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私が娘を妊娠していることが分かったとき、
母が母子手帳を送ってきた。
母が私を妊娠していたときのものだ。

以前にも書いたが、
私は母のことが大嫌いだった。

小さい頃から何かあれば
「死ね」「産まんかったらよかった」と
言われてきたし、
暴力も日常的にあった。
常に不機嫌で、誰かの悪口と不平不満ばかり。
暴れたと思うと泣いて謝ってきたり、
謝ったと思うと
「何でお母さんに何も話してくれへんの?
お母さんが何したの?」
とまた泣いてこちらを責め立ててきたり、
挙げ始めるときりがない。


そんな母との関係だったから、
母子手帳を送られても
「今更なんやねん。重いわ。気持ち悪い。」
という気持ちが先行し、開けることなく
引き出しに入れて放っておいた。


当時、私は母との関係に折り合いをつけたく、
NLP心理学の個人セッションを受けていた。
セッションからの帰宅後、
突然思い立って部屋の掃除をしていたところ、引き出しからあの手帳が出てきたので、
開けてみることにした。

私は、
いわゆる”できちゃった婚”でできた子だ。

母に「お前さえおらんかったら、
こんな家に嫁に来んかった!」と叫ばれ、
その事実を悟ったとき、
「産んでくれなんか頼んでない。」
「別に生まれて来なくてよかった。」
と思っていた。


母子手帳によると、
当時の母は25歳で事務職をしていたようで、
初診日は堕胎可能期間の
ぎりぎりのところだった。
当然、母子手帳の交付日もかなり遅く、
この項目だけでいろんな感情が
私の中を駆け巡った。

母の時代、20代での出産は
珍しくなかったかもしれないが、
初めての妊娠、しかも想定していない妊娠は
きっと怖かっただろう。
きっと(産むかどうか)迷っただろう。
出産するとなると、結婚することになり、
結婚すると、父は田舎の長男だから、
義理両親との同居が待っている。
まだまだ若く、遊びたい(かもしれない)のに、
突然義理両親との同居なんて嫌だろう。
妊娠を素直に喜べないのも当然だろう。
口にする是非は置いておいて、
「お前さえいなければ」とも思うだろう。
そして、あれはきっと本心だろう。
私は母の20代を奪ってしまったかもしれない。
母は私を妊娠してうれしかったのだろうか。

そして、これらの後、
ある想いが降りてきた。

”堕胎しようと思えばできたのに、
私は産んでもらえた。”

20代の楽しみや義理両親との同居など、
いろんな要素が絡む中、
若い母は私を産むことを
選択してくれたのだ。

たしかに、
私は産んでくれなんか頼んでいないけれど、
私は母に産んでもらえたことにより
人生をもらえたのだ。

25歳の母をすごく立派に感じた。
暴言・暴力がありながらも
母なりに、きっと必死で、
私を大きくしてくれたのだ。


その日、ちょうど、
NLP心理学のセッションで、
「愛情表現の仕方は人によって違う。
母は私が望む形の愛情はくれなかったけれど、
母なりの愛情はきっとあった。
怒ることも母の愛だったのかもしれない。」
と過去の捉え方を変えたところだった。

そこにこの母子手帳を開いたことで、
母の愛情が一斉に、雨のように
自分に降り注いできた感覚になった。

娘を出産した日、
母にこの母子手帳のことを伝えたが
「おめでとう」との一言だけで
当時の心境についての返事はなかった。
私からも今後再び尋ねることはないだろう。

母が当時をどう語ろうとも、
困惑するであろう状況の中で
私を産む選択をしてくれたという事実が、
私にとっての幸運で、誇りなのだ。

幸運にも与えてもらえた人生で、
私はもっともっと幸せを増やしたい。
自分にも、周りにも。

そして、最期の瞬間には、
「生まれてきて良かった」と思っていたい。

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