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ベートーベンに学ぶ、世界一の働き方

世界的に有名な作曲家であるベートーベン。
今日はそんなベートーベンの働き方から、我々現代のサラリーマンが教訓と出来そうなエピソードを紹介していこうと思う。


業界初のフリーランス! 作曲家の働き方を変えた

当時の作曲家といえば、貴族や教会に雇われて働くことが一般的だった
(企業に雇われ、、企業で使うものだけを作る社内SEに近い)

そんななかベートーベンが選んだ働き方は「フリーランス」。
特定の雇い主を持たず、成果物を自ら出版し、コンサートを開いて収入を得ていた。
そうすることで、自らの作りたいものを縛りなく作り続けることが出来た。

教訓
 ・今の常識に捕らわれず、様々な働き方を模索してみる。

 ・「周りから求められるもの」ばかりではなく、時には「自らが作りたいもの」を企画にしてみる。

新たなる資金源『献呈システム』の確立

フリーランスとなったベートーベンだが、コンサートや楽譜の売り上げだけではなかなか収入が安定しなかった。
そんな中ベートーベンが確立させたビジネスモデルが『献呈』。
作曲した曲を王族貴族達にこちらから(見返り目当てで)献呈するというもの。
当時ベートーベンに曲を献呈されれば大いなる名誉だったので、結果として彼らはベートーベンに大いなる見返りを与えた。(現代でいう一種の送り付け商法のようなもの)
この貴族からの見返りで、ベートーベンは安定した収入を得られていたとされている。

教訓
資金がないなら、資金があるところから引っ張る方向を考える。
→現代だとクラウドファンディングやINOなど

革新的な作曲家の裏の顔は勉強家だった

ベートーベンの音楽は、それまであったものとはまるで違う革新的な音楽だった。
しかしそんな全く新しいものを生み出したベートーベンの裏の顔は、勉強家だったとされている。
若いころには音楽理論や作曲技法の基礎を徹底的に叩き込み、
作曲家として結果を残してからも、彼は新しい楽器や作曲技法、音楽理論を取り入れ続けた。
さらに音楽以外の分野にも手を伸ばし、文学や哲学、政治、自然科学など、多岐にわたる分野について学習し続けた。
それらの積み重ねがあって初めて「革新的な音楽」は生まれたとされている。
→例えば「第九」のはシラーの詩に曲を付けたいという発想が元。ベートーベンがシラーの詩を知らなければ第九はなかったと言われている。

教訓
 ・新たなものを生み出すのに、基礎分野の勉強は必要不可欠(守破離の考え方)
 ・新しい技術や他分野の知識を取り入れ続けることは必ず本業に活きる

人に弱みを見せられなかった

20代で難聴が発症したベートーベン。
しかしそのことベートーベンは周りに打ち明けられなかった。
人々に対して「もっと大声で話して下さい。耳が聞こえないのです」と言えなかった。なぜならそれは音楽家であるベートーベンにとってはスキャンダルになってしまうから。
しかしその結果ベートーベンは変わり者と言われ、孤立していき、そのことが本人をより追い込んでいった。
結局ベートーベンが耳の病気を打ち明けたのは家族と親しい友人2人だけだったとされている。

教訓
 ・困ったことや悩んでいることがあれば、周りに助けを求める。自らの弱点は素直に公言しておく。

まとめ

音楽家でありながら難聴に悩まされ、それでも多くの作品を世に残し、200年経った今でもなお多くの人に愛されてる。
そんなベートーベンの働き方は、とにかく自らが思う音楽を形にして世に残す為の方法が溢れているのではないだろうか。

圧倒的な情熱、劇的な展開、重厚な響き、かと思えば後期の弦楽四重奏などで垣間見えるのは穏やかな響き。

ベートーベンがその苦悩を乗り越えて残した名曲の数々は、確かに今を生きる我々にしっかりと受け継がれている。

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