大人漫画趣味のための参考文献
大人漫画といっても過去のものですし、どうやってそれらの作品に触れればよいのか、歴史的にどのように語られ、評価されてきたのか、わからない人も多いと思います。以下は僕が読んできた書籍や雑誌の一部で、著者名順に並べてみました。ただし、漫画そのものや作品集、展覧会図録は記事にしますので除いています。簡単なコメントを附しておきましたが、個人的な感想なので気にしないでください。お好きなものからどうぞ。随時更新します。
赤塚不二夫『赤塚不二夫が語る64人のマンガ家たち』立東舎文庫、立東舎、2017年
「スポーツニッポン新聞」紙上で1995年3月から6月まで連載されていた「バカボン線友録」をもとに編まれた『バカボン線友録』(学研、1995年)から、本文と巻末マンガを抜粋/編集し、文庫化したもの。赤塚が会話調なため、語りの文体となっていて、読みやすいです。お酒を注ぎながら話をお聞きしているといった雰囲気。
すべての漫画家に触れることもできないので、大人漫画に関わりのある人を紹介します。
「園山俊二 “現代ばなれ”したアイデア」。赤塚と同じ年齢ですが平成5年(1993)に早世。早稲田大学漫画研究会三羽烏の一人ですが、トキワ荘にも出入りし、新漫画党にも参加。どこか「大人」の雰囲気で、年上の藤子不二雄らも一目置く存在。のんびりしていて行儀よいが主張はある、作家ならば吉行淳之介のようなタイプ。
「長谷川町子 雲の上の人が僕を押してくれた!」。手塚と並ぶ戦後最大の漫画家。絵がへたという人もいるが、上手で、シンプルでいて行き届いている。本人が人前に出るのが嫌いだったので会ったことはないが、第18回文藝春秋漫画賞(昭和47年)を受賞した時、長谷川が推薦してくれたことに感謝しています。
「馬場のぼる 画風そのまま…牧歌的な人柄」。「漫画集団」の先輩で、とぼけた性格。手塚、福井英一と並ぶ存在。福井急逝後は手塚派と馬場派に二分される存在でしたが、手塚と馬場は親友で、二人を中心に「漫画家の絵本の会」が作られたとのこと。絵のうまさは最高クラス、手塚の通夜の時、はじっこにいたほど控えめな人。
「加藤芳郎 爆笑! 台本持って舞台劇」。いきなり「加藤芳郎は漫画家ではありません。」と書いてしまいます(笑)。真意は漫画界では収まりきらない「役者」だということ。「文士劇」では台本を持ちながら棒読みするだけで受けた人。大家は漫画が枯れてゆくのに、加藤はエネルギッシュだったという評価。
「岡部冬彦 スマートでモダンでインテリなのだ」。「アッちゃん」も「ベビーギャング」も横文字感覚の漫画。ダンディでお洒落でインテリだったとのこと。
「根本進 “サイレント”って難しいのだ」。「朝日新聞」夕刊に15年連載されたサイレント漫画「クリちゃん」で有名。本書で赤塚もサイレント漫画に挑戦しますが、4コマめに「これでいいのだ!」と使ってしまいます(笑)。耐えきれなかったのでしょう。絵はシンプルであたたかく、ていねい。根本自身も「難しい」、「出来が悪い時なんか、恥ずかしくて、やめたくなりますよ」と言っていたそうで、それを聞いて赤塚も安心しています。
「やなせたかし 参った……「シェー」が「性」」。「漫画集団」の大御所。やなせ作詞の「手のひらを太陽に」のコンサートにゲスト出演した赤塚。当時『シェーの自叙伝』を出したばかりだったので、司会のやなせが紹介してくれるのですが、「シェー」が「性」にしか聞こえなくて参ったとのこと。漫画では「ボォ氏」(赤塚は「ボゥ氏」と書く)を評価。「週刊朝日」の懸賞漫画入選作品ですが、大御所なのに応募して賞金100万円を貰ってしまう勇気に脱帽しています(笑)。馬場のぼるにしてもやなせたかしにしても、絵がうまいから絵本の世界に入れるということ。
「森田拳次 “1コマ”に生きるかつてのライバル」。「少年サンデー」の「おそ松くん」と競いあった「少年マガジン」の「丸出だめ夫」の作者。昭和46年、ニューヨークで漫画修行中の森田が書店を開業したが、共同経営者に騙されて、店を乗っ取られた話。お祝いに駆けつけた赤塚は呆然としますが、泣いている森田を見て、持ってきたお土産をぜんぶ店に並べてやったというのが、とても良い話。その後、酒を飲みながら隣に座った75歳くらいの女性を口説いたというのは、もっと良い話。「1コマ漫画」に挑戦する森田にエールを送っています。
「横山隆一 すごい! GHQに殴り込み」。戦争末期、アメリカ軍が降伏勧告の宣伝ビラに「フクちゃん」の漫画を無断使用したので、戦後GHQに抗議した話。横山が文化功労者に選ばれた時のパーティーに来たアメリカのマイヤーズ特別補佐官が、180円と領収書を持参した話は作り話のような良い話。
「小島功 さすが! どこでも女性を観察」。スマートで格好良い、銀座の似合う人。エロチシズム漂う女性の絵で知られていますが、海外でも女性の観察に熱心だったとのこと。筆が早いことも特徴。
「杉浦幸雄 八十三歳、まだ生臭い色気が……」。赤塚が生まれて初めて読んだ漫画が杉浦の「ハナ子さん」だったとのこと。お母さんが気に入っていたみたいです。赤塚とは「おそ松くん」で小学館漫画賞を受賞した時からの縁で(杉浦が審査員)、家族ぐるみの付き合いだったようです。
「黒鉄ヒロシ 初作品から130%“小さな巨人”」。黒鉄の絵を最初に見たプロ漫画家は赤塚だとのこと(本当かどうか不明)。絵のうまさ、細いペンタッチで、表情のとらえ方が抜群とのこと。
飯沢匡『現代漫画家列伝—漫画100年史』創樹社、1978年
著者は著名な劇作家 、演出家 、小説家。明治42年(1909)生まれ、平成6年(1994)没。喜劇やユーモア小説、また、『武器としての笑い』など笑いや諷刺についての評論で知られる飯沢ですが、漫画との関わりも深く、戦前にジグス「親爺教育」や椛島勝一「正ちゃんの冒険」を連載した『アサヒグラフ』の編集長に戦後彼が就任した時代にさかのぼります。飯沢は誌上に「マンガ学校」という欄を設け、横山隆一と近藤日出造に校長になってもらい、投書漫画家のなかから新人を発掘しようとした企画でした。この欄からは『毎日新聞』に「ヒトクチ漫画」を連載した小林治雄が出ました。飯沢によると、この欄の目的は、「漫画集団」の影響下にない新人を世に送るということでしたが、校長が横山・近藤なので、結局それらの新人は「漫画集団」に参加してしまい、当時の漫画界の序列に組み込まれてしまったため、ジャーナリズムは彼らを厚遇しなかったとのことです。さりげなく「漫画集団」の負の側面を記しています。飯沢は、文藝春秋の「漫画讀本」創刊にも寄与するところ大で、文藝春秋漫画賞の選考委員にもなります。
本書は、昭和42年(1967)から一年間『現代』に連載した漫画家列伝(北沢楽天、岡本一平、宮尾しげを、麻生豊、椛島勝一、田河水泡、田中比左良、横山隆一、清水崑、長谷川町子、加藤芳郎、手塚治虫)を一本にまとめ、「漫画と劇画の差異」、「寸評形式による現代漫画小史」(文藝春秋漫画賞の選考経緯や受賞者略歴、受賞の言葉、各選考委員の選評を転載したもの、ただし飯沢以外の選考委員の発言は抄録)を加えたものです。文藝春秋漫画賞に山藤章二、赤塚不二夫、手塚治虫、福田繁雄など、それまでの賞の経緯や性格からはみ出す漫画家が受賞に至ったのは、主に飯沢の強い推薦があったからだということが、よくわかります。
石子順『日本漫画史』現代教養文庫、社会思想社、1988年
呉智英『現代マンガの全体像』の「日共の御用評論家・石子順批判」を先に読むと、まったく読む気にならない石子順の著作。もともとは大月書店から刊行された『日本漫画史』上下2巻に加筆訂正を加えて文庫化したもの。巻末の「文庫版のためのあとがき」は、前著刊行以後の8年間の漫画をめぐる出版情報を羅列していますが、1986年に刊行された呉智英『現代マンガの全体像』(情報センター出版局)は無視されています(笑)
呉智英の批判は傾聴に値すると思いますし、石子の態度には問題があります。ただ、石子は批判に応えるべきだと思ったのでしょう、後に呉と論争しています。石子は1コマ漫画に好意的な評論家なので、その左翼的なイデオロギーを踏まえて読めば「可」です。
ただ、意外なのは、戦時中の漫画家の行動には比較的寛容な姿勢を取っていることで、石子順造のように漫画家の精神の内部まで抉るような批判は、戦時中についても戦後についてもありません。この人は呉にその変節ぶりを糾弾されるように、自分のイデオロギーと全体の史観が一致していないのです。特にこの本は、まんべんなく今までの研究をまとめました、という書き方でオリジナリティに欠けるきらいがあります。
石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊國屋新書、紀伊國屋書店、1975年
石子順造の名著と言っていいでしょう。戦後日本のマンガをめぐる状況を検証するにあたり、「漫画」と「劇画」の対比を軸に持ってくることによって、鮮やかな見取り図を描いています。「おとなマンガ」(石子の表記)についても、各年代ごとに情況を振り返っていて、いかにして大人漫画が内的訴求力を失っていったのかがわかり、有益です。当時の漫画界の中心であった戦前の「新漫画派集団」、そしてその衣替えに過ぎない戦後の「漫画集団」が中心を担った大人漫画についての批判は冷静な観察によって支えられたものであると思いますので、石子の指摘も充分抑えた上で、大人漫画の考察や鑑賞は進めていくべきでしょう。
「芸術などという言葉には一切とらわれず、よりいきいきと生活の地平のアクチュアリティを体現するのが本来のマンガのあり方でもあろう。マンガを芸術だといってみたところで、マンガ表現を積極的に評価したことにはならない。マンガを表現としてアクチュアルに成立せしめているのは、あくまで価値的な芸術としての評価などとは無縁な、生活実感そのものであるだろう。」という言葉に、今も昔も賛同する人は多いでしょう。大人漫画の漫画家たちのなかには、マンガは絵画あり芸術であるとする人が少なからずいたのですが、そのあたりが当時から時代とずれていたのかもしれません。ただ、こういうふうに書く石子自身がマンガの「芸術性」と代えるに「生活実感」を以てする、という本質的には同じ事をしているのには疑問を持ちます。石子は他にもマンガについての批評に異議申し立てをおこなう理念を表明しています。例えば、『現代マンガの思想』(太平出版社、1970年)では、「カーツーンについてその絵画性とモチーフを論じ、連続コママンガについてはもっぱらテーマを軸としてプロットを追い、背景になっている時代情況などを意味づけながら登場人物の性格を分析し、そして作家の思想性を論じるといった推断」という既成の手法ではマンガをマンガとして評価し得ないと述べています。そして、しかしその石子自身も理念を先行し過ぎて同じ道を辿っているとして、マンガ表現を成り立たせている最低限の要素である「コマ」と「描線」から徹底的にマンガ表現の内部を考えたのが、夏目房之介であり、その到達点あるいは新たな出発点が『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房、1992年)であると言えるでしょう。ここからマンガを表現として考察する現在の主要な批評の道が始まったと思います。
石子順造『マンガ/キッチュ—石子順造サブカルチャー論集成』小学館、2011年
石子順造のマンガ論、マンガ表現論の中から、単行本未収録の論文を発掘し、集成したもの。「第Ⅰ部」がマンガ論、「第Ⅱ部」がキッチュ論です。マンガ論だけでも4章に分かれており、総ページ数は400ページに近い重厚な本ですので、少しだけ紹介します。
「第3章 マンガ表現論」の「大政翼賛マンガの実態—自らの内なる庶民性に目を向けぬことによって職業的地位を保持した日本のマンガ家たち!」。戦前・戦中期の日本のマンガ家たちの動向について、一刀両断しています。権力に屈するとか屈しないとかいう以前に、それ以前の問題として、日本のマンガ家は江戸時代の戯作者の職人芸と無思想性を受け継ぎ、その恥部をさらけ出したという見解です。柳瀬正夢、まつやまふみお、下川凹天などのわずかな例と比較して、近藤日出造を筆頭に「新漫画派集団」が批判されます。特に、昭和15年(1940)に創立された「新日本漫画家協会」の機関誌であった『漫画』における近藤の言葉に痛烈な怒りを向けている点は『戦後マンガ史ノート』と同様です。
「第4章 マンガと情況への発言」の「〈青い目〉を開く時代 『漫画』『ビッグコミック』創刊の意義」。近藤日出造らによる『漫画』の復刊について、戦中の行動と戦後の発言と併せて批判しています。大人漫画についてはもともと言及は少ない人ですが、僕などが読んでも近藤の饒舌な開き直りというのは不愉快ですし、その近藤を理事長に推戴してしまう当時の日本漫画家協会のありかたも、あまりに無反省ではあるなと思いました。ただし、一方的に近藤をはじめとする漫画家たちを批判することは、僕にはできません。あの居直りがあったからこそ戦後の混乱期にいちはやく漫画が復活していったという面も否めません。また、戦争を経験していないので、理論上はできるのですが、心情的には困難なのです。
伊藤逸平『現代の漫画』現代教養文庫、社会思想社、1959年
タイトルから判断すると内容を間違えてしまう本。当時の日本の漫画についての評論かと思いきや、中身はすべて外国人漫画家の紹介です。しかし、紹介されている15名はさすがに錚々たる顔ぶれですね。
ギュンテル・カンツラァ(ドイツ)、シャバル(フランス)、アブナー・ディーン(アメリカ)、A・デュブウ(フランス)、ジャン・エッフェル(フランス)、アンドレ・フランソワ(フランス)、ジョヴァネッティ(イタリア)、ホフヌング(イギリス)、レオン(ベルギー)、ロバート・オズボーン(アメリカ)、バージル・F・パーチ(アメリカ)、ロナルド・シール(イギリス)、ウィリアム・スティーグ(アメリカ)、スタインベルグ(アメリカ)、ジェイムス・サーバー(アメリカ)。
世界の漫画家をとりあえず見ておきたい場合には格好の入門書かもしれません。個人的には、デュブウの懐かしのドタバタ喜劇、フランソワの詩情、レオンのユーモア・ナンセンス、シールの人を喰った風刺、スティーグのませた恐るべき子供、スタインベルグの豊かなアイデア、サーバーの冷血なまでの視線が好きです。ソ連や中国など共産主義圏の漫画家は収録されていません。大木昭男編『ソ連は笑う―ソ連漫画傑作集』(エンタプライズ、1980年)や森哲郎編『諷刺と幽黙―中国現代漫画集』(広報企画センター、1980年)などで補いましょう。
著者の伊藤逸平は、大正元年(1925)生まれ。早大中退後に日大芸術科卒。アルスの「カメラ」編集長などを経て、昭和21年(1946)にイヴニング・スター社を設立、総合風刺雑誌「VAN」創刊。漫画研究家、写真研究家としても著名。
伊藤逸平『日本新聞漫画史』造形社、1980年
チャールズ・ワーグマンから横山隆一まで、日本の代表的な新聞漫画家の作品解説をしながら、日本新聞漫画史を描き出そうとした労作。取り上げられているのは、ワーグマン、小林清親、ジョルジュ・ビゴー、北澤楽天、紫藤南天、岡本一平、下川凹天、和田邦坊、柳瀬正夢、麻生豊、横山隆一です。ただし、以下の理由からか、時間の関係か、戦前(昭和10年前後)で叙述を終えています。
新聞漫画史を書く難しさの一つに、資料の蒐集の困難さが挙げられると思います。著者も相当苦労した様子はあとがきからうかがえます。また、新聞漫画と言われてすぐに連想する四コマ漫画だけでなく、エッセイ風のもの、人物評、世相諷刺、紀行文なども含まれますので、これらを蒐集するのは大変な難事であろうと思います。これは現在でも変わっていないでしょう。また、一口に新聞漫画といっても、発表媒体が大新聞である場合はともかく、地方新聞になると、困難はいっそう強まるでしょう。著者も地方新聞掲載の作品は省いています。
著者は対象となる漫画家を知るために、テキストを蒐集閲覧するだけでなく、遺族や弟子筋の漫画家に会ったり、時には漫画家本人を訪ねたりしています。和田邦坊に会った話、麻生豊が終戦直後の焼け野原の東京を描いた絵巻が現在見つかっていないことなど、ほんの少しの記述ですが、興味深いものでした。
茨木正治(編)『マンガジャンル・スタディーズ』臨川書店、2013年
論文集。日本の近現代における1コママンガ(カートゥーン)とマンガ(コミック)をめぐる状況の把握を主眼としたもので、8本の論文から成っています。独自性としては、編者の依頼によって、各執筆者が、コミックについてはカートゥーンの視点で、カートゥーンについてはコミックの視点で論じるよう求められているところでしょう。全体的におもしろいテーマで論じられていますが、執筆者が大学の研究者なので、ちょっと硬い書き方ではあります。「マンガってそんなに難しく考えるものなんかなあ」という印象も多少受けます。
岡部冬彦『かなりいい話』有楽出版社、1982年
『アッちゃん』『ベビー・ギャング』などの名作で知られる漫画家・岡部冬彦が、自身もその一員だった「漫画集団」とそのメンバーをめぐる逸話を記したもの。当代漫画家裏話集といった趣。漫画家の人となりを知るには格好の書物です。まあ、出て来る漫画家は古いのですが。この頃には手塚治虫や赤塚不二夫も「漫画集団」に入っていますから、少しですがエピソードも出てきます。主役は、近藤日出造、杉浦幸雄、横山隆一・泰三兄弟、清水崑、西川辰美、塩田英二郎、加藤芳郎など大人漫画の大家や、その他の中堅です。戦後の話が多いのですが、戦前や戦時中の話もおもしろおかしく記されていて貴重です。
尾崎秀樹『現代漫画の原点—笑い言語へのアタック』講談社、1972年
大衆文化・大衆文学研究者として知られる尾崎秀樹の漫画論。というか、漫画をめぐる雑文集といったほうが良いかもしれません。大衆文化研究の一環として漫画に取り組んでいますが、まだ手探りに進んでいるという感じが文章から伝わってきます。第一章の「笑い言語へのアタック」から、また何ともとりとめのない文章が始まっていて、著者自身も言っているようにどこまでも結論のない内容です。第二章以降は、一応作者と作品の主人公の両面から漫画を考えていこうとしているのですが、どちらも他にすぐれた本がありますので、中途半端な印象を受けます。大冊ですが、どう評価してよいのかわからない本。
尾崎秀樹『漫画のある部屋—現代まんがへの視角』時事通信社、1978年
この6年前に出した『現代漫画の原点』で漫画論とは決別したはずの尾崎でしたが、その間にまた漫画に関する文章がたまってしまったようです。もともとの漫画への関心は、大衆文化研究のためには子供漫画や劇画を避けては通れないというところから来ているようですが、それに加えて漫画が好きだったのでしょうね。取り上げられている漫画家は、田河水泡、宮尾しげを、阪本牙城、手塚治虫、チック・ヤング、倉金章介、上田とし子、清水崑、桑田次郎、白土三平、小島剛夕、つげ義春、真崎守、永島慎二、さいとう・たかを、石森章太郎、松本零士、赤塚不二夫、ジョージ秋山、東海林さだお、梶原一騎(と、ながやす巧)など。他に「漫画の散歩道」というさらに短い文章を集めた章があり、杉浦茂、前谷惟光、寺田ヒロオ、横山光輝、山根赤鬼、貝塚ひろし、わち・さんぺい、関谷ひさし、辰巳ヨシヒロ、水木しげる、滝田ゆう、ちばてつや、板井れんたろう、つのだじろう、藤子不二雄、園山俊二、山上たつひこを取り上げています。
尾崎は昭和3年生まれで、いろいろな年代の、いろいろなタイプの漫画家の作品を読んで取り上げているのですが、全体的に非常に肯定的で、若い世代の感性に対しても理解を示します。そのあたりが物足りない印象を与えたり、個々の見方には疑問もあったりするのですが(例えば白戸三平について)、園山俊二の「ギャートルズ」を語るのにジャック・ロンドンを持ち出してきたりするところや、さし絵と児童漫画の話をしたりするところに、大衆文化・大衆文学研究者ならではの視点もありました。この時代の、この年齢の文学プロパーの知識人としては、漫画をよく読んでいた人なのだろうと思います。以前に小谷野敦が批判していましたが、マンガを読まずに育った(と思われる)知識人のマンガ論というのは、それが妙に論理的であるほど胡散臭いものです。
小野耕世『マンガがバイブル』新潮社、1984年
もともと「翻訳の世界」に連載されていた「マンガ博物館」がベースになっています。まさに「博物館」的な編集で、どこから読んでもいいのですが、マンガに関するいろいろな知識だけでなく、マンガを通して日本文化やアメリカ文化を知ることが出来ます。著者の知識量の膨大さもさることながら、その知識を楽しく伝えてくれる視点が素晴らしいです。本当に楽しい一冊。最初気づかなかったのですが、装幀は夏目房之介です。
片寄みつぐ『戦後漫画思想史』未来社、1980年
この本は、造本上も内容もかなり重いものなので、簡単に触れることは出来ないのですが、簡単に触れたいと思います。ちゃんとした紹介は他の方に任せましょう。
「敗戦」という歴史的事実を基点として、戦前のプロレタリア漫画の影響を受けて育ち、漫画家でもあった著者が、自分の歩んできた「戦後」とはなんであったのか、自問しながらあくまでも「私の思想史」として書いたものです。ですから「戦前」の漫画については省略されていますが、その「戦前」と「戦後」の繫がりは、加藤悦郎という漫画家個人を通して描かれています。
著者の立場には上記のほかにも特徴があります。一つは、「漫画は絵画であり、美術である」という認識です。また、戦後漫画史は民衆の芸術としての漫画がいかに時代とともに生きたか、そしてそれはどういうことなのか、ということを明らかにしようという信念です。もう一つは、日本の漫画の造形性と思想性の弱さを批判する点で、それは漫画を芸術としてではなく娯楽として享受してきたことに原因を求めている点です。もう一つは、70年代のマンガ・ブームを「いかに巨大な現象でも不毛なもの」と捉えている点です。著者はその不毛性に代替するものとして「労働漫画」を紹介し、その未来に期待していますが、現実はその未来記とはまったく違うものになってしまいました。
ともあれ、「プロレタリア漫画」や「労働漫画」について知りたい人には特におすすめで、中には優れた作品もあると感じることが出来るでしょう。また、敗戦直後の漫画が掲載されていますので、そういう図版も貴重なものが多く、ため息の出るような本です。全体の流れの中で、それぞれの時代の漫画家たちについての各論も記述されていきますが、上記のような立場から鋭く辛辣な批判を加えています。私には著者の路線を継承し、深化させた批評家は出なかったように思えますが、どうなのでしょうか。
河出書房新社『人生読本 マンガ』河出書房新社、1986年
日常生活のなかで出会うさまざまな「ものごと」との関わりから人生を考えようという「人生読本」シリーズの一冊。漫画家や他分野の著名人38名の執筆者のエッセイや鼎談を収めています。おもしろいと思ったものを2篇だけ挙げましょう。
荻原葉子「マンガオンチ」。荻原は大正9年(1920)生まれの小説家・エッセイストで、萩原朔太郎の長女です。このエッセイでおもしろいのは、萩原は子どもの時からマンガに夢中になったことがなく、その頃からマンガを読んでもピンと来ないと告白していることです。こういう人はいるわけで、僕も子どもの頃はそうでした。両親の嗜好の問題もあるでしょう。僕の場合は父も母もマンガは読まず、それについて語ったこともありませんでした。一度だけ、父がジョージ秋山の『浮浪雲』をすすめてきたことがあって、読んでおもしろいと思ったのですが、その頃には『BSマンガ夜話』を見ていて、そこに取り上げられないことを通じて「大人漫画」の世界に入っていたので、深入りはしませんでした。ただ、父の人生観がマンガの選択に表れていることには注意しました。「子どもはマンガを読むものだ」という漠然とした思い込みは世代に関係なく事実誤認だと思います。マンガに興味のなかった人がそれをわざわざ語らないだけです。
海外マンガの蒐集でも知られる星新一「フクちゃん論」。横山隆一の「フクちゃん」は「禅」だという話。「フクちゃん」が年を取らず、時間を超越していること、「フクちゃん」の4コマのうち、あとの2コマを隠すと結末を想像できないということ、余裕があり余分がないこと、女性は出て来るが「おんな」は出て来ないことなどを挙げていますが、結論としては「論評不可能なのである」というのが笑ってしまいました。
ついでに、また自分の子どもの頃の話に戻ります。幼い癖に「尾崎一雄はいいよね」「嘉村磯多にはまってる」などと言って大人たちを困惑させていたほど、私小説偏重の純文学好きだった僕は、小学生の頃、星新一と北杜夫の二人を何となく軽蔑して読まず、灰谷健次郎を危険な思想を持つ人物だと感じていました。それが今ではマンガを通じて星新一を見直すようになりました。これはマンガの功徳でした。北杜夫のことは相変わらず好きではないのですが、軽蔑はしていません。しかし、灰谷健次郎は今でも思想的に危険な人物だと思っています。児童文学にその思想を隠して入ってくるのが、極めてたちの悪いところです。良い子は大人に好きです灰谷を読まないようにしましょう(笑)。
呉智英『現代マンガの全体像』双葉文庫、1997年
昭和61年(1986)に情報センター出版局から刊行された『現代マンガの全体像』、平成2年(1990)にそれを増補改訂して史輝出版から刊行された『現代マンガの全体像・増補版』を文庫化したもの。第1部「現代マンガの理論」の2章「マンガ評論の現状」がおもしろいです。石子順、副田義也、津村喬、梶井純、構造主義系のマンガ評論に対してそれぞれ批判しています。批判された側の本を自分で読んでみてから、自分なりの判断を下しましょう。第2部「現代マンガ概史」は北澤楽天・岡本一平から1986年あたりまでの史的概観。大人漫画への厳しい評価が印象的。
幸森軍也『マンガ大戦争 1945〜1980』講談社、2010年
労作です。戦後のマンガについて、特にテレビ放送開始後の少年・男性向けのマンガ雑誌に焦点を当てながら、客観的に記述を進めていきます。今では入手困難な資料、当事者の証言、社内文書などを利用し、資料中心に手堅く記述していく姿勢が非常に良いと思うのです。ネット上の感想を読むと「淡々とした記述が続く」というような印象を持つ人もいたようですが、あまりにおもしろさを重視するために扱う資料の少ない本や、著者のお話に合わせて資料を読み解いてしまう本よりは、ずっと良いと感じます。
「月刊誌・赤本マンガ・貸本マンガ(一九四五年〜一九五九年)」「「サンデー」と「マガジン」(一九五九年〜一九六五年)」「「キング」「ジャンプ」「チャンピオン」(一九六三年〜一九七五年)」「劇画の「マガジン」、ラブコメの「サンデー」(一九六五年〜一九八〇年)」「成年誌と青年誌(一九五六年〜一九八〇年)」の5章立てですが、僕の興味のある第5章「成年誌と青年誌」を見たいと思います。
戦後いち早くマンガに注目したカストリ雑誌から昭和29年(1954)12月の「文藝春秋臨時増刊漫画讀本」の発刊による大人漫画のブームに着目した芳文社の小林隆治が「ストーリーマンガ」をめざす週刊マンガ誌を発想し、わずかな予算で「大人のためのストーリーマンガ誌」を作ります。それが昭和31年(1956)11月創刊の「週刊漫画TIMES」で、誌名は「週刊」ですが、当初は月2回刊、類似雑誌がないことから、同誌が人気を博した後、昭和34年(1959)から週刊化します。
いっぽう、それを見た実業之日本社は峯島正行を編集長にしてナンセンス中心のマンガ週刊誌「週刊漫画サンデー」を昭和34年(1959)8月に創刊。峯島は「ポンコツおやじ」「チンコロ姐ちゃん」で爆発的人気を得た富永一朗と独占契約を結ぶなど先駆的なシステムを構築します。また、同年に少年向けの「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」が発刊されたことも刺激となり、60年代には大人向けのマンガ雑誌が次々に創刊されました(創刊一覧表があります)。
このあたりは大人漫画趣味にとっても参考になります。ただ、僅かですが、伊藤逸平の「VAN」やまつやまふみおの「クマンバチ」が戦前から続いているかのような記述は不正確(実際は前者は昭和21年創刊、後者は昭和22年創刊)ですし、これは著者も断っていますが、大人向けのマンガ雑誌の一覧表はさらに補訂すべきです。しかし、ここまでまとめてくれただけでも有難いことです。記述は劇画誌や青年誌に移っていきますが、そのあたりは実際に読んでいただくということで。
「國文學 解釈と教材の研究 現代マンガの手帖」學燈社、1981年
国文学の雑誌でもマンガが特集され、マンガ批評でおなじみの人々に、文学・思想系の人々を加えた編制で、各自思い思いにマンガについて語っています。執筆者は吉行淳之介をはじめ33名。
時代的に仕方ないのですが、大人漫画については、ほとんど語られることがなく、後半の「現代マンガ・コレクション」にも収録されることはありませんでした。
小山昌宏『戦後「日本マンガ」論争史』現代書館、2007年
戦後日本のマンガをめぐる数多くの「論争」。それは現在マンガに関心のあるすべての人々に共有されているとは言えません。著者はその「論争」の中から八つのトピックを選び、手際よくまとめつつ、著者自身の見解を示します。「論争」にはさまざまな論点が錯綜しており、そのこと自体がマンガ文化の多様性と複雑性を示してくれるのですが、著者の選んだトピックごとの「論争」を批判的に読み、考えていくことによって「マンガの本質」に近づいていけるかもしれません。なかなかこのようにわかりやすく「論争」をまとめた本はないので参考になります。
8つのトピックを紹介します。
1 石子順造×石子順 漫画家「戦争責任」論争
2 手塚治虫×水木しげる 子どもマンガ・大人マンガ(劇画)論争
3 松沢光雄×斎藤正治 マンガ有害論争
4 稲葉三千男×津村喬 マンガ低俗文化論争
5 水野良太郎×片寄みつぐ ひとコマ漫画「衰退原因」論争
6 権藤晋×夏目房之介 マンガ歴史観論争
7 竹内オサム×伊藤剛 映画的「マンガ観」論争
8 『テヅカ イズ デッド』と『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』を読む
境田昭造『君子笑変—漫画家たちの昭和史』新潮社、1986年
漫画界の無頼派文士的存在、境田昭造による回顧録。取り上げられるのは、近藤日出造、杉浦幸雄、清水崑、六浦光雄、小野佐世男、横山隆一の6名。いずれも漫画集団のメンバーで、「漫画集団にあらずんば漫画家にあらず」といった遠い時代の回想です。それぞれの人柄はもちろんのこと、戦前の「新漫画派集団」や戦後の「漫画集団」の成立や内部の事情なども聞き書きをもとに描かれていて、興味は尽きません。また、戦時下の漫画界の動向に関しては石子順造の近藤批判などと比べて読んでみると、立場の違いがはっきりします。漫画家それぞれのエピソードについて知りたい人は岡部冬彦の『かなりいい話』と併せて読みましょう。
作田啓一・多田道太郎・津金沢聡広『マンガの主人公』至誠堂新書、至誠堂、1965年
大正末期から戦後にかけての漫画に現れた47の主人公たちについて、それぞれのキャラクターの時代的意味を考察した一冊。著者は、昭和23年生まれの作田、昭和24年生まれの多田、昭和32年生まれの津金沢で、当時全員が大学の教員であったので、難しい本かと思うでしょうが、これが非常にわかりやすい解説で、名著と言っていいと思います。児童漫画の主人公も大人漫画の主人公も取り上げられており、岡本一平『人の一生』の「唯野人成」から根本進『クリちゃん』の「クリちゃん」までです。日本の漫画がいかに魅力的なキャラクターによって支えられ、展開してきたのか、ということがよく分かります。
これら赤穂浪士になぞらえられた47の主人公たちは、前髪姿の子どもの侍「団子串助」、ひとり娘のお嬢さん「ひね子さん」、人間社会の一員になってしまう「蛸の八ちゃん」、粗忽な江戸っ子「あわてものの熊さん」、都会の平凡な青年「只野凡児」、鬼ヶ島では村長格の二匹の鬼「赤ノッポ青ノッポ」、実用主義者である戦時中の主婦「思ひつき夫人」、時代錯誤の老教師「轟先生」、何ものでもあり何ものでもない無名の大衆を具現した「プーサン」など、戯画化された動物も含めてさまざまな日本人のタイプを象徴しています。日本人の精神史としても読める一冊です。
清水勲『漫画の歴史』岩波新書、岩波書店、1991年
江戸時代から戦後までの漫画の通史。漫画と漫画家だけでなく、漫画を支えた編集者たちや時代を代表する思想家たちと漫画との関わりなども、エピソードを通じて知ることができます。漫画史に関する知識を増やすためには良い一冊。
清水勲(編)『近代日本漫画百選』岩波文庫、岩波書店、1997年
マンガをカートゥーン(1コマないし数コマから成る漫画、短篇コマ漫画を含める場合もある)とコミック(ストーリー性のある主として中・長篇のコマ漫画)に大別し、前者を後者の発展過程で出現したものであるから、カートゥーン(特にその原点である1コマ漫画、一枚絵)を知ることが漫画を知ることの手がかりになる、というのが著者の立場。著者はそれらを「諷刺画」と呼び、100点を陳列して、解説してくれます。
「幕末の諷刺画」として葛飾北斎など5名、「明治前期の諷刺画」として落合芳幾など9名、「明治後期の諷刺画」として小林清親など13名、「大正期の諷刺画」として北沢楽天など9名、「昭和戦前期の諷刺画」として大槻保など13名、「昭和戦後期の諷刺画」として清水崑など9名で、時代をまたがって二度登場するのがワーグマン、小林清親、ビゴー、北沢楽天、岡本一平、麻生豊です。巻末に全体の解説として「近代日本諷刺画の系譜」があり、幕末から明治期までの「諷刺画」の流れと特徴が簡潔にまとめられています。
著者は、本書の目的として、「諷刺画」を読み解くことで、漫画とは何かという問いに答えようとしています。「マンガ」ではなくあくまで「漫画」とは何か、です。もう一つの目的として、「時代の感情」「庶民の感情」を掬い上げることを挙げています。この「時代の感情」≒「庶民の感情」というのが、なかなか厄介で、「時代の感情」≠「庶民の感情」となる場合もあると思いますので、これらの漫画に表れた精神だけを「時代の感情」と理解することには注意が必要でしょう。
清水勲『四コマ漫画—北斎から「萌え」まで』岩波新書、岩波書店、2009年
江戸時代から21世紀まで190年に及ぶ4コマ漫画、江戸時代の「北斎漫画」から平成の「不条理4コマ」「萌え4コマ」までの歴史を描きます。もう清水勲の口から「萌え」という言葉が出て来ることに感慨無量です(かなり年下の僕のほうが「萌え」に詳しくないので、そのあたりは流し読みしましたけれども)。4コマ漫画の歴史を知るのに便利な一冊です。新書ですから、全体的に啓蒙的な内容で、それぞれの作品についての深い考察は他の本に譲るということでしょう。しかし、発行年(2009年)から考えて、昭和末から平成以降の記述はあまりにも少なく、内容も薄いので、本書はあくまでも戦前から戦後の4コマ漫画に焦点を当てた本と言ってよいと思います。
須山計一『日本の戯画—諷刺と抵抗の精神』現代教養文庫、社会思想社、1960年
タイトルにあるように、漫画を「戯画」として捉え、その歴史を通観するもの。古代の法隆寺金堂落書から現代の久里洋二までをカバーするという、壮大な本。須山は「手ごろなハンドブック」と言っていますが、形態以外はなかなか手ごろではありません。しかし、この千数百年という長い時間にわたる歴史における100名近い作者を取り上げて、200ページ強の文庫に図版入りでまとめている点は、間違いなく手ごろです。初版第1刷の間違いなどが重刷以降で訂正されていますので、そちらを買うべきです。注意してください。
著者は明治38年生まれ、東京美術学校在学中より「文章倶楽部」「英文日日」誌上で漫画家として活躍し、日本漫画連盟、日本プロレタリア芸術連盟に加盟。卒業後も「戦旗」「東京パック」誌上に漫画を描き、昭和11年に最初の著作『現代世界漫画集』(日本漫画研究会)を刊行します。油絵画家としても活躍し、戦後は日本美術会に所属。多くの著作があります。当時の漫画研究の第一人者という立場でした。
須山計一『日本漫画100年 西洋ポンチからSFまんがまで』芳賀書店、1968年
著者が蒐集した漫画単行本、漫画雑誌、新聞漫画の切り抜き、原画を材料として系統的に並べ、作者の経歴に触れながら作品を解説するという、オーソドックスな漫画史。刊行年から考えて当然なのですが、時代的には明治、大正、昭和戦前、戦後が中心です。後の『漫画博物誌―日本編』で十分といえば十分ですが、執筆当時のビビッドな記述もあります。例えば最後の「とびだす新人群」では数名の若手漫画家が挙げられています。名前を記すと、木村しゅうじ、多田ヒロシ、滝谷節雄、水野良太郎、八木義之介、山内勝由、紫藤甲子男(しとうきねお)、ヒサクニヒコ、畑田国男、園山俊二、和田誠、河原淳、伊藤直樹、伴武司、福田トシオ、岩崎博之、小幡堅、三乗明、C・トクタロー、矢尾板賢吉、古川タク、高りょう、緒方健二、ムギケンジロー、宮村正治、佐藤仲男、徳田雅仁、岡田史子。有名な人も混じっていますが、誰だかわからないという人が数人(僕の場合)。皆さんはどうでしょうか。調べましょう。
須山計一『漫画博物誌—日本編』番町書房、1972年
日本の漫画について、その前史ともいうべき奈良時代から中世・近世を経て、近代漫画の成立、戦前・戦中期、戦後の隆盛期、昭和40年代後半までを網羅的に解説したもの。漫画史の流れが手際よくまとめられていて、しかも図版が多いので、理解しやすいです。通史であり博物誌でもあるのですが、普通なら零れ落ちてしまうような漫画家の名前も出て来て、目配りのきいた編集と言えます。姉妹篇の『漫画博物誌—世界篇』とともに須山の最後の著作です。
副田義也『現代マンガ論』日本経済新聞社、1975年
やはり呉智英に批判された著者。しかし、僕は各論はおもしろいと思っていて、特に1章の東海林さだお、福地泡介、園山俊二、長谷川町子、黒鉄ヒロシ、はらたいらに関する論が個人的には参考になりました。はらたいら論というのは意外にないものではないかと。ただし、図版がないのが欠点。どうしてもマンガ論には実際のサンプルが必要だと思いますね。絵を文字だけで理解するのは、誰でも知っている名画でもなかなか難しいし、それ自体がナンセンスな感じがします。読者の負担を軽くするためにも。
竹内一郎『北澤楽天と岡本一平—日本漫画の二人の祖』集英社新書、集英社、2020年
さいふうめいこと竹内一郎が、明治期の北沢楽天、大正・昭和前期の岡本一平の切り開いた地平に手塚治虫が登場したという見立てで、日本のマンガの歴史をすっきりと考えようとする本。そこが既存のマンガ史と違う点であると著者は言います。手塚に対する楽天や一平の影響という点はよくわかるのですが、逆に言えば、手塚ありきのマンガ史であって、楽天や一平の影響のみ考えてしまっていいのかなという疑問も湧きます。目的がはっきりしていて、基本的にこの三人にしか焦点を当てていないので、確かに歴史が一気通貫はするのですが、何だか不安になるのは僕だけでしょうか。もちろん、「楽天山脈」「一平山脈」として弟子筋の漫画家たちが紹介されたり、大城のぼるや宮尾しげをが手塚に与えた影響などにも触れられてはいるのですが……。
「はじめに」に、「爆発的に売れ、漫画表現形式の革新を大胆に行い、それが社会現象を巻き起こすもの——。(中略)この条件を満たす漫画家として、長い間、日本漫画の源流は手塚治虫だと思い込んできたが、近年私は、手塚にはさらに源流があると考えるようになった。」と書かれていて、そうであるのは『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社、2006年)の著者としては当然なのかもしれませんが、気づくのがちょっと遅いのではないか、日本漫画の源流が手塚治虫だと長い間思い込めるのはどういう読書体験から来るのか知りたい、というのが素直な感想でした。著者は、「戦時中は漫画技法や表現力が発展する余裕はなかったと見ていいのではないだろうか。このように漫画の歴史を見てみると、楽天、一平の切り開いた漫画の革新が、手塚に直接つながっているようには見えない原因がわかる。そのせいで、ほとんどの人は、手塚が日本漫画を切り開いた人だと認識しているはずである。それ以前の漫画史に重きを置いている人は多くはないし、私も楽天、一平に重きを置いた漫画史には出会ったこともない。」(p.159-160)と書かれていますが、いやいやいや、細木原青起や須山計一や伊藤逸平がいますし、みな楽天、一平に重きを置いているのではないかと思うのですが。
もう一つ指摘させていただきたいのは、この本の論述の基礎を成していると思われる部分についてです。巻末に「主な参考文献」として先行する研究が挙げられているのですが、例えば、ここに長谷邦夫『漫画の構造学』(インデックス出版、2000年)が入っていないのはやはりおかしいのではないかと(他にも、このテーマで書くならば入っていないとおかしいよ、という本が山ほどあるのですが)。長谷の本はとりたてて戦前の漫画に焦点を当てたものではないのですが、一平の長編ストーリー漫画『映画小説・女百面相』の映画的手法についてはさらっと指摘していますから(さらっと触れただけの意味がわかるでしょうか?)、挙げておくべきでしょう。また、作田啓一・多田道太郎・津金沢聡広『マンガの主人公』(至誠堂、1965年)の「日本の物語マンガ史ノート」にも、一平について「日本に伝統的な絵巻物の手法や当時の活動写真の技法をとりいれた独特の映画漫画漫文という形式を生み出し、その豊かなストーリー構成力によってその後の物語マンガ隆盛の確かな基盤を築きあげた。」とあり、手塚の名前をあえて出していないだけです。清水勲ばかりが著者の意識(というか読書体験?)の中でクローズアップされ過ぎていて、細木原や須山は挙げられず、伊藤はかろうじて『日本新聞漫画史』のみ。まずいのではないかなあ。着想や執筆以前に、先人に対しては敬意をもって批判的に誠実に向き合う姿勢が必要なのではないでしょうか。
竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年
マンガは社会の中でさまざまな身振りを引き起こしました。すなわち人々の記憶に残る“事件”を引き起こしていきました。本書はその身振りの痕跡を辿ったもの。200ページほどの短さですが、内容は10章に分かれています。ですから、それぞれの時代・テーマについての言及はそれほど深いものではありませんが、子どもを堕落させる俗悪出版の代表としての赤本マンガ、紙芝居から発展した絵物語の中で子どもたちに人気のあった山川惣治「少年ケニヤ」への批判、ストーリーマンガの隆盛と「悪書追放運動」、貸本マンガの衛生問題、現実認識のリアリティーを反映したゆえに、子どもに理想を与えようとした大人にとっては俗悪マンガと映った劇画への批判、少年少女マンガへの批判、劇画や青年誌の隆盛の中で起きた大人漫画家たちの拒絶反応、それ以降、1970年代、80年代、90年代までマンガが引き起こした批判や論争を手際よくまとめてくれます。当たり前からも知れませんが、思想的な立場はどうあれ、批判者はつねに大人の側からです。子どもからの批判というものが、もし小さな声でもどこかに残っているのならば、子どもたちからの批判という構想でのマンガ論・マンガ史もあって良いのかもしれないと思います。
鶴見俊輔『鶴見俊輔全漫画論1 漫画の読者として』ちくま学芸文庫、筑摩書房、2018年
全2巻のうちの第1巻。5章構成で、どの論文も参考になりますが、特に、筑摩書房から1969年から1971年にかけて刊行された『現代漫画』(第1期・第2期)の解説を中心にまとめられた第3章に、大人漫画と関連が深い論文が収録されています。
寺光忠男『正伝・昭和漫画—ナンセンスの系譜』毎日新聞社、1990年
タイトルに「正伝」、帯に「それぞれの漫画道 この本は一流漫画家の青春記録です」とある通り、ナンセンス漫画の正統意識が横溢した一冊。この帯は藤子不二雄Ⓐの「まんが道」を意識したものなのでしょうか。
著者は昭和14年生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、毎日新聞社に入社。前橋支局を経て東京本社社会部、大阪本社社会部、浦和支局次長、東京地方部副部長、そして編集委員に。昭和63年から平成元年まで毎日新聞夕刊に百八回にわたって連載されたもので、著者は「漫画にはずぶの素人」という立場を守って、もっぱら漫画家たちにインタビューしてその肉声を伝えるということに終始し、批評や評論はしないという書き方です。著者の主観が一切入っていない「記録」に終始している姿勢が貴重ですね。漫画に関する本は著者が語りすぎるきらいがありますからね。それはそれでいいのですが(笑)
「昭和漫画史」を「新漫画派集団」の誕生から始めていくところに、本書の描く見取り図はすでに明らかでしょう。横山隆一へのインタビューから始まります。田河水泡からは少年漫画について、加藤芳郎からは戦後の近藤日出造を中心とする漫画界について、小島功からは「独立漫画派」について話を聞きます。そして、平成元年二月の手塚治虫の死を迎え、「トキワ荘」と「新漫画党」の関係者のインタビュー(ここは意外に分量が多いです)。そこから話は劇画に向かうかと思いきや……「漫画家の絵本の会」に移っていきます。「一枚漫画」を重視する構成となっているわけです。このあたりから「正伝」意識があらわになっていますね。手塚+トキワ荘と同等、それより少し多いくらいの分量が当てられています。そして、新聞漫画。サトウサンペイ、サトウに師事した西村宗のインタビュー。まったく別の経路から出て来た砂川しげひさ。「サンデー毎日」をはじめあまたの雑誌に漫画を投稿していた鈴木義司、加藤芳郎に師事した山口太一と話は続きます。最後に「早大漫研三羽烏」の園山俊二、福地泡介、東海林さだおに同じ早大漫研出身のしとうきねお(紫藤甲子男)を加えて、新聞漫画の章は締めくくりを迎えます。さて次こそ劇画かと思いきや……少女漫画です。上田トシコ、わたなべまさこ、牧美也子、水野英子、みつはしちかこ、里中満智子という顔ぶれ。その後は、「文藝春秋」の臨時増刊として昭和29年末にスタートした「漫画読本」とナンセンス漫画の復活の話になります。富永一朗と谷岡ヤスジの登場、秋竜山の活躍が特筆されますが、最後に「一枚漫画」一筋のすずき大和が出て来るところがおもしろいところ。これが伏線なのか、次は「漫画の王道、一枚漫画」と題して、平成元年、矢野徳たちの「CARTOON」の創刊から始まり、矢野、千葉督太郎、森田拳次、二階堂正宏、ヒサクニヒコ、前川しんすけ、草原タカオ、タナカミノル、古川タク、矢尾板賢吉、小澤一雄と、「一枚漫画」ファンなら誰でも知っているが、一部を除き一般的には知名度が低いと思われる漫画家たちが短いながら登場します。
ということで、基本的には大人漫画中心の記述で、少年マンガや少女マンガに割いた分量は少なく、劇画は完全に無視されているという、ある意味では珍しい本です。もっとも、劇画については他にたくさん書かれていますし、もともと「人脈」を伝ってインタビューを進めていく形式ですから、横山隆一からスタートした時点で劇画は語られない運命にあったのかもしれません(笑)「正伝」かどうかは読者それぞれの印象によって変わるでしょうが、マンガの多様な世界を知るためにも貴重な一冊でしょう。一番最後に登場する小澤一雄は、一枚漫画の好きな少年を養成したいと語っていますが、儚い夢に終わったのか、しかし、僕のような者もおりますから、これからも一枚漫画を描き続ける漫画家が存在してほしいと思っています。そして、そういう少年がもし現れるならば、現在のマンガとは全然別の世界から現れるかもしれないとも思いました。
一枚漫画の好きな少年、とってもかっこいいぞ、君は!と、僕は言いたいです。
長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑』データハウス、1994年
日本の漫画家500名について、長谷流の紹介が行われています。漫画と漫画家に対する愛情を感じる一冊。人生は多様であるということへの理解が根底にある書物だと思います。大人漫画の関係者も多数収録されていますが、興味はあるのに資料の少なさから洩れた漫画家もたくさんいるとのこと。誤植がちょっと目に付きます。
長谷邦夫『ニッポン名作漫画名鑑』データハウス、1995年
日本漫画の名作194作品(戦前から平成6年まで)を長谷流に紹介。逆編年体に記述されているので、大人漫画に関心のある人は後ろから読むといいでしょう。ただし、各年代の冒頭に、漫画界の事件史的な記述があるので、すべてきちんと読みましょう。コラムもね。
長谷邦夫『ニッポン漫画雑誌名鑑』データハウス、1995年
上記2冊の続篇。「成人誌」という分類で大人漫画系の漫画雑誌が紹介されています。大人漫画に関心がある人は必読。実際に蒐集に乗り出すと、どんどん貯金がなくなっていきます。
夏目房之介・呉智英(編著)『復活!大人まんが』実業之日本社、2002年
衰退し、消滅しかけている「大人マンガ」(呉の表記)の面白さを復活させたいということで、夏目・呉の両名が編んだ23名の漫画家のアンソロジー。大人漫画に触れたい人がまずは手に取るべき本。それぞれの作品の前に夏目による作者紹介のマンガコラム、作品の後に呉による解説、という構成で、大人漫画への理解を深めさせてくれるのです。素晴らしい! 巻末に二人の対談「“復活!”対談」、あとがきに呉の「大人マンガ再生のために」があります。
二人の問題意識としては、マンガの世界が多様であり、深みのあるものだったということを知らしめるという点にあって、その意図は達せられています。しかし、本書刊行後も大人漫画が「復活」しなかったのは残念でもありますね。ともあれマンガ好きの人には必読の書物だと思います。僕も本書から本格的に(?)大人漫画の世界に入ったので、その意味でも深く感謝しています。
日本漫画学院(編)『漫画家名鑑—漫画家訪問記』草の根出版会、1989年
日本漫画学院学院長の木村忠夫によるインタビュー集。元々は「漫画新聞」1980年1月号から「漫画家訪問記」として掲載されていたもの。手塚治虫は死去の一か月前にベッドで原稿の校正をしてくれたそうです。だいたい幼少期のマンガ体験、漫画家デビューの頃、マンガ観、将来への抱負や展望を聞くスタイルで、40名を収録。顔写真のほか、インタビュー時に描いてもらったマンガも掲載されているところは貴重でしょう。
日本漫画学院(編)『漫画家名鑑2—漫画家訪問記』アース出版局、1990年
同上。こちらは43名を収録。
長谷部敏雄(編)『庶民漫画の50年 正チャンからベルばらの世相』日本情報センター、1976年
最初手に取った時は、懐古趣味で50年間の漫画史をまとめたものかなと思ったのですが、なかなか便利な本ではありました。
昭和元年から昭和50年までの時代を十年ごとに区切り、それぞれの時代を象徴する漫画作品と、そこに表われた世相を紹介しています。「正チャン」から「ベルサイユのばら」までということで、各時代を代表する漫画が紹介されていくのですが、そのような漫画による風俗史という編集方法はよく取られるので、類書はあります。しかし、松下井知夫「串差おでん」(昭和9年)、杉浦幸雄「ハナ子さん」(昭和17年)、瀬尾光世(演出)「桃太郎の海鷲」(昭和19年)、荻原賢次「日本意外史」(昭和24年)など、それほど取り上げられる機会が多いわけではない作品も入っています。
著者は大正14年生まれ。美術学校を卒業後、昭和25年に「サンデー映画新聞」に入社し、後に編集長。「月刊時事」の編集長。基本的には、「漫画は楽しく見るものである」という考えの人で、それぞれの時代にそれぞれの漫画がいかに人々を楽しませてくれたか、という観点で記述は進められていきます。ですから、「思い入れたっぷり」な記述には、まったく違う世代の時代感覚が横溢していて、読み進めるのが辛い部分もあるのです。例えば「昭和11年—20年 未曾有の国難 漫画も闘った」という小題からもわかるように、漫画や漫画家の戦争責任というような観点は完全に抜け落ちていますので、くれぐれもそのような視点を期待はしないように。
「文藝春秋デラックス 日本の笑い 漫画1000年史」文藝春秋、1975年
文藝春秋より1974(昭和49)年から1979(昭和54)年に発行されていた月刊誌。第17号。まず「笑いの饗宴 近代マンガの流れ」として、北澤楽天から谷内六郎まで17名の漫画作品の一部がカラーで掲載されています。
宮尾しげをと鶴見俊輔の対談「滑稽と風刺精神—戯画の歴史1000年」は、北澤楽天、宮尾の師匠・岡本一平の話や、「鳥獣戯画」「信貴山縁起絵巻」「大津絵」「鳥羽絵」など明治以前の戯画の流れと近代漫画の流れというようなことが語られ、絵巻というのが一種の手動の映画であるとか、葛飾北斎の「絵引き」(字引きに対しての)について、生活の中にあるものを何でも引き出していくという精神が漫画本来の精神だとか、興味深い対談が繰り広げられています。その他、明治以前にあった絵のある旅日記の形式が徐々に失われてしまい、文章と絵が乖離してしまうこと、美術と文学の分離の話も出たりするのですが、最後は、浅井忠、坂本繁二郎、石井鶴三など近代の画家が漫画を描いていた例を挙げて、絵画側が漫画側を見下す現代の風潮に異議を唱えています。時代を感じさせる対談。
ちなみに上記の画家たちの漫画は、後半にある「幻のマンガ家傑作集」で取り上げられていて、他にも平福百穂、中川紀元、川端龍子、向井潤吉、宮本三郎、竹久夢二、東郷青児、江戸川乱歩(平井三郎)、筒井康隆の漫画が紹介されています。
それからおもしろいのは、特別広告企画「暑中お見舞い申し上げます」で、鈴木義司、東海林さだお、馬場のぼる、岡部冬彦、おおば比呂司、秋竜山、横山隆一が、企画参加会社の商品を広告していますが、それぞれの漫画の代表的なキャラクターが作者本人のスナップに入り込んで描かれていて、それがとてもいいのです。それぞれの作者の日常風景とか書斎なども写真で見られます。皆さん笑顔が素敵で、「ほのぼのとした昭和」という昭和の良い面を感じさせます。
他にも多くの読み物や座談会も掲載されていますが、出色は神吉拓郎「豆辞典 Who's Who」じゃないかと、僕は思っています。
「文藝春秋デラックス ユーモアの研究 世界のマンガ」文藝春秋、1976年
文藝春秋編『「漫画讀本」傑作選 劇画よ、さらば! 帰ってきた'60年代の爆笑』文春文庫ビジュアル版、1989年
僕が大人漫画のすばらしさに出会った最初の本。カバーはボブ・バトルの「意地悪爺さん」です。「漫画讀本」は昭和29年(1954)12月に「文藝春秋」別冊として創刊。ナンセンス漫画を中心に大人漫画を掲載、ナンセンス系の漫画を描く漫画家たちにとって特別な存在でした。また、海外漫画の名作の紹介にも力を入れました。昭和45年(1970)9月号を以て終刊。
740ページ近いボリュームに圧倒されますが、1コマ漫画(一枚絵)が多いので、疲れることはありません。たぶん。僕のように「漫画讀本」を全冊揃えている人以外はなかなか見られない作品が多いと思いますし、その中でも名作を揃えたアンソロジーですので、1950年代、1960年代の笑いを楽しむことができるでしょう。
文藝春秋(編)『文藝春秋漫画賞の47年』文藝春秋、2002年
文藝春秋80周年を記念して出版された、文藝春秋漫画賞47年の歴史。第1回の谷内六郎「行ってしまった子」から第47回の菊池晃弘「メカッピキ ポチ丸」、小田原ドラゴン「コギャル寿司」まで歴代受賞者73名。それぞれの略歴と顔写真、受賞年度の候補作、受賞のことば、選評、受賞作品が一挙に掲載されており、資料的価値が高いところが特徴。少し昔の漫画家の顔はあまり見る機会がないので、それも良かったです。
この賞は基本的に「カートゥーン」の世界に与えられる賞で、それこそが「漫画の正統」という、人によっては鼻持ちならない自意識に支えられているわけで、前半は大人漫画系の漫画家やアート系の漫画家が多いのですが、後半は時代状況の変化によって、多様な作風の漫画家が受賞していることがわかります。
一つ注意点。選評は全文を掲載しているわけではなく、抄録です。本誌を確認して気づきました。発言自体が削られているので、そこだけ読んで論評するのは危険です。
「別冊宝島13 マンガ論争!」JICC出版局、1979年
大人漫画に関連する部分を挙げます。
まず、「マンガ・アンケート 文芸誌・総合誌編集長コメント集」。12誌の編集長がコメント(残り15誌は無回答)。質問1が「あなたが過去に読んだマンガで印象に残っている作品は何ですか? また、それは何歳ごろ読みましたか?」。質問2が「現在読んでいるマンガで面白いと思われるものは? 作品および、よく読んでいる雑誌名をあげてください。」。どちらも大人漫画を挙げる人は少なく、かろうじて「文藝」編集長の金田太郎が質問1で東海林さだお「新漫画文学全集」、「現代の眼」編集長・丸山実が質問2でサトウサンペイ「夕日くん」を、「未来」編集長・松本昌次が質問2で東海林さだおを、「UP」編集長・山下正が質問1で園山俊二「ギャートルズ」を挙げているくらいです。各編集長の年齢は20代から40代まで。
星新一「芸術としての漫画はアイディア」。アメリカのヒトコマ漫画収集家としての経験から、日米の漫画の差異についての考察が興味深いところ。
大島渚「バカいっちゃいけない、劇画こそが現代の代表芸術だ」。「サンデー毎日」1973年10月14日号の劇画特集「劇画拒否の論理」における会田雄次「怨念? 退廃? 風俗? 文化? “くたばれ劇画派の論理”」や「あなたにとっての劇画」30人のアンケートに対する反論。大島の文章は感情的な面も多々あるのですが、共感する部分のほうが多いです。当時の「大人」が抱えている問題は、現在も油断すると出て来かねないもの。反省し、自戒しましょう。
後藤友彦「一コママンガのなかで血ヘドを吐くぼくら」。後藤は当時慶応漫画倶楽部所属。これは「マンガ世代から」という各大学の漫画研究会所属の学生による文章7篇のうちの一つ。慶応系はヒトコマ漫画や外国漫画ふうの作品が主流で、他大学とは一線を画しています。そのあたりが慶応らしくてよいと思いますし、後藤の作品も外国漫画ふうでセンスを感じるもの。しかし、その後藤も後には青年誌、少年誌に移っていくのです。
呉智英「大ニッポンマンガ家列伝・怒濤篇」。11の文章から構成されていますが、最後に必ず「投資案内」という短文があり、現在及び将来の価値、収集態度についてアドバイスしているところがおもしろいですね。大人漫画関係では「大人マンガ黄昏記」。昭和40年代前半からの大人漫画の凋落、商業主義の立場からの「漫画」との訣別、その一方で高まっていった大学の漫画研究会を中心とする高踏的な漫画に対する関心について簡潔に描かれています。呉の判定である「投資案内」は「歴史的使命を終えた物多く資料としての価値しかない。大学漫研系の機関紙、個人作品集、良いものを安値で拾うは可。」という評価(笑)。
まんがseek・日外アソシエーツ編集部(編)『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年
漫画家・漫画原作者3181名の人名事典。簡略なプロフィールを知るのには便利。なにしろ収録人数が多いのは助かります。しかし、わからない漫画家(未掲載)ももちろんいます。インターネット上でも閲覧可能。
漫画集団(編)『漫画昭和史―漫画集団の50年』河出書房新社、1982年
僕が生まれた年に刊行された本です。昭和初期から昭和50年代後半までの日本の世相を追いながら、「漫画集団」の歩みを振り返ります。「はじめに」で横山隆一が「私たちの漫画集団は、今年で、満五十歳となった。」と書いているように、昭和7年6月の「新漫画派集団」の結成を以て「漫画集団」の実質的な成立と考えています。つまり、「新漫画派集団」から「漫画集団」までは紆余曲折を経ながらも同じ団体として考えているのです。実際にはその間に他団体の吸収を含む昭和15年8月の「新日本漫画協会」の成立、昭和18年5月の「日本漫画奉公会」の成立などがあるのですが、戦後昭和20年10月に「新漫画派集団」を「漫画集団」と改めたという認識です。
本文は、日本の政治・社会・経済の略年表とともに「漫画集団」に属していた漫画家たちの作品が掲載され、当時の新聞・雑誌や漫画年鑑からの引用、その他の資料からの引用、漫画家の回想などを交えて、各年代が回顧されていき、世相を知るのにも便利なものです。戦時中のことについては、「漫画は、かたちとしては戦争協力して“勝つまではガンバリマス”のような画を描いても反対の意味にもとれるような漫画を描いてしまうが多かった。外国人に見られると日本に物がないってことがわかってしまう、と怒られたりしたものだ。やっぱり、付け焼刃というものははげやすいのだなあ。本心が出てしまう」(小川哲男)「集団の連中はだれも投獄されてないんじゃないかな。みんな調子よかったからね。」(杉浦幸雄)など、意外に軽い調子で振り返っていて、石子順造などに批判される気分が「漫画集団」にはあるのですが、率直というかアケスケというか、逆に当時漫画家が置かれていた立場や心情がよく汲み取れるのではないかと思います。
終わりのほうに昭和57年時点での「漫画集団」の名簿、退団者の一覧があります。
満月照子・桜井顔一『日本マンガ事件史』鉄人社、2020年
日本マンガ史上における様々な「事件」を網羅的に扱ったもので、それぞれの記述に深みはないように思えるのですが、情報の整理が上手で、有用でしょう。著者については筆名でしょうから不明です。誰なんでしょうか。しかし、誤記も目立ちます。「大人漫画」関係でいうと、東京デザインカレッジ内のマンガ部(通称・漫画学校)の廃校に関する章が重要なのですが、同校の教授だった井崎一夫の名前が井筒一夫になっています。それと、この記述がどういう資料に基づいて書かれたものなのか不明なのですが、峯島正行『近藤日出造の世界』の記述と比較すると学生数からして人数が違います。どちらが正しいのか読者は迷うので、もし先行する峯島の記述を否定するのであれば、その根拠を示さないとまずいのではないでしょうか。ただし、当時の教授陣に「新聞諷刺漫画」こそがマンガの頂点であるという考え方があり、そのため学生に受け入れられず、入学者の大半が卒業まで残らなかったという指摘などは、峯島にはない視点ですので、興味深く思いました。逆に峯島の本では同校の業績として卒業生から漫画家になった人々の名前が記されています。ほとんどが諷刺やナンセンスを得意とする「大人漫画」の漫画家たちなのですが、同校の意義についての評価が正反対なのは「大人漫画」に対する著者それぞれの見解の違いに由来するものなのでしょう。いずれにしても峯島の本のほうがこの事件については記述が詳細ですから、そちらも併読することをおすすめします。
水野良太郎『漫画文化の内幕』河出書房新社、1991年
大人漫画界で知性派といえばこの人、というような書かれ方もする著者水野良太郎は、昭和11年(1936)、三重県生まれ。武蔵野美術学校デザイン科および日仏学院に通い、在学中にデビュー。1960年代にはテディ片岡(片岡義男)やしとうきねおらと「パロディ・ギャング」を結成。ヨーロッパの1コママンガに影響を受けた人で、海外のマンガについても深く広い見識を持った人です。
怒っています(笑)。「私はもう我慢ができないのである。」と。何に怒っているのかというと、マンガに関する批評をする人々の、見解の相違以前の、主観を支える知的フィールドとバックグラウンドの貧弱さや、マスコミのマンガに対する偏見と見識の低さにです。そこで、著者は、世界のマンガ界の実情を紹介しながら日本のマンガ界のありようについて、問題提起をおこなっていきます。世界のマンガについて知識のあった人は須山計一や伊藤逸平、また植草甚一、小野耕世などがいますが、国際的な見地から日本のマンガを考え直そうとした人は少ないのではないかと思います。だからこそ、これらの人々の著者は読んでおくべきです。
この本の内容のなかでは、小山昌宏『戦後「日本マンガ」論争史』(現代書館、2007年)で取り上げられたように、「ひとコマ漫画」がなぜ衰退したのかという議論に関心が集まり、著者も考察していますけれども、著者は「ひとコマ漫画」や「四コマ漫画」がマンガの原点だという日本の伝説にも否定的で、必ずしも「ひとコマ漫画」擁護一辺倒ではないのです。コマの数ではなく、諷刺や皮肉によるユーモアのセンスに原点を求めるべきだという伝統的かつ正統的な考えです。僕には手に負えない非常に難しい問題ですが、その考えは是としても、なぜその考えに忠実であろうとする作品が片隅に追いやられるのか(別の問題として、表面上確かに追いやられているように見えるが、現実にヒットした作品の中にそれを求めることはできないのか、ということはあります)については、読者の意見もさまざまでしょう。
欧米のマンガに詳しい人だけに、大人向け、子ども向けを問わず、名作を挙げていますが、子ども向けのマンガ(例えばシュルツのスヌーピー・シリーズ)も大人が読んでこそおもしろいという見解にも共感しました。なるほど、大人漫画家が絵本の世界に入っていく例は数多くありますが、それがなぜなのか、わかったような気がしました。また、著者は「大人が見ても楽しめる漫画(がなぜ少ないのか)」をさまざまな角度から問題にしています。僕は、大人漫画の衰退については、基本的には読者側に、日本の社会的変化や日本人の精神的変化の中に問題を見ていく必要があると思っていますし、海外の漫画があまり日本で話題にならないのは出版や流通の問題だと思っていますが、そのような大きなことは今は考察できませんので止めておきます。僕は僕なりに、大人漫画のなかで興味のあることやおもしろいと思った漫画家や作品を紹介していくことしかできそうにありません。ただ、著者が20年前に批判していた日本のマンガ(だけではなく文化全体)の「井の中の蛙」的状況は残念ながら今後も続いていくと思いますので、そうならないような視点をつねに持っていきたいと思います。
あとがきに書かれているような「アマチュア評論家が大張り切りのメデタさ」というのは、少なくとも評論家を自任する人々については改善されてきたのではないかと個人的には思います。僕のように「評論家以前の者」にはしばらく目をつぶってくださいませ(笑)。勉強します! あと、著者が資料収集でお世話になっていた銀座の「イエナ書店」が2002年1月に閉店してしまったのは残念ですね。海外のマンガの古い作品集は古書で買うしかないのですが、全体的に高価で、なかなか手が出ません。僕の場合は、居住している区立図書館に何冊か入っているので、それを利用しているのが現状です。本書で紹介されている海外のマンガの名作、秀作が容易に入手できるようになったらいいなと思います。
峯島正行『現代漫画の50年—漫画家プライバ史』青也書店、1970年
まずサブタイトルの駄洒落の寒さが目を引く一冊。中身はまじめなものです。
大人漫画(ナンセンス漫画)の最大の擁護者とも言える著者の漫画論。著者は大正14年生まれ、早稲田大学文学部卒業後、実業之日本社に入社。昭和34年、「週刊漫画サンデー」創刊とともに編集長に就任、昭和47年、「週刊小説」創刊にあたって編集長として転任。文芸本部長を経て、退職。有楽出版を創業しました。
著者が編集生活の中で見聞きした話が中心の漫画論で、資料としても貴重なものでしょう。もちろん読み物としてもおもしろく読めます。なお、劇画、子どもマンガに関する事柄は含まれておらず、大人漫画に限った内容です。後の『ナンセンスに賭ける』よりも登場する漫画家は多く、網羅的に記述されています。昭和7年の「新漫画派集団」の結成とその競合勢力、戦中・戦後の漫画界、西川辰美、塩田英二郎、富田英三など戦中派、荻原賢次、加藤芳郎、六浦光雄、横山泰三などの戦後派、金親堅太郎、改田昌直、中村伊助、境田昭造などの近藤日出造門下、小島功などの独立漫画派、投稿漫画出身の作家、昭和30年代以降に活躍した漫画家たち、昭和40年代の新人たちといったように、だいたい年代を追うかたちで大人漫画の隆盛を語っていきます。
峯島正行『近藤日出造の世界』青蛙房、1984年
「漫画集団」また「大人漫画」を代表する漫画家・近藤日出造の評伝です。著者は「大人漫画」の一方の牙城であった「週刊漫画サンデー」の編集長として親しく近藤に接し、その人間性をよく観察してきたので、近藤の生涯はもとより、彼の生き方、ものの考え方など、その人間としての在り方に迫る書き方がされています。近藤の漫画や漫画家としての行動に共鳴するだけでなく、時に批判も交えています。近藤の晩年に訪れた不幸な境遇を知るとき、同情的な気持ちになりますが、いっぽうで、この「大人漫画」の人々はどうして銀座がそこまで好きなんだろうなあ、と、変なところでため息をついてしまいます。銀座は彼らの漫画の素材探しの場でもあったのですが、「大人」=「銀座」といった日常生活の行動様式そのものが古い形であり、完全に時代に合わなくなっていたし、そういうところが他のジャンルの漫画家たちの反発の底流の一つにあったのではないかとさえ思えるほどです。私自身が昼の銀座でさえ苦手としていますし、夜の銀座など行ったこともないですから、まあ住む世界が違うなと思いました。遠い時代の感覚ですね。
峯島正行『ナンセンスに賭ける』青蛙房、1992年
本書は昭和三十年代後半から四十年代にかけて、著者が「週刊漫画サンデー」編集長時代に出会った漫画家たち、11名についての漫画論。最初は著者の旧友の個人誌「未明」に連載されていたものの、同誌廃刊により中断していた文章を、尾崎秀樹の好意により「大衆文学研究」誌上で書き継いだとのこと。
「まえがき」で、新漫画派集団のナンセンス漫画が時代の中心にあった頃を振り返った後、「それがビジュアル化時代に入って、少年少女漫画、劇画、ストーリー漫画の隆盛、それから分化した解説漫画など、絵による新しい表現形式の出現、発達に伴い、これらをすべて包合して漫画というようになってしまったのである」と書いていますが、どこか悔しさというか愚痴のようなものが聞こえてくる文章ですね。
11名は、サトウサンペイ、鈴木義司、小島功、富永一朗、馬場のぼる、佐川美代太郎、園山俊二、福地泡介、東海林さだお、砂川しげひさ、秋竜山。寺光忠男『正伝・昭和漫画』と併せて読みましょう。きっとあなたも大人漫画が好きになるはずです!嫌いになるかも!
公私にわたって著者との付き合いが深い人たちばかりですから、著者が本人たちに会い、会話し、その人柄をよく理解しています。そういうところから、各人の何気ない発言を引き出したりしていて、そこは貴重なものでしょう。著者の言うナンセンス漫画の「黄金時代」が「黄昏時代」になってだいぶ経ってしまった頃の本ですが、これと『正伝・昭和漫画』が当人たちにとって最後の巻き返しといった感じがします。そして30年の月日が流れ、途中に夏目房之介・呉智英『復活!大人まんが』があったとはいえ、これらの漫画家たちが語られる機会はますます少なくなってきました。
村上知彦・高取英・米沢嘉博『マンガ伝—「巨人の星」から「美味しんぼ」まで』平凡社、1987年
1960年代後半の〝劇画ブーム〟から出発しているので、大人漫画への言及は少ないです。少年マンガ、少女マンガ、青年マンガに関心は移り、すでに大人漫画は論じられる対象ではなくなっていたのでしょう。
山本和夫『漫画家—この素晴らしき人たち』サイマル出版会、1997年
「週刊漫画サンデー」元編集長である著者が、漫画家という不思議な人々について、自分の編集者生活とともに振り返った一冊。鋭く温かいタッチで、20名以上の漫画家について思い出を語っています。漫画関係の本で大きく論じられたり語られたりすることの少ない漫画家も含まれています。見出しに取り上げられているのは以下の20名。小島功、手塚治虫、馬場のぼる、杉浦幸雄、やなせたかし、谷岡ヤスジ、久里洋二、わたせせいぞう、種村国夫、杉浦日向子、近藤ようこ、水野良太郎、上村一夫、矢野功、鮎沢まこと、西澤勇司、矢野徳、境田昭造、山下紀一郎、関根義人。最後に畑中純がちょっと出てきます。愉快な思い出もほろ苦い思い出もあって、著者の漫画と漫画家への愛情を感じさせる逸話が多いです。
米沢嘉博『戦後ギャグマンガ史』、ちくま文庫、筑摩書房、2009年
2006年に惜しまれつつ亡くなった著者の、『戦後少女マンガ史』『戦後SFマンガ史』に続く〈マンガ史三部作〉の最終作(の文庫版)。2010年には未完の『戦後エロマンガ史』が出版されました。また、2002年には『戦後スポーツマンガ史』
「マンガの笑いとは何か」から「マンガとは何か」への思考の軌跡です。「戦後ギャグマンガ史」ですが、日本のマンガの笑いを考える本ですから、戦前の漫画にもかなりのページが割かれています。ただ、主に児童漫画や少年マンガ、劇画、青年マンガを中心に考察が進められていくので、大人漫画の笑いについては省かれている気がします。であるからこそ、大人漫画の笑いを批判的に見るために必読の書といえるのですが。想田四の文庫版解説によれば、他にも書かれなかった「スポーツマンガ史」、打ち切りになった「戦後怪奇マンガ史」などがあったそうですが、「大人漫画史」はさしもの著者でも書く気にならなかったのでしょうか。僕は米沢さんの書く「大人漫画史」が一番読みたかったのです。
米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝社、2010年
名著。すばらしい本だと思います。貴重なエロマンガ雑誌からの図版が多数掲載されている点だけでも有益です。「大人漫画」についても戦後のエロに関する記述で触れられています。それだけでなく、その後の時代になってから、様々なエロマンガ雑誌に「大人漫画」から転身していった漫画家たちの名前が見受けられ、衰退以降の若い「大人漫画家」たちがどのように生活を維持していったのか、という痕跡が残されています。そのような観点から読んでいくと、これは(現時点における最高の)「戦後大人漫画史」とさえ言えます。著者の膨大な情報量と透徹した史観から学ぶことは非常に多いです。