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獅子文六の諷刺漫画批判

 昭和の流行作家であり、演出家でもあった獅子文六(本名岩田豊雄)は、明治26年(1893)生まれ、昭和44年(1969)に亡くなっています。令和元年(2019)は没後50年ということで、近年、ちくま文庫を中心に多くの作品が再刊されています。

 那須良輔による獅子文六の似顔絵。徳川夢声『いろは交友録』(鱒書房、昭和28年)より。

 僕も長年ユーモア小説を集めていますので、獅子文六の著書も数多く架蔵しているのですが、個人的には小説よりも随筆のほうに親しんでいます。彼は随筆のなかで漫画についても触れていますので、簡単に紹介したいと思います。

 彼のすぐれたところは、実作者であるとともに、笑いと諷刺について絶えず考察し続けた点で、『牡丹亭雑記』(白水社、昭和15年)以来、たびたび笑いと諷刺についての文章を著書に収めています。小説、演劇、漫画などアプローチは異なりますが、創作者として笑いと諷刺を探求する点は同じです。獅子文六は、当時の漫画家以上に笑いと諷刺について考えていたと思われますし、知性と教養という点では漫画家のなかに及ぶ者はいなかったのではないでしょうか。漫画については、すでに『牡丹亭新記』(白水社、昭和18年)に「北澤楽天」の一文を収め、日露戦争前後における楽天の活躍ぶりを回顧していますが、戦後に刊行された随筆集には、昭和20年代から30年代初めの漫画について、叱咤激励する文章を収めています。

 例えば、『あちら話こちら話』(講談社、昭和30年)には、「私は漫画が好き」という文章があります。主旨は、日本の政治漫画が不毛であるということで、戦前の北澤楽天、岡本一平の後を継ぐような漫画家が出現しなかった理由は、戦時中から戦後にかけての情勢がそれを許さなかったということは別としても、楽天や一平ほど政治や社会に対する興味やセンスを持つ漫画家が少なかったと述べています。そして、一言で言えば、現状の政治漫画は子どもっぽくて、大人の感情や智慧が働いていない、新聞社の政治部や社会部の「給仕的常識」が多いとし、「日本の漫画はもう一段大人になる必要に迫られてる。」とその奮起を促しています。「漫画集団」の主要な漫画家たちよりも一世代以上年上の世代からの叱咤激励です。

 僕はこの文章のなかに、はからずも楽天と一平の名を見出して、竹内一郎『北澤楽天と岡本一平 日本漫画の二人の祖』(集英社新書、2020年)を思い出しました。楽天や一平から手塚治虫に流れているのは技法やストーリー構成の面もあるでしょうが、手塚自身が漫画の本質は諷刺であると述べているように、「おけさのひょう六」などに見られる「諷刺性」のほうなのではないかと思います。

 また、『遊べ遊べ』(東京創元社、昭和32年)に収められている「漫画家のスポーツ」は、清水崑の荒れ球や横山泰三のゴルフについて書いた軽い読み物ですが、「漫画と諷刺」では、タイトル通りの考察をおこなっています。「私は、すべての漫画は、諷刺を含んでると考える。」とし、日本での諷刺の解釈が少し狭いのではないか、ワサビのようにピリリとしたものばかりが諷刺ではなく、最も人の悪い諷刺は甘い味がするかもしれない、という意見は、含蓄深いものです。やはりここでも日本の諷刺漫画を問題にしていますが、それが発達しない原因として、漫画家が善人揃いで、藝術志向が強い点を挙げています。「一癖ある大人になつた方がいい。」ということで、これは獅子文六本人に当てはまる人物像です。漫画家は「ある時は、大衆を敵方にまわしても、自分の信ずるところへ向うのが、真の諷刺漫画家だろう。あるいは、真の大衆藝術家だろう。」という指摘は、時代を超えた真実を突いているのではないかと思います。獅子文六は、漫画家が多忙であることは才能の酷使と枯渇に繫がるという点を憂慮しつつ、漫画の領域を広くする漫画家の活躍を期待し、その中から新しい諷刺性を持った漫画が出現することを待ち望んでいます。

 「大人漫画」を描く漫画家たちよりも、さらに「大人」であった作家から見た批判でした。上の世代から「大人漫画」への批判的な激励もあったということで、記録しておきたいと思います。その後「漫画集団」の諷刺漫画は、獅子文六という局外者からの批判と期待に応えることができたのでしょうか。かえって、手塚治虫をはじめとするストーリー漫画のほうが先にそれを実現したのかもしれません。

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