命は罪であっちゃいけない。
おなかが減っちゃ可哀想と餌を与えるお宅がある。野良はそれをわかってありがたく差し出されたものをちょうだいする。繰り返していくうちに、ご飯の在処は定着した。しかも餌場は世間一般に広く開放されているものだから、どこからともなくご指名以外の猫が現れて、餌にありつく。一匹どころじゃない。観察すると少なくとも3匹はいる。
猫が食べれば排出もする。ご丁寧に餌場の半径3メートルには不可侵条約があるようで、その外側に落としていく。
猫が増えれば消費と共に排泄が乗算で増えていく。
被害を被るのは、ご飯を提供するお宅を除いたよそんち、ということになる。
餌場の道路を挟んだ都会の獣道、家と家とに挟まれた小動物サイズの路地に身を潜め、猫、腰を落とす。その瞬間はおのずとやってくる。ぷり。
2階の窓から丸見えの彼ら専用公衆身勝手ト⚪︎レは見る間に猫のう⚪︎ちで埋まっていく。晴れた日が続くと2階にまでその臭気が立ち昇ってくるようになった。2階でこれだけきついのだもの、お向かいさん家の1階はさぞ、と思っていた矢先にお向かいさん、猫の餌場をこしらえたお宅に怒鳴り込んだ。
猫の餌場お宅は、猫は可愛し、付き合いあるし、痛し痒しの状況で、あっちとこっちから板挟み。苦悩の選択を迫られた末、結論をひとつに絞りこんだ。
餌場から餌を取り除いた。
猫、想定外の絶食を強いられる。
こうなると野良はたまらない。今まで親切にしてくれていたのに、なぜ? にゃぜ? 攻撃で餌やりお宅の女主人にまとわりつく。
猫は可愛や、ご近所さんからの苦情は怖いわで、困ってしまった女主人。それでも心を鬼にして、徹頭徹尾、餌を与えることをしない。猫は猫でお腹は減るし、糞尿被害などどこ吹く風で、困ってしまってにゃんにゃにゃん。
そこで女主人は一歩踏み入って考えた。いっそのこと家猫になってちょうだい、とピンポイントで居ついた野良一匹に的を絞り、宅に招き入れた。
家猫への憧れはあるし、ご飯もあるし、寝床はあるし、冬になっても暖はある。夏は涼しや、チュール付きとなれば猫にとってはいいこと尽くしに思えたが、そこには大事なものが欠けていた。そこに奔放の自由はなかった。首輪で縛られ、玄関は外出無用で施錠され行く手を阻まれ、名前をつけられ、拘束され放題に、野良猫、呪縛の念に身の毛をよだたせ、閉まりきっていなかった玄関から勢いよく飛び出してしまった。
おなかが空いても高楊枝を決め込むことができるかどうかはわからねど、外猫、野良道からの転身を拒んでしまった。
予定調和を乱す命は平穏な暮らしにさざなみを立てる。
【女主人】
餌を与えちゃまずいのか? 責任とって家で飼えるようになるまで躾けなければダメなのか?
【外猫】
ご飯をもらっちゃだめなのか? 食えば出る、の自然の摂理に従っちゃいけないのか? おなかは空くし、ご飯はないし、自由奔放を捨てる気もない。どうすりゃいいのさ、このワタシ。
【お向かいさん】
だったら、平穏な暮らしに糞尿被害、これを見て見ぬ振りしろとでも言いたいのか? 悪臭に耐えられない頑固ジジイのわしであっちゃいけないのか?
誰が何をどのように決めれば四方が丸く収まるというのだ? こうした問題は満場一致で、というわけにはいかない。
今もまた、外でにゃあとご飯をせがむ猫がいる。まだ半年に満たない子猫である。
生まれてきたのがいけなかったの? 子猫はそんなことひと言も口にはしないけど、飯は食いたし、優しく扱ってもらいたし。
生まれてきた命は大切に扱わにゃならん。いったいどこに腹のくくりどころがあるのかしらん?