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2月4日(金)晴れ

1日昨日は、お休みして再開です。
昨日はどうにも、文字と向き合うのができないもやもやがあって思いきってお休みしました。

続けなきゃいけないと思いながら書くことを考えると書きたくないことまで書いてしまう。
そんなもやもやがあると続かないなぁと思い、そもそもこれは睡眠が足りてないぞとなって
昨日は、息子とひたすらに睡眠を貪りました。

一緒に寝てくれる息子は、一体いつまで一緒に寝てくれるんだろうと思いながら小さな手に癒されていました。

しっかり睡眠をとると、前向きになれました。
昨日は節分だったので太巻を作り、夜は3人で豆巻き。本気の旦那はパンイチで鬼になり、息子は呆気に取られた顔で見ていました。
来年は自分で豆ぶつけられるかなぁ。

さて、前置き長くなりしたが
"幸田文さんの本「幸田文きもの帖」の目次のままに記事を書いていくシリーズ"

本日は、 きものとおんな です。
短いエッセイが続くこの本の中で一番長い文章で女の一生と着物について綴られています。

男とか女とか関係なく着物って楽しめるんじゃないの?と言われるかもしれませんが、

やっぱり根深く、おんなときものは切っても切れない関係に思います。
年頃に合わせて、柄や色や帯の結び方それぞれ違いまた事細かに着物と言っても一種類ではない伝統衣装ってなかなか他国にはない気がします。

着物を語れば、日本の文化の歴史が分かり、その時代の流行や、日本人の一生を辿ることが出来ます。歌舞伎や能、あらゆる伝統芸能も着物がなければ、やはり語ることはできないように思います。

私も着物のことを勉強して、自分で実際着てみると、もう1人の自分になれる気がします。

それは、いい意味で私の  "おんな"  な部分が研ぎ澄まされる気がするんです。

それも、男性に搾取されるような男性のためのファッションでも、だらしないふだんぎでも、安くでかったファストファッションのどの私でもなく、
私が私を楽しむためのおんなになるための装い

小さな女の子が、ドレスを着てプリンセスになるような。自分自身を装う心が思い出されます。

装うって、何か騙しているような意味合いにとららるかもしれませんが、相手を敬う気持ちで自分の装いを変えることはおもてなしの心があるからこそなんです。

自分を大きく見せるため、今以上に高価な人間に見せるため、権威や主張のための装いではなく

自分の持っている魅力を引き出し、
相手への好意を示すために自分自身をやつす

身なりを整えて、自分を愛でる気持ちが
やっぱり相手にも伝わるじゃないのかなぁって思います。

きものとおんなは切っても切れない間柄

だからこそ、自分のおんなな部分を引き出し、

ショーケースに入った自分の値打ちを見せずに

自分自身で最高の女と気づかせてくれるきもの

齢を重ねるごとにその深みも愉しみも

より一層増していくんじゃないのかな。

なんて思います。

洗濯物ができたので今日はこのへんで。
ごきげんよう。

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