伊勢うどんが伝えている「伊勢の心」(『瑞垣』2015年初夏号)
「このうどん、茹で過ぎじゃないの?」
「いやいや、伊勢うどんは、コシがないのが特徴のうどんなんだよ」
「えーっ、コシがないうどんなんて……」
ああ、何度こういう屈辱的なやりとりをしたことでしょうか。
ほんの数年前まで、関東地方で「伊勢うどん」の存在はほとんど知られていませんでした。地元の名物を味わってもらおうと、帰省したときに伊勢うどんを買って、しばしば関東の友達にふるまっていましたが、「うどんはコシが命」という偏った先入観がいかに根強いかを思い知らされたものです。
もちろん、実際に食べてみると「うん、コシはないしツユもないけど、これはこれでおいしい」と言ってくれる人が大半でした。人間、未知のものに出合うと驚きが先に立って、素直な判断ができなくなります。
「太くてやわらかくてタレをからめるのが伊勢うどんのスタイルなんだ。そうなったのにはちゃんと歴史的な理由があるんだ」。そこをちゃんと知ってくれさえすれば、魅力をありのままに受け止めてもらえるのにと、ずっと悔しく思っていました。
のちほどお話しますが、平成24年に「伊勢うどん友の会」を立ち上げて伊勢うどんの応援をしようと思ったのも、長年抱いてきたそんなもどかしさがベースになっています。
しかし、時代は変わりました。伊勢うどんが関東で不憫な状況に置かれていたことは、もはや昔話になっています。平成25年の第62回神宮式年遷宮をきっかけに、伊勢神宮や伊勢に全国から注目が集まりました。メディアでも伊勢うどんが頻繁に取り上げられ、「太くてやわらかそうで真っ黒なうどん」が広く知られることになったのです。
あくまで個人的な感触ですが、関東地方における伊勢うどんの認知度は、3年前はひいき目に見て1割程度でした。しかし現在は、7~8割の人が少なくとも名前は知っているという状況になっています。ただ、食べたことがあるとなると、まだ半分ぐらいでしょうか。「ありゃあ、コシがないんだろ。オレはそんなうどんは食いたかないね。べらんめえ」と頑なな姿勢を崩さない方も、残念ながらたまにいらっしゃいます。
■東京でも伊勢うどんを出すお店が急増中
認知度が高まっているだけではなく、東京で伊勢うどんを出すお店も、遷宮があった平成25年ごろから急に増えています。東京23区内で、平成24年以前から伊勢うどんを出していたのは、多く見積もっても10軒程度でした。しかし、この3年ほどで、日本橋に平成25年にできた三重テラスをはじめ、新たに12~13軒のお店が伊勢うどんの提供を始めています。
といっても、伊勢うどんの専門店というわけではなく、居酒屋などで〆のメニューとして用意していることがほとんど。かつては伊勢や伊勢周辺出身者のお店が大半でしたが、最近は三重県以外の出身の方が「伊勢うどんが気に入ったから」と、自分の店で出し始めるケースが増えています。
20年前から伊勢うどんを出している居酒屋のおかみさん(伊勢市出身)によると、
「以前は、よくお客様に怒られました。こんな茹で過ぎのうどんを出すなとか、ツユが入ってないじゃないか、とか。でも、おかげさまで最近は、伊勢うどんを目当てに来てくださるお客様が増えましたね。みなさん、喜んで食べてくださっています」
とのこと。「うどん屋をやっていた死んだじいちゃんに、注文を受けた伊勢うどんが厨房にズラリと並んでいる光景を見せてあげたいですね」とも。
三重県以外の出身で、遷宮をきっかけに伊勢うどんを知ったという居酒屋の店長も、
「最初に食べたときは正直、ビックリしました。でも、なんか病み付きになっちゃって。お伊勢さんにゆかりがあるうどんってことで、縁起もよさそうじゃないですか。ためしに店で出してみたら予想以上に好評で、今ではウチの定番になってます。『あっ、伊勢うどんがあるじゃない』と見つけて、すかさず注文してくれるお客さんも多いですよ」
と言います。無数に飲食店がある中でまだ数十軒とはいえ、伊勢うどんの魅力は東京でもしっかり受け止められ、その存在感を確実に増していると言えるでしょう。
もちろん、伊勢うどんを知ってもらうことは、伊勢や三重に興味を抱いてもらうことに直結します。いつか本場で食べてみたいと思う人は少なくないし、実際に「伊勢に行って食べてきましたよ」という声を何度も聞きました。伊勢うどんは、かつて全国を回って伊勢に人々を導いた「御師」の役割を果たしていると言っても過言ではありません。
■伊勢神宮とともにあった伊勢うどん
伊勢うどんと伊勢神宮は、切っても切れない太い絆で結ばれています。全国で伊勢にしかない個性的なスタイルのうどんが発達したのは、伊勢神宮のおかげさま以外の何ものでもありません。
もともと伊勢うどんは、400年以上前に生まれたと言われています。伊勢周辺の農民が、太く打ったうどんに、味噌を作る過程でできる「たまり」をかけて食べたのが始まりだとか。やがて、たまりにダシを加えて食べやすくしたタレをかけて売る「うどん屋」が登場します。記録に残っているいちばん古いうどん屋は浦田町の橋本屋。神宮の神楽役人を先祖に持つ小倉小兵さんが始めました。小兵さんは江戸時代になって20年ほど経った寛永二(1627)年に亡くなっているので、お店は江戸時代に入ったころか、もしかしたらそれ以前にできたのではないかと思われます。
ご存じのとおり、江戸時代には全国からたくさんの人々が、神宮に参拝するために伊勢を目指しました。たくさんの参拝客に素早く提供するために、大量のうどんを茹でておいてタレをかけて出すスタイルになったという説が有力。同時に、長い道のりを歩いてきて疲れている旅人の胃にやさしいように消化がよくて、しかも腹もちがいいあたたかいものをという思いやりから、太くてやわらかいうどんになったと言われています。いわば元祖ファストフードであり、伊勢のおもてなしの象徴とも言えるでしょう。
ただ、こうした「定説」に対する疑問の声もあります。伊勢市・河崎の老舗「つたや」の主人で、伊勢うどん界の生き字引的な存在である青木英雄さんは、
「うどんを作る立場から言わせてもらうと、伊勢うどんはとにかく手間がかかるうどんなんです。ガスも機械もない。大量の薪が必要で、粉を挽くのも麵を打つのも人力しかなかった昔に、茹で時間が長くかかる太いうどんをたくさん作るのは難しかったんやないかと思とるんですわ。たしかに、参道にうどん屋はあったかもしれませんけど、参拝客が必ず食べたというようなもんやっかどうか……」
と首をかしげます。実際はどうだったのか、今となっては伊勢うどんのようにふんわりと想像の翼を広げるしかありません。
いずれにせよ、伊勢でほかの地域とは違うスタイルのうどんが「うどん」として定着したのは、日本一たくさん訪れた参拝客の空腹を満たすニーズがあり、物流も盛んでたまりや小麦などの材料も入手できたし、ダシの原料の海産物も豊富という背景があったから。それに加えて、ふんわりやさしい食感が、神宮とともに生きている伊勢の人たちの気質に合っていたというのも、伊勢うどんを伊勢うどんたらしめている重要な要素ではないかと、個人的には思っています。
ちなみに「伊勢うどん」という呼び方が生まれたのは、意外に新しくて昭和40年代の半ばごろ。それまでは伊勢で「うどん」といえば、太くてやわらかい「伊勢うどん」のことでした(今もそうですね)。しかし、徐々にお店やスーパーの店頭でほかのうどんと区別をする必要性が出てきて、頭に「伊勢」をつけるようにしたとか。誰が「伊勢うどん」の名付け親か、そこははっきりしていません。
■「伊勢うどん友の会」とは何ぞや?
たいへん申し遅れました。私、コラムニストをやっております。三重県松阪市出身で今は東京に住んでいます。フリーの物書きになったのは20年ほど前で、「大人」をテーマにあれこれ書かせてもらっています。
伊勢の隣りの松阪はツユのあるうどんがスタンダードで、伊勢うどんは子どものころは「伊勢に行ったときに食べる珍しいうどん」でした。その魅力に強く惹かれたのは、大人になってからです。
10年ほど前から「深い魅力を持ったうどんだなあ」と感じて、仕事でもプライベートでも、折に触れて伊勢うどんをアピールしてきました。しかし、冒頭に書いたように、そのよさをわかってもらえなくて悔し涙を流すこともしばしば……。そんな思いが募っていた平成24年の夏、何かの拍子に、
「そうか、来年は式年遷宮じゃないか。間違いなく伊勢に注目が集まるし、伊勢うどんを広くアピールするなら、今しかない!」
そう思って、インターネット上で情報を発信したりいろんな人と交流できたりする「フェイスブック」という場所で、「伊勢うどん友の会」を立ち上げました。コシのない伊勢うどんの本腰を入れた応援のスタートです。
当初は、東京で伊勢うどんが食べられる店を探して食べに行って報告を載せたり、雑誌やテレビで伊勢うどんが取り上げられた情報を紹介したりといった素朴な活動が中心でした。そうこうしているうちに、雑誌などで伊勢うどんの記事を書く機会を与えてもらい、取材に訪れる中でお店や製麺会社や伊勢のみなさんとつながりができて、伊勢うどんの太い輪がどんどん広まっていきます。
平成25年には、伊勢のみなさんや県のみなさんにご協力いただいて、東京で何度も伊勢うどんのイベントを開催。伊勢や伊勢うどんへの関心が高まっていたおかげで、いずれも大盛況でした。
知れば知るほど伊勢うどんにはまり、誰に頼まれたわけでもないのに、時に職権を活用したり乱用したりもしつつ、あの手この手で伊勢うどんをアピールしまくりました。のめり込んでいった最大の理由は、とにかく楽しかったからに他なりません。伊勢うどんはもちろん、伊勢うどんを通じて知った伊勢の文化や伊勢の人たちにも、強く魅せられていきました。
「友の会」を立ち上げて1年後の平成25年の8月には、たいへん名誉なことに伊勢市麺類飲食業組合と三重県製麺協同組合公認の「伊勢うどん大使」に就任させてもらいます。さらに9月には、「そこまで伊勢うどんが好きなんだったら」と言ってくれた酔狂、ではなくて懐が深い出版社のおかげで、世界初の伊勢うどん本『食べるパワースポット[伊勢うどん]全国制覇への道』も出すことができました。
平成26年も、6月に外宮前バス亭広場で、多くの人たちに協力してもらいつつ「伊勢うどんと三重の幸 おかげさまフェスティバル」の開催が実現します。同じ月には伊勢市観光協会から感謝状をいただきました。今年正式に立ち上がった伊勢商工会議所の「伊勢うどん協議会」にも参加させてもらっています。
ほんの軽い気持ちで始めた伊勢うどんの応援活動が、まったく予想してなかった方向に勢いよく転がっていきました。今も転がり続けていて、これからどうなるのか見当がつきません。あらためて、伊勢うどんの奥深さや底力を思い知らされている日々です。
■伊勢うどんが伝えてくれること
薄々お気づきのとおり、伊勢うどんは単なる「うどん」ではありません。伊勢うどんが全国に広まっていくことは、全国の人々が単に新しいおいしさを知るということではありません。伊勢うどんは、もっといろんなことを伝えてくれます。
それは、ひと言でいうと、神宮という大きな存在とともに生きることで育まれてきた「伊勢の心」に他なりません。伊勢うどんを食べた人々は、そのやさしい食感を味わうことで伊勢のやさしさを感じ、日本の食文化を凝縮したシンプルだけど奥深い味わいを知ることで、日本の歴史への想い、ひいては伊勢への想いを抱くことでしょう。
また、伊勢うどん友の会では、折に触れて「伊勢うどんを食べることで、たくさんの教訓を得られる」と訴え続けています。
コシがないうどんのおいしさを知ることで、自分の常識や固定観念に縛られてはいけないと実感できる――。人生も世の中も、正解はひとつではないと気づくことができる――。麺とタレが絡まり合う様を見て、互いを引き立て合う大切さを目の当たりにできる――。シンプルであることの美しさをしみじみ感じられる――。
伊勢うどんとの出合いは、たとえば、こうした効能をもたらしてくれます。とはいえ、伊勢うどんは押し付けがましく「こう感じなさい」「こう食べなさい」なんてことは、けっして思ってないはず。まずは、素直な気持ちで向き合ってもらうのがいちばんです。そんなところにも「伊勢の心」に通じる何かを感じるのは、伊勢うどんの虜になっている私の勝手な拡大解釈でしょうか。行き過ぎがあったとしたら、申し訳ありません。
今は多くの観光客のみなさんが、当たり前のように「せっかく伊勢に来たんだから、伊勢うどんを食べなきゃな」と思っています。ほんの数年前まで、そういう感覚はけっして一般的ではありませんでした。これからますます、伊勢うどんの魅力は全国に広く伝わっていくことでしょう。
伊勢に神宮があることは、伊勢に生まれ育った神領民のみなさんは言うに及ばず、三重県民にとって大きな誇りです。あえて並べて語るご無礼をお許しいただけるなら、伊勢うどんという他にはないうどんがあることも、伊勢にとっても三重にとっても大きな誇りです。まずは、伊勢うどんに慣れ親しんでいる私たちが、伊勢うどんの魅力をあらためて味わい、伊勢うどんの声にじっくり耳を傾けましょう。きっと多くの発見があり、もっともっと伊勢うどんが好きになるはずです。