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どうでもいいこと

あのちゃんが好きなので「あののオールナイトニッポン」を度々聴くのだが、その中で『生きるの下手くそすぎ』な人のメールを読むコーナーがある。『生きるのが下手』という概念をこのラジオで知った。
そう考えると自分て生きるのへったくそ!と思う。超不器用。多分若い頃発達障害だったんじゃないかと思う。今もびくびくしてる、人と接するとき。失言したらどうしようとか、この応対間違ってないか?とか。
若い頃そういう面で失敗をたくさんして『ああこういう時は、こういう対応をするのが大人の世界なのか』とテンプレのように学びなんとか生きていた感もある。今はだいぶ若い頃より人の気持ちには敏感になり「常識人」という自負がある。ただ自信はない。
というか、ある時期から相手の気持ちに敏感になり「過ぎてる」感がある。自分がこう言ったら相手は不快に感じないか?とか考えすぎたり。多分それで失敗を色々したから敏感になってしまっているのだと思う。
鍛錬の日々です。「自分が思ったように生きる。相手からどう思われるか考えない」と日々言い聞かせながら生きてます。

そんななのですぐ落ち込みます。いい年してそんなことで落ち込むなよと遠回しに言われたこともあるが、こればかりは自分でどうすればいいか気が付かないと、思考の癖のようなものを変えることはできない気がする。

今は専業主婦なのでほぼ家にいるのだが、やっぱり一人でいると色んな事考えます、良くも悪くも。なんか余計なことまで考え込んでるんじゃないかと最近思い、過去の日記などさかのぼってみたら、やっぱり外で働かなくなってからそういう沼にはまっているなあと思った。
多分もともと考えちゃう性格なのだが、外で色んな人と会う仕事をしているとそっちに大分思考を持っていかれるので、小さなことで考え込む脳みそのキャパがなくなるのだ。なのでそういう方向(外で色んな人と関わる方向)で生活スタイルを変化させようかなとのんびり考えている。
なぜ今専業主婦なのかと言うと、正直そんなの人に説明する必要はないのだけど、色々理由はある。
私は晩婚で、長い間毎日忙しく働いていたのだが、結婚を機に退職して縁もゆかりもない地方に移り住んだ。3か所くらいで非正規雇用で働いたがどうにも上手くいかなかった。最後に働いた職場は「意地でも1年間は働こう」と思ったのだがまあそれは絵に描いたようなパワハラが横行している職場だった。でも意地で1年間いたが結局体を壊した。ごたついた人間関係などは今までもずっと経験しているので、それはなんてことないのだが、うーんカルチャーショックみたいなものを感じてしまった。初めて地元から遠く離れた土地で住むという経験をして『地方によって文化とか人との距離感て違うのかもしれない』と思った。それは良い悪いではなくて多分そういうものなのだと思う。そしてたまたま相性の悪い職場で働いた結果、骨を埋める覚悟で移住したのでこれ以上この土地を嫌いになりたくないと思った。もちろん採用された職場はその時の自分に縁のある場所だったと思うので得るものもあったのだけど(この年で怒鳴りつけられるとかほぼ初体験だったので)。
あと私は要領が悪くて、働きながら趣味を深めるのが下手なのだ。やりたいことは沢山あるのに働いているとなかなかそれらを思い切りできないというジレンマと長年闘ってきた。
なのでコロナ禍を機に、やりたいことを仕事にする方向でちょっと頑張ってみようと思い占星術を本格的に学ぶなどし始めました。

あ、でも主婦(主夫)を経験されたことがある方なら分かると思うけど、家の中の事って時間が足りないくらいやること沢山あります。むしろ給与発生してもいいくらいだと思う。全国主夫・主婦連盟とかあったらそこからお給料もらいたい。そうしたら今さぼってる家事ももっとちゃんとやるかも!(笑)

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