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夢追いセゾン/六島麦のはじまり 六島浜醸造所 | ニンカシの横顔

「俺はよ、夢を持つことはいいことだと思うんだよ。そりゃそうだろう?いまの若いもんはやりたいことすらわからないっていうじゃねえか。だからよ、唯がやりたいことを見つけたのはすげえことだと思うんだよ。でもよぅ、なんだってよりによって“芝居”なんだ?もっといろいろあるだろう?なんだって芝居なんだよ。そんな甘い世界じゃねえんだよ、芝居はよぉ」

月曜の午前11時。
開店前のニンカシに突然やってきた福田さんは、持参してきた泡盛の一升瓶をひたすらロックで飲み続けている。
「あぁ、まぁそうだな」
カラ返事で話を聞くのはオーナーだ。ふたりは小学校の同級生だという。
香月は開店準備をしながらふたりのやりとりに聞き耳を立てていた。
「芝居やるだなんて、死んだ嫁にどんな顔をすればいいのか……あいつには芝居のことで散々迷惑かけたんだよ。子供ができても夢諦めらんねぇ俺のせいでよ、本当金には苦労をかけた。だからあいつが病気になっちまった時、おれは誓ったんだ。芝居は金輪際やめる。仕事を真面目にして、唯はおれがちゃんとした大人に育てるってよ」
そう苦しそうに吐き出すと、福田さんは一気にグラスを煽った。

福田さんは近くで焼き鳥屋「焼き処 ふくだ」を営んでいる。その恰幅の良さと、いつもガハハと豪快に笑う姿から常連さんには「福の神のふくちゃん」と呼ばれ親しまれていた。香月も何度か食べに行ったことがあるが、新鮮な肉と炭の加減、そして継ぎ足しされてきた濃厚なタレが相まって、とにかく「ふくだ」の焼き鳥は絶品で、その味わいを求めて常にお店はお客さんでいっぱいだった。
(もとは役者希望だったのか)
「焼き鳥一筋」と顔に書いてあるような福田さんが、昔別の一面を持っていたことに香月は驚いた。

飲んでも飲んでも酔いが回らないのだろうか。福田さんはガバガバとグラスを空けていく。
「唯ちゃんが仕事辞めて芝居やること、認めたんだろう?いい加減応援してやれよ」
見かねたオーナーがそう話しかけると、
「認めてはない!ただ反対はしないって決めただけだ。だから断じて応援はできねぇ。本当に芝居の世界は甘くねぇんだよ。芝居の世界はよぅ……」
そう叫ぶと、机に突っ伏してしまった。
オーナーはやれやれといった様子で香月を呼ぶと、
(こいつにビールを選んでやれ)
と口パクで伝えてきた。
香月は頷いて、手でオッケーサインを出した。

ここニンカシでは、ビールたちの持つ物語や味とお客さんを重ね合わせ、最適な一本を選び出す。香月はグラスを拭きながら、福田さんの話に耳を傾けた。ピカピカと光るグラス越しに、福田さんの寂しそうに歪んだ顔が見える。
「俺はよ、芝居辞めてからそりゃあもうがむしゃらに働いてきたんだよ。とにかく唯を大学まで出してやらねえとって思ってさ。昼から仕込みして夜中まで店開けてよ。まぁ唯には寂しい思いをさせたかもしんねぇけどな……おれはただ唯には苦労してほしくねぇんだよ。自分が通ってきた道の険しさを子に味あわせたいって思う親なんているか?」
「あぁ、まぁそうだな」
「まぁ、おまえは独り身だからわかんねぇかもしれねえけどよ。とにかく唯には普通に働いて、普通に結婚してほしいんだよ。そしていつか孫を抱けたら最高だ。いままで「ふくだ」は唯のためにやってきたようなもんだからな。今度は孫のために焼き鳥焼いて、銭稼げたらなんて思ってたんだよ。なぁこれって贅沢な願いか?娘に普通に生きてほしいってそんなに贅沢な願いなのか?」
福田さんは自分のグラスに泡盛を注ぐ。一升瓶から勢いよく溢れた液体は、グラスに収まりきらず、バシャバシャとテーブルにこぼれた。
「おい福田、おまえが芝居やるって家を飛び出したときおまえの親父さんおんなじこと言ってたぞ?」
オーナーがおかしそうに笑う。
「普通に生きろっていう親父によ、『おれは自分で自分の夢を掴むんだ!普通なんてくそくらえだ』なんて啖呵切ってよ。取っ組み合いの喧嘩してるにも関わらず、目キラキラさせてる福田が面白くて、ついつい笑ったら俺まで親父さんに殴られたっけ」
「……そんなことあったか?」

(夢、芝居、娘、願い、応援、そして応援できない想い)
いままでの会話を紡ぎ、一本のビールに結び付けていく。
香月は冷蔵庫の前に移動をし、深呼吸を一つした。姿勢を正し一本のビールを取り出す。
澄み渡る空のように美しい水色のラベル。
ぽってりと手になじむボトルを手に、静かに目をつぶった。

ビールの女神よ、福田さんに力をお与えください。

「福田さん、よかったらビール飲みませんか?」
ことんっとグラスと一緒にビールをテーブルに置く。
「おう、香月ちゃん悪いな朝から長居しちまってよ。ってかビールか?いやぁ、俺はいま強い酒が飲みたい気分でよ」
そういって一升瓶を持ち上げようとする福田さんの手を、香月はやんわりと止めた。
「福田さんにニンカシでビールをお勧めさせていただくのは初めてですよね。ここニンカシでは、物語と一緒に仕入れたビールを多数ご用意しているんです。いまの福田さんにあ合った一本をご提供できるかと思いますよ」
「へぇ、そんなシャレたことできんのか。すげえんだな、香月ちゃん。こいつ、接客とかからきしダメだろう?ずっとよく店やってんなと思ってたけどよ、そういうわけか……じゃあ、せっかくだし一杯そのビールとやらをいただこうかな」
「ありがとうございます」
香月はにこりとほほ笑むと、ビールをグラスに注いだ。

「これは六島浜醸造所の六島麦のはじまり、というビールです」
美しい黄色の液体がグラスを満たしていく。
「まずはなにも考えずにどうぞ」
「おう、さんきゅう」
福田さんはグラスに口を付けると、ぐびぐびと一気にビールを喉に流し込んだ。喉仏が大きく上下に動く。
「こりゃうまいな!」
グラスの半分以上を一気に飲み、小さくげっぷをすると、グラスをまじまじと見る。
「俺は普段普通のビールしか飲まねえから、うまい感想は言えないけどよ。これがうまいビールだってことはわかるわ。果物みたいな味もするし、なんか深―い甘みもあるよな。でもしっかり苦い。あ、こういうビールはもっと味わってちょっとずつ飲むべきだったか?」
「いえ、このビールはセゾンスタイルというビールで、もともとは農作業の後に栄養補給やお給料替わりに支給されていたものなんです。汗をかいた後に、喉を鳴らして飲むビールなんですよ」
「おう、そうか。そりゃよかった。でもどうしてこれが俺にぴったりなビールなんだ?」
グラスに残ったビールを飲みながら福田さんが言う。

「それは、これははじまりのビールだからです」
「はじまりのビール?」
「はい。これは瀬戸内海に浮かぶ、人口60人の小さな島「六島」でビールを造る職人さんの“はじまりのビール”なんです」
グラスに残りのビールを注ぎながら福田さんの顔をちらりと見ると、怪訝そうな表情をしながらも、「話を続けてくれ」といった風に小さく頷いてみせた。

「造り手の方はもともと大阪で営業マンをしていた男性ですが、自分の祖母の住む六島に惹きつけられ移住しました。六島はコンビニも居酒屋もない、小さくて静かな島。そこで自分がどのような生き方をしていくのか迷っていたとき、『六島はかつて一面麦畑だった』という話を聞き、自身で麦畑をつくり、その麦を使ってビールを造ることに決めたそうです。麦もビールも作ったことがないのに、です。もちろん島の人々は無理だと口々に言い、反対しました」
「……そりゃあそうだろうな。そんなもんパッと思いついてできるもんじゃねえ」
娘さんのことと重ね合わせているのだろうか。眉間にかすかに皺が寄る。
「でも、彼はやり遂げました。もちろんそこにはわたしたちの想像を絶するような様々な試練があったのだと思います。麦畑を作る時にも。そしてビールを造る時にも。でも彼は自分のすべてをかけてそれをやり遂げた。そしてこの「六島麦のはじまり」が生まれたんです」
福田さんは、手元のグラスに目を落とした。
「なぜ無理だと言われた小さな島で、ビールを造ることができたのか。もちろん造り手の方が、熱い情熱をもって邁進したからだと思います。でもそれだけじゃない。
彼の何かをやりたいという強くてキラキラした気持ちが伝播し、多くの人を魅了して巻き込んでいったからでもあると思うんです」
香月は静かに言葉を重ねる。
「六島で麦畑を作って、ビールを造ろうとしているおもしろいやつがいるらしい。そんな噂は少しずつ広がっていき、お披露目のために島で開かれたオクトーバーフェストには、人口60人の島に2日間で500人以上の人々が訪れたそうです。岡山県から船で1時間かけて。まだ無名の新人のビールを飲むためだけに」
「……そいつは、すげえな」
「はい、本当に。人は“はじまり”の純粋な想いに触れると、心を揺さぶられるのだと思います」
福田さんはグラスに残ったビールに少しだけ口を付けた。
「知ってっか?想いってのは言葉で伝えるだけじゃなくて、食いもんにもよ、込められるんだよ。これを食べた人が少しでも幸せな気持ちになれるように、元気になれるようにって、俺はそう思って毎日焼き鳥を焼いてる。だからうちの焼き鳥はうまいんだわ」
「はい。ふくだの焼き鳥はわたしが知っているお店の中で一番美味しいです」
福田さんはそうだろう、そうだろうっといった風に大きく頷く。
「おう、ありがとよ。でよ、俺はこのビールを飲んだ時、なんだか満たされるようなワクワクするような、そんな気持ちなったんだよ。それは単純にうまいからだと思ったんだが、いま思えば造り手の兄ちゃんの“はじまり”のワクワクがたっぷりこもってるからなのかもな」

「あぁ、そうかもな」
今まで黙っていたオーナーが口を開く。
「唯ちゃんがいま身体中に感じてんのもその“はじまり”のワクワクなんだろうよ。そこには不安だって迷いだってあんだろうが、親の反対押し切ってまで決めた自分の道だ。前に突き進むパワーしかねえよ。福田が応援しようがしまいがな」
「んなこたぁ、とうの昔にわかってるわ」
福田さんは、チッと舌打ちをした。
「香月ちゃん。おんなじビールあと4本くらい持ってきてくれや。あー俺もなんか新しいことでもはじめようかな」
香月はテーブルの上にズラリとビールを並べる。
「それはいいですね!さっそく“はじまりのパワー”が伝播しましたね」
「つっても俺ももういい歳だからよ。いまさら新しいことなんて無理だわ」
「俺は最近、ドローンレーシングはじめたけどな」
自分のグラスにビールを注ぎながら、しれっとオーナーが言う。
「はぁ?まじかよ。おまえ自分のいくつだと思って……」
「なにかを始めるのに年齢なんて関係ないだろ?お前の考え方は昔からダッサいんだよ。いまもいい年してメソメソメソメソ」
「なんだと?!」
「本当のことだろ?」
「まぁまぁまぁまぁ」
香月はふたりの間に割って入ると、福田さんのグラスになみなみとビールを注いだ。
「福田さん、このビール気に入ったならまず六島に行って釣りでもしてみたらどうですか?六島の魚すっごく美味しいらしいですよ。脂のノリがよくて、身が引き締まっていて…このビールとの相性もぴったりだとか」
福田さんはふんっと鼻息荒くビールを飲み干すと、オーナーに向かって高らかに宣言した。
「今日から俺は釣りをはじめる。今日から俺の趣味は釣りだ!帰る。じゃあな!」
そういうと五千円札をテーブルに置き、ビールをリュックに詰め込み店を出ていった。

「やれやれ、うるさいのがやっと帰った」
オーナーが奥の部屋に戻り静かになると、香月はテーブルを片付け店を開けた。ドアを開けると外の夏の気配がどっと流れ込んでくる。
今日も暑くなりそうだな。
六島麦のはじまりの話をしたからだろうか。胸が小さく湧きたつような感覚がある。
香月はそれを噛みしめながら(唯さん、がんばれ 福田さん、がんばれ)と心の中で小さく呟いた。


***************


その夜、ひさかたぶりに唯に電話をかけた。

話すのは3か月ぶりだ。すでに家を出ている唯とは、「芝居をやりたい」「だめだ」と揉めたっきり、話しをしていなかった。
「応援はしないけれど、反対もしない」という想いさえも伝えていないままだ。唯は自分が芝居に反対し怒っていると思っているに違いない。

俺は電話前に「六島麦のはじまり」を2本開けた。
言葉をうまく話せそうになかったので、せめて唯が感じている想いであろうもので胃袋をいっぱいにしようと思ったのだ。はるか昔に自分も感じていたであろう、すでに忘れてしまったあの想い。

3本目をグラスに注いでから、携帯で唯の番号を呼び出し電話をする。

トゥルルルル トゥルルル

3コール目あたりで
「なに?」とぶっきらぼうな声で唯がでた。

「俺はお前の応援はしないからな」
いろいろ考えていたにも関わらず、最初にでた言葉はそれだった。
「はぁ?んなんわかってるよ。てかそんなんわざわざ伝えるためだけに電話してきたの?」
「俺はお前の応援はしない。でも反対もしない」
唯の言葉にかぶせるように、強い声でいう。
「厳しい世界だ。何かあったら必ず父ちゃんに言え。いいな、わかったか?」
「え……」
「あとな!!!」
さらに大きい声で続ける。
「父ちゃん、釣りはじめることにしたからな。やるといったらやるぞ。日本で一番でっかい魚を釣ってやる。じゃあな」
そういって唯の言葉も聞かずに電話を切った。

少ししか話していないのに、喉がカラカラだ。
俺はグラスに入ったビールを一気に飲み干し、大きくひとつげっぷをした。

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