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「うどんはコシじゃない!-「伊勢うどん党」宣言(「新潮45」2014年10月号)

 もしかしたらあなたは、「うどんはコシが命」と思ってはいませんか。だとしたら、心よりご同情申し上げます。そうではないうどんのおいしさを知らず、一面的なうどん観に縛られたまま生きているのですから。いや、それはむしろ幸せなことかもしれません。これからの人生で、コシのないうどんと出合う幸せを味わえるのですから。

 日本各地には、驚くほど幅広い(麺の幅が広いという意味ではなく、いや、麺の幅が広いのもありますが)種類のうどんが存在しています。全国区になった讃岐うどんをはじめ、稲庭うどん、吉田うどん、武蔵野うどん、変わったところでは耳うどんやひもかわうどん……。うどんの多様性は、日本という国の多様性や文化の豊かさを示していると言っても過言ではありません。

 さて、そこでコシがなくてふわふわもちもちとやわらかい伊勢うどんです。おかたい話題が大好きで、やわらかい情報には興味が薄そうな本誌愛読者のみなさんの中には、

「えっ、伊勢エビがのってるの?」

 なんて思う人もいるでしょうか。残念ながらそういう派手なうどんではなく、太くてふわふわした麺に、たまり醤油をベースにした少量の真っ黒いタレをからめて食べる素朴なうどんです。

 三重県伊勢市の伊勢神宮周辺で400年以上前から食べられてきて、江戸時代から伊勢神宮の参拝客に親しまれてきたとか。当時、多いときは年間数百万人が伊勢を訪れ、伊勢の町のにぎわいはそりゃたいへんなものだったと言います。

 そんな中で、大鍋で麺を大量に茹でておいて丼にうつしてタレをかければ食べられる伊勢うどんは、次々に訪れる参拝客を待たせずに素早く提供できる“元祖ファーストフード”として、伊勢の名物になっていきました。何より、やわらかく茹でられた太いうどんは、長い距離を歩いてきて疲れている旅人の胃にやさしく、体全体を温めてくれます。まさに伊勢うどんは、伊勢の「おもてなしの心」の象徴といってもいいでしょう。

 江戸時代を舞台にした中里介山の長編小説『大菩薩峠・間の山の巻』には、こんな一節があります。

〈豆腐六(どぶろく)のうどんは雪のように白くて玉のように太い。それに墨のように黒い醤油を十滴ほどかけて食う。「このうどんを生きているうちに食わなければ死んで閻魔さんに叱られる」土地の人にこう言い囃されている――〉

 この「豆腐六」は、伊勢市の参宮街道沿いにあった遊郭街・古市に実在したうどん屋さんで、明治末の大火で焼失するまで、旅人や地元の人に愛されました。

 ほんの数年前まで、地元はともかく全国的には「知る人ぞ知る」存在だった伊勢うどんですが、去年(2013年)の式年遷宮で全国から伊勢に注目が集まったこともあり、急激に知名度をアップさせています。この先、その魅力がますます広く知られて、メジャーなうどんになっていくのは間違いありません。

 まだ間に合います。やがて伊勢うどんブームが到来したときに、「ああ、伊勢うどんね。知ってるよ」と大きな顔ができるように、今のうちから伊勢うどんについて詳しく知っておきましょう。

 さっきから熱く語っていますが、じつは私、この2年ほど伊勢うどんにすっかりハマってしまっています。伊勢市の隣りの松阪市に生まれて、伊勢生まれの人ほどではないにせよ、子どものころから伊勢うどんに愛着を抱いてきました。

 しかし、コシ信仰が蔓延した関東で、伊勢うどんがいわれのない非難を浴びせかけられるのが不憫で、コシがない伊勢うどんの魅力を広く知ってもらうために、2012年夏にフェイスブック上で「伊勢うどん友の会」を立ち上げました。以来、あの手この手で伊勢うどんの魅力をアピールしたり、伊勢うどんについてあれこれ取材したりして、伊勢うどんの世界と深くからまりあっています。

 そんなふうに道楽で伊勢うどんを応援していたら、逆に伊勢うどん業界や地元から応援してもらって、2013年夏には「伊勢うどん大使」にしてもらいました。伊勢のうどん屋さんの組合である伊勢市麺類飲食業組合と、三重県の製麺業者さんの組合である三重県製麺協同組合の公認です。2013年9月には、世界初の伊勢うどんの本『食べるパワースポット[伊勢うどん]全国制覇への道』も出版させてもらいました。

 本が出てからも、幸か不幸か、伊勢うどん熱は下がるどころかますますエスカレートするばかり。今年に入っても、仕事そっちのけで伊勢うどんに振り回される日々が続いています。自分が何を目指して何のためにやっているのか、やや見失い気味ではありますが、そもそも最初から見通しなんてありませんでした。しばらくは伊勢うどんの太い流れに身を任せて、次々と訪れる「予想外の展開」を楽しもうと思っています。

 昭和の頃まで、伊勢うどんはその名のとおり、ほぼ三重県伊勢市周辺でしか食べられませんでした。私が生まれ育った伊勢市の隣りの松阪市では、うどんといえばツユのあるうどんのことで、伊勢うどんを出すお店は知っている限りありませんでした。

 特徴もあるし十分に魅力的なうどんなのに、なぜ広まらなかったのか。伊勢の人にとってはあまりにも身近で、「自慢すべき名物」という意識がなかった――。茹で時間が長くタレを作るのも手間やコストがかかるため、商売として手を出しづらかった――。といった仮説はありますが、本当の理由は謎です。

 冒頭で紹介した「江戸時代から参拝客に親しまれてきた」という説に、異論を唱える人もいます。伊勢うどんの人気店「つたや」の主人で、伊勢市麺類飲食業組合の組合長も務める青木英雄さんは、

「うどん屋の立場で言わせてもらうと、江戸時代から参拝客が伊勢うどんを食べてきたという話は、どうもあやしいと思てますんや。当時の伊勢にそれだけの小麦があったのか、機械もなかった昔に大量の粉を挽けたのか、なぜ燃料代がかかる太い麺にしたのか、腑に落ちやん点がいっぱいあります」

 と言います。「『大菩薩峠』にしても舞台は江戸時代ですけど、大正時代に書かれたもんです。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』には、古市の遊郭のことは出てくるのに伊勢うどんのことはまったく出てきません」とも。

 ただ、いろんな説はありますが、各自が「こっちが正しい!」と強く主張するわけではありません。「まあ、昔のことやし、ようわかりませんしなあ」とふんわり包み込んでしまうところも、また伊勢うどんっぽいと言えるでしょう。

「伊勢うどん」という呼び方も、昭和40年代後半に生まれたものです。それまで伊勢では単に「うどん」、あるいは「並うどん」と呼ばれていました。だんだん「伊勢のうどんはどうやら独特らしい」ということに地元の人が気づいて、看板などで「伊勢うどん」の表現を使うお店が出はじめます。やがて、毎年配られる伊勢市麺類飲食業組合の「お品書き」で、昭和47年版からいちばん右側のメニューが「うどん」から「伊勢うどん」に変更され、公式に「伊勢うどん」という名称が使われるようになりました。

 伊勢では「永六輔さんが『伊勢うどん』の名付け親」という説も広まっています。永さんが伊勢でうどんを食べて、「こんなうどんは初めだ。これは伊勢にしかないうどんだ。伊勢うどんだ!」と叫んだのが始まりだというもの。たしかに永さんは、昭和40年代に伊勢をしばしば訪れ、伊勢うどんのことをエッセイや全国放送のラジオで取り上げてくれました。

 光栄にも永さんに伊勢うどんについてインタビューさせてもらったときに、真偽を確かめようと「名付け親説がありますが」と尋ねたところ、「ハハハ、そんなわけないよ」と笑いながら即座に否定。永さんが伊勢でこの地独特のうどんに出会ったときには、すでに「伊勢うどん」という呼び方はあったようです。

 現在、どのお店が「元祖」かということは、はっきりしていません。前出の青木さんは、こう言います。

「組合のみんなに、ウチが元祖やとか何やとか言わんといてくれと、ワシが抑えとるんです。そんなこと言い出したらギクシャクするし、そもそも伊勢うどん自体は昔からあったもんですしな」

 ここにも、すべてをふんわり包み込んでしまう伊勢うどんスピリッツがいかんなく発揮されていると言えるでしょう。

 2013年に行なわれた第62回式年遷宮は、全国的にも大きな伊勢ブームを巻き起こしました。テレビでも雑誌でも連日、伊勢神宮や伊勢の街を取り上げ、そのたびに伊勢うどんも登場。タレントが太さや黒さにおののきながら口にはこび、「ふんわりしていておいしいー!」といった称賛の声を上げたり、おいしそうな写真が掲載されたりしました。

 おかげで、多くの人の脳裏に「伊勢うどん」という名前と「太くてやわらかいうどん」という情報が焼きつけられます。ただ、関東では食べられる場所は多くはありません。いかに多くの人が「これが伊勢うどんか。一度食べて見たかった」と切望していたかを実感したのは、2013年8月に東京・代々木公園で行なわれた「U-1グランプリ」でした。

 正式名称は「第1回 うどん日本一決定選手権U-1グランプリ2013」。全国から24のうどんが集結し、2日間にわたって熱い戦いを繰り広げました。そこに、三重県製麺協同組合が伊勢うどんを引っさげて乗り込み、私もお手伝いさせてもらいました。

 テントの前で「伊勢うどんいかがですか~」と呼び込みをしていると、多くの人が「あっ、伊勢うどんだ!」「うわー、伊勢うどんがある!」と言って足を止め、列に並んでくれます。「初めてですか?」と声をかけた人の多くから、

「ええ、テレビで見て、一度食べたいと思ってたんですよ」

 という嬉しい声が返ってきました。それ以外の人からも、

「お伊勢参りにいったときに伊勢で食べて、初めはビックリしたけど、すごくおいしかったから」

 そんなありがたい声を聞かせてもらいました。伊勢うどんに対する興味や、伊勢うどんを求める機運は、ひと昔前とは比べものにならないぐらい高まっていると言えるでしょう。

 ちなみに「U-1グランプリ」では、2日間で2600杯の伊勢うどんが来場者の胃におさまり、「売上部門」で24チーム中5位という好成績でした。

 20年ほど前は「幻のうどん」という呼ばれ方すらされていた伊勢うどん。それが今や伊勢の名物、三重の名物として定着し、全国的にもファンが増えています。ただ、ここ数年でいきなりそうなったわけではないし、遷宮効果だけが理由ではありません。伊勢うどんの魅力を高め、全国的にその名を知ってもらうために、三重県の製麺業界は地道な取り組みを続けてきました。

 伊勢近辺のお土産屋さんや三重県内のサービスエリアでは、お持ち帰り用の伊勢うどんが大きなスペースを占めています。2013年9月に東京・日本橋にオープンした三重県のアンテナショップ「三重テラス」でも、伊勢うどんは一番人気だとか。

 お土産用の伊勢うどんは、日持ちするLL麺(ロングライフ麺)を使っています。それが広く作られるようになり、お土産用の伊勢うどんの人気が定着してきたのは、ここ10年ほどのこと。それまでは種類も少なく、正直なところ、味も食感もイマイチでした。

 1990年代後半、三重県製麺協同組合は業界を盛り立てるために、統一ブランドの新商品の開発に取り組みます。そこで白羽の矢が立ったのが、長い歴史を持つ伊勢うどんでした。当時は影が薄かったため「伊勢うどんではちょっと……」という声もあったそうです。

 組合では、伊勢うどんのモチモチ感を出せる小麦を探すことから始め、低アミロース小麦「あやひかり」にたどり着きます。地元産の小麦で作らないと意味がないと考え、最初は渋っていた地元の農家を口説いて、「あやひかり」の作付面積を徐々に広げていきました。

 その後、三重県から地域特産品認証(Eマーク認証)を受けたり、農林水産省がリストアップした「郷土料理百選」に選定されたり(三重県からは伊勢うどんと手こね寿司のふたつ)など、三重の名物としての地位を固めていきます。

「ところが、徐々に知名度が上がるにつれて、県外のメーカーが適当な麺とツユで『伊勢うどん』を名乗る商品を売り出すということが起き始めました。これではいけないと、組合のほうで『地域団体商標』の登録に取り組んだんです」

 と言うのは、三重県製麺協同組合理事長で「堀製麺」社長の堀哲次さん。「伊勢」という地名と「うどん」という一般名詞の組み合わせだけに、当初は難しいという見方もありましたが、県と協力しながらブランドを育ててきた実績が認められ、2008年2月にに無事に登録されます。

 こうした土台作りに加えて「魅力を広く知ってもらうには、とにかく食べてもらうのが一番」と、三重県製麺協同組合チームは、全国各地のイベントや見本市に積極的に出店してきました。「U-1グランプリ」への出場も、その一環です。毎年、東京のNHK放送センターと代々木公園で行なわれる「ふるさとの食 にっぽんの食」には10年ほど前から出店。「だんだん、知ってくれている人が増えているのを肌で感じます」とは、前出の堀さん。組合だけでなく、それぞれの製麺会社や伊勢市観光協会も、全国各地に出かけて伊勢うどんを提供しています。「伊勢うどん」ののぼりを見かけたら、ぜひ立ち寄ってみてください。

 伊勢うどんについて長々と語ってきましたが「いやあ、食べたことあるけど、もういいや」と思っている方も、伊勢うどんにもう一度、チャンスを与えてやってください。

 悪い印象を受けてしまった原因は、いくつか考えられます。ひとつは、讃岐うどんのようなツルツルシコシコをイメージして食べたせいで失敗作を出されたような気持ちになってしまったこと。

 あるいは、はっきりとは言いづらいのですが、「ハズレ」の伊勢うどんを食べてしまったこと。団体客のためにあらかじめ大量に用意されたものを出されたなど、本来のおいしさを味わえないケースもなくはありません。ぜひ昔ながらの地元の「うどん屋さん」で食べてみてください。伊勢市観光協会のホームページには、昔ながらの伊勢うどんの味を守っているお店の一覧が載っています。もちろん、それ以外のお店は行かないほうがいいという意味ではありません。

 お土産用の伊勢うどんも、作り方によって印象が大きく変わります。茹で時間が足りなかったり早いタイミングでかき回したりすると、ボソボソの仕上がりになりがち。個人的には、説明書きよりも1分ほど長めに茹でて、念入りにふんわりさせるのが好きです。

「食べてみたいけど、伊勢はちょっと遠いなあ」と思っている関東在住の方も、ご安心ください。東京で伊勢うどんを出している居酒屋やバーも、じつはけっこうあります。伊勢うどん友の会調べでは、23区内に推定20~25店。この2年ぐらいで4~5店増えました。

 伊勢うどん初心者へのオススメは、伊勢のうどん屋さんで育った女将さんがいる小竹向原の「魚菜酒房 樽見」、伊勢の隣の鳥羽出身のオーナーが経営する新橋の「串もん酒場 輪違屋」(竹ノ塚店もあり)、伊勢のレストランの息子が店長を務める恵比寿の「BAR CHI-KYU」など。日本橋の「三重テラス」のレストランでも、2時30分から5時のカフェタイムに伊勢うどんを提供しています。伊勢うどんが友の会が作った「東京伊勢うどんマップ 暫定版」も、よかったらネットで検索して参考にしてみてください。

 伊勢うどんは、おいしいだけではありません。はなはだ僭越ながら、私は常々「伊勢うどんを食べるとわかる5つの教訓」を提唱しています。

その1「自分の常識や固定観念なんてアテにならないと実感できる」

その2「人生も世の中も、正解はひとつではないと気づくことができる」

その3「コシをなくすことが、深くからみ合う秘訣なんだと納得できる」

その4「シンプルであることの美しさを身を持って教えてくれる」

その5「丼の中にお伊勢さんのパワーを感じることができる」

 何を大げさな、と呆れてらっしゃるかもしれませんが、伊勢うどんをひと口食べてみると、「おお、なるほど、そういうことか!」とご納得いただける……といいなと思っています。

 日本を変え、世界を変え、そしてあなたを変える伊勢うどん。どうかこれをご縁に、末永くよろしくお願いします。

(新潮社「新潮45」2014年10月号)

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