【どっちでもいいのだ!】 その27「『”的を得る”は間違いだ』と注意された 反論する 反論しない」
一度しかない人生。眉間にシワを寄せているヒマがあったら、笑ジワを作りながら暮らしたい。「どっちでもいいのだ」精神で、毎日をゆるゆると生きてみませんか? ※「東京スポーツ」で2017~2018年に連載(全44回)
会議が終わったあとの雑談。上司に「課長の的を得た指摘、さすがでしたね」と言ったら、「おいおい、ホメてくれるのは嬉しいけど、的は射るもので得るもんじゃないだろ」と注意された。でも、何年か前に「『的を得る』を誤用としてきたのは間違いだった」ということで国語辞典が改訂されて、最近では「的を得る」も正しい用法とされているはずなのに……とモヤモヤした午後3時半。
世の中にはこの手の「日本語の間違い」を見つけると、鬼の首を取ったように指摘してくる人がいます。たしかに「的を得る」は、ひと昔前は「間違いやすい慣用句」の代表例でした。課長の頭の中は、古い知識が入ったまま更新されていないようです。
この機会に、ちゃんと教えてあげたほうがいいのか。ただ、「じつは最近は」と反論しても、たぶん逆ギレと思われるだけです。しかも「そんなわけあるか!」とムキになるなど、かなり面倒臭い事態を招くでしょう。
大人にとって「正しさ」の定義は複雑です。ここで課長に「正しい知識」を伝えることは、人間関係や場の平和を保つという意味では、必ずしも「正しい行動」とは言えません。またもや、いつもの言葉の出番です。
「どっちでもいいのだ!」
曖昧な笑顔を浮かべつつ「あれ、そうでしたっけ」と返しておきましょう。「勉強になりました」と相手を持ち上げるのは、ちょっと危険。何かの拍子に課長が最新事情を知ったときに、「あいつ、心の中で俺を笑ってやがったな」と逆恨みされかねません。
応用編 若い後輩が「役不足」の使い方を間違っている
若手に仕事を振ったら「いやいや、ボクには役不足です」と返されました。謙遜したつもりのようですが、完全に誤用で、逆にものすごく偉そうな意味になっています。
注意してあげるのも先輩の務めだし、呆れつつスルーするのも妥当な選択です。「どっちでもいいのだ!」という前提で、その時の気分や忙しさ具合で判断しましょう。