大人漫画と僕
自分と大人漫画とのかかわりについて、少し述べておきたいと思います。かつて僕は『BSマンガ夜話』という番組のやや熱心な視聴者でした。僕は、学習まんがを除けば、幼い頃からマンガを読んでいたほうではなく、むしろかなり幼い頃から文学(特に小説)に関心を持っていた少年だったので、この番組で大人がこんなに熱く語っている「マンガ」とはどういうものなのだろうと興味を覚えました。でも、取り上げられているマンガはなんか自分には合わないなと思っていて、田舎の中学生なりに独自に切ない努力をした結果、『「漫画読本」傑作選 劇画よ、さらば! 帰ってきた’60年代の爆笑漫画読本』(文藝春秋、1989年)を手に入れ、「おもしれえ、こっちだ。」と思ってしまったのは、生来のナンセンス趣味とアナクロニズム趣味の結合の結果だったのだろうと思います。道を誤った初めでした。
『BSマンガ夜話』はNHK・BS2で1996年から2009年まで不定期に放送されたテレビ番組ですが、僕は番組が開始してからしばらく経って見始めたので、司会は大月隆寛さんでした。大月さんと同じ世代の岡田斗司夫さん、「マンガ世代」のいしかわじゅんさん、夏目房之介さんがレギュラーパネリストで、「1つの漫画作品を1時間かけて徹底的に語り合う」というスタイルがとても良かったのです。個人的にはいしかわさんの断言と夏目さんの学者風のコメントが好きでしたし、岡田さんは番組的な役割をよく考えて、自分の役目を演じているなと思っていました。後で調べたら全144回らしく、ずいぶん見ていない回があったのだと気づくことになります。
ところで、その144回の放送の中では、いわゆる大人漫画が取り上げられることはなく、むしろいしかわさんの暴言の対象として、4コマ漫画がマンガの定型だと金科玉条のように言っていた「爺たち」がたまに出てくるくらいでした。僕は、大人漫画についての回も少しはあって欲しいな、この人たちがそれを語ってくれたらどのような議論になるのかな、「爺たち」はまだ生きているのかな、死んだんかもな、と思っていたのですが、世代的にも商業的にも、出演者の趣味趣向としても、ついに大人漫画が取り上げられることはなかったのです。しかし、僕のなかでは、そこからいろいろと読書をしていった過程で、劇画や少年少女マンガを見下す鼻持ちならない旧世代、保守反動の権化、ある時期までの漫画界を牛耳っていた老害として語られることが多い「爺たち」に対する関心はますます強まっていき、ひねくれ者の性のせいでしょうか、肩入れを始めたのでした。また、それこそが一番の理由なのですが、実際にその大人漫画を読んでみると、とても面白いのです。もともとナンセンスが好きで、ナンセンスを体現するように生きてきた僕にとっては、彼らのナンセンス漫画は自然に親しむことの出来るものでしたし、僕の敬遠する劇画や少女マンガ、そして現在のマンガの描線とは異質の線が、たいそう気に入ったのでした。
それから時が経ち、自分が文学の創作を始めたり、受験勉強で忙しかったり、大学での研究に夢中になったりしているうちに、いつしかマンガへの興味も失われてしまったのですが、そんな中でもずっと続いていた唯一の趣味である古書蒐集の中で、久しぶりに大人漫画を見たのです。ちょうどその頃、戦前から戦後にかけてのユーモア文学の蒐集にけじめをつけようと思っていたのですが、その蒐集過程で買っていたカストリ雑誌などをめくっている中での再会でした。「懐かしいな」と思ったのですが、それはリアルタイムで大人漫画を読んでいた人々の懐かしさではもちろんなく、自分のややませた、ひねくれた感じの少年期における短い付き合いへの懐かしさでした。そんな少し変な再会からふたたび大人漫画への興味が湧き上がってしまったのでした。いま僕の机辺には、「爺たち」の漫画がたくさん積まれています。安いものしか買わないので薄汚いです。しかし、当時を生きたわけではないのに懐かしさが溢れています。こういうものを読みながら、僕も変な爺になっていくのでしょうか。ちょっとイヤだなと思っています。なぜなら、大人漫画の「爺たち」から生活の余裕と心の余裕を抜き取った老人になりそうだからです。せめて心の余裕だけは喪いたくないのですが、その基盤が非常に脆弱なのです。そこが大人漫画家や彼らの読者たちと決定的に異なる点ではないかと思います。困ったことです。