日本ではベアレンしか作れない『なにもかもがインチキに見える貴方』へ勧めるライ麦ビール
愛すべき素朴
ホールデンはアックリーやストラドライターとのやりとりに退屈していたに違いない。
「The Catcher in the Rye」を読んでいる過去の私にはそう思えた。多感な10代の、あのカタツムリみたいにスローモーションで進む日常を、つらつらと綴ったものにしか思えなかった。
だが人はいつだって見当違いなものに拍手を贈る。そう、例えば過度に飾り立てられた日常や誇張された青春なんかに。
大人になった今にして思えば、あの飾る概念すら無視した様な時の流れにこそ、豊さがあるのだと分かる。
何もせず家で胡坐をかいている時間がいかに大切なものであるのか、私たちはいつのまにか忘れていたのかもしれない。
株式会社ベアレン醸造所は、そのことをビールをもって考えさせてくれた。
岩手県民の認知75%、飲用経験50%を超える地元で人気のブランド、ベアレン。2001年に設立されたブルワリーで、会社がある岩手県盛岡市には直営レストランを3店舗有しており、樽生ビールや美味しい料理を提供している。グランプリなどにはあまり出展しないが、2018年には日本ビアジャーナリスト協会主催の「世界に伝えたい日本のブルワリー」にて、ベアレンが選出されている。
彼らは地域性を第一とし、地元との関係性を強めてきた。100年前のヨーロッパにて使用されていた製法と設備を同じままの形で用いて、古き良きクラシックなビール造りを続けている。そういうある種のことは、ずっと同じままのかたちであるべきだ。大きなガラスケースの中に入れて、そのまま手つかずに保っておければ一番良い。
そんな彼らだからこそビールに用いることができる穀物がある。それがライ麦だ。
ビールにとって難しい穀物 ライ麦
もしかしたらライ麦のルーツには興味が湧かないだろうか?でも安心して欲しい。あまり興味のないようなことを話しだしてみてはじめて、何に一番興味があるのかわかることだってある。
別名「黒麦」、ライとだけ言って表す場合もある。何世紀にも渡ってパンやお酒のためにヨーロッパや北アメリカで栽培されており、寒冷な気候や痩せた土壌などの劣悪な環境に耐性がある。
しかし、18世紀のイギリスにて農業革命により小麦の生産が急伸したこともあり、徐々に重要性を薄くしていた。当時はライ麦が多くのビールの麦芽として使用されていたが、徐々に需要が低下し、ビールに使われることは少なくなった。現代においては、当時の製法と設備を用意することが必要になるため、ライ麦を使ってビールを醸造すること自体困難であり、ドイツ、それから日本ではベアレンしか醸造していない。
素朴なパンのような味わい ライ麦ビール
そのライ麦を使用したのが、今回紹介するベアレンのライ麦ビールだ。ヴァイツェン酵母を使用しており、フルーティーで豊かな香りが特徴の酵母無濾過ビールである。ライ麦ビールは元々ドイツの伝統的なスタイルであり、ロッゲンと呼ばれることが多い。ライ麦を使用していることもあり、素朴な味わいとは対照的に非常に珍しいビールとなっている。この味は量産を目的とした醸造では実現しがたく、ベアレンならではの機材を使用しているからこそ製造可能なのである。
早速栓を抜いてグラスに注いでみる。同時に、豊潤なバナナのような香りが空気に滲んで鼻を癒す。軽く口に含むと、気持ちのいい酸味が感じられ、非常にシーズナブルである。苦味はあまり無く、胸がすく様な喉越しであるため、老若男女好きな味かもしれない。また、パンを咀嚼しているかのような芳しい風味があり、そばに置き、ふとした瞬間に飲みたくなる。実家に帰る際、きまって会いたいと思う友人のような質朴さだ。この優しい味わいにはある種懐かしさを感じ、心を許すのに時間はかからない。
ライ麦畑を愛して
今の僕ならわかる。ホールデンはアックリーやストラドライターとの接触を必要としていた。なあんにもすることが無い、目先をただただ浮遊する無益な空気。こういう時間が人生を味わい深くしていたのだ。なんにでもしっかり意味があるってことを、私たちは全然よくわかっていないのかもしれない。うんざりしてしまうほどに。
そのようなことを、ライ麦ビールを飲んでいると考えてしまう。
ベアレンが作る季節限定のライ麦ビール。家で退屈しながら、世界中で起こる何もかもがインチキに見えているそこの貴方にこそ教えたい。「ライ麦畑でつかまえて」を読みながら、ホールデンと一緒にライ麦ビールを飲んでみてはいかがだろうか。持って回ったように書いたこの記事と、無為に過ごしたあの時間への認識を改めることができるかもしれない。
文 : サピエん太郎
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