包まった布団の上で藻掻きたくなるくらいに苦くて苦しいのに、胸が張り裂けるくらい愛おしい、等身大の恋の味を、あなたきっと知ることとなる。


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