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モルモットと共に過ごした7年間の軌跡

本日2025年1月4日午前8時過ぎ、約7年間実家で過ごしたモルモットが亡くなりました。普段こっちのほうにはあまり帰ってこれない自分が実家に戻れる数少ない日にまるで合わせてくれたような、そんな土曜日の朝でした。
今回は日記がてら、彼との7年間を振り返りながらの1日としようと思います。




我が家の4代目モルモットとの出会い

先代のモルモットが亡くなってから数日、当時の駅ナカのペットショップをチェックしていたらしい妹から、「どうしても迎えたい子がいる!!!」というお話が。どうやらまだ店舗に来たばかりで販売もされていないちびっこモルモットが2匹、性別不明。専門学校の授業が終わってから隣駅まで歩いて毎日チェックしに通っていたそうな。販売初日に一緒にペットショップに来てほしい、そんな流れでした。ガラスのケージには活発なグレーと白が基調のアビシニアン(短毛)モルモット、木箱の中からひっそりと顔を出すか出さまいかといった感じの控えめな茶白にこげちゃ色の3色のアビシニアン。我が家の2代目がグレーの巻き毛モルモットだったので少し印象が被るところがありました。一方は基本隠れててよくわかりません。「んで、どっちを狙ってたん?」と聞くと、「茶色のほう」と。
そっちか!!うちではうさぎ小屋に隠れる場所は作らずオープンなスタイルで過去3代育ててきたのでこれは意外!!…というか、うちのスタイルに合うだろうか。。。 そんなことを考えつつ、彼を迎え入れました。販売初日、争奪戦(?)を勝ち抜いたかの如く、我が家に4代目のモルちゃんです。ちなみにお会計は私。営業職時代に手に入れた報酬の商品券を早いうちから狙われていた7年前の12月のことである。




ビビりで恥ずかしがりやなうちのモルモット

寄り道もせず、地下鉄やバスを乗り継いで帰ってきた12月。まるでミスドかケーキが入っているかのような箱を大事に持って我が実家へ。季節も季節ですから違和感はなかったはずですが、どんだけスイーツ楽しみやねん!!!と言われてもなんも言えませんね。穴からうちのモルちゃんを凝視してますからね!なかなかに混んだ地下鉄の中で!!
最初の印象はとにかくビビりでした。どのペットも共通のことですが、慣れない環境に飛び込むと委縮するか暴れ回るかはあるでしょう。うちもモルは後者でした。前述のとおり、うちのケージには隠れるような木箱などは置いてないのでハウスの中をダーーーーーーーッシュ🐁💨💨💨 生後1か月にも満たない赤ちゃんモルモットは小さなリンゴくらいの大きさです。リアルキティちゃんかな?生体のときよりもスピード感はバツグンで、効果音をつけるなら「「ピュピュン!」」って感じだったかな?
止まる気配がないのでケージの端にタオルをかけてやることに。見事にそこに収まるようになりました。最終的には何かをねだる時にタオルを一回経由してからケージをガリガリして呼ぶように。あのタオルは最期の最期までかけてあげることにしよう。


帰省する度に変わる名前・性別…?

名前は「のん」と名付けました。購入当時性別不明とのことだったんで「のんちゃん」と呼び、みんなで可愛がっていました。次第に名前を覚えたのか、あるいは野菜をくれる合図と捉えたのか…徐々に反応が鋭く、そして活発に近寄ってくれるようになりました。
ちなみに性別は後日オスだとわかりました。うちの家族はメスだと過信してしたようで、「騙したな!!」といじり倒してましたね。

月日は流れ…一人暮らしを始めたゲイル青年が実家に戻った際、うちのアイドルの名前が変わっていた。

👧にょんにょ~~ん♬
🐭プイ~~ッ♬

「のん」が「のんちゃん」になり、
「にょんにょん」になったのである。


そのうち、私が東京や長野へと転勤しているうちに、
「にょん助」やら「にょんちゅけ」やら「ちゅけちゅけ」やら…
どんな呼び方になっても嬉しそうに反応してくれました。
結局、名前として自覚してくれていたのかな?
キャベツが出てくる合言葉と化していないか、少しだけ心配でした。


胸部にできたシコリと摘出手術決行

「にょんにょん」が4歳になったころ、左胸あたりにシコリを発見。
先代のモルモットにもできたことがあり、そこから弱っていった子もいた為、年齢や体力的にギリギリになる前に摘出することになりました。
病院に預けた時の不安そうな顔が忘れられませんね。モルモットでも表情ってあるんですよね。生意気にも、少し硬いキャベツだったら嫌そうな顔してポイっと捨てるんですよね。

術後はよく犬や猫が目を掻いたりしないようにするアレをつけて戻ってきました。珍しくバタバタ暴れてました。患部の糸を自分で食いちぎったら元も子もありません。半分賭けみたいな感じでしたが外して日常生活に戻してあげることに。よくカキカキしないでいてくれました。気づいてないだけかもしれないけど、抜糸まで一切いじらずに過ごしてくれました。抜糸に行った時はどんな顔してたのかな。おそらくこれまでにないくらい硬直していたことでしょう。


後日、腫瘍は悪性だったことがわかり、再発する可能性が高いことが獣医からの電話で知らされました。



北海道に戻った私と毎週の日曜日のにょんにょん

それから私は地元の北海道に転勤が決まりました。実家の両親の世間話を聞いたり、にょんにょんにかまってやる時間をとれるようになりました。私は平日は宿舎に入って地方で仕事をし、休日は実家近くの自分のアパートに帰ってくる毎週の流れを作ることにしました。日曜日に実家を経由して夜中に地方へ2時間近くかけて戻る、そんな生活を約2年間。にょんにょんは1週間に1回現れる自分にどんなことを思っていたのかな。短い!少ない!なのか、やっときた~!なのか。どちらにせよ名前を呼んだときはいい反応してくれました。時間的に夕方に来ることが多く、晩年は寝ぼけた姿で出迎えるパターンが多かったね。毎週身体は大丈夫かな~?とチェックし、大好きなキャベツやニンジンのおやつをねだってきたり、寝そべっているところに潜り込んできて川の字で一緒に寝ていることもありました。最期の最期まで添い寝してたよね。身体をぶつけるようによしかかってくるあの感じが忘れられないです。


ありがとう。目の前で息を引き取った1月4日8時20分

お察しかもですが、6歳を超えたときに別の個所に腫瘍が出来ました。前回の手術の際に、次は負担の大きい手術はしないこと、最期までしっかり看取れるようにすることを話していました。数か月毎に大きくなっていることは毎週自分で見て触って確認していたのでわかっていました。徐々に右足辺りを圧迫していき、歩くのもよしかかって寝るのも不自由になっていきました。それでも一生懸命に冷蔵庫前まで来てキャベツをねだってました。いつになっても変わらない7年間の習慣です。歩けなくなったと聞いたのはクリスマスの平日のこと。水を飲みに行けないのと皿から飲む習慣のないにょんにょんが水分を摂る手段は野菜や果物からのみとなりました。お留守番になることも多い実家の生活環境では私が次に実家に戻れる年末休みまで間に合うか正直わかりませんでした。だからこそ生きて逢えたあの瞬間は忘れるわけにはいかない。頑張って生きていてくれたんですから。
妹が合流できたのが1月2日です。本当にギリギリだったのかなと。
1月3日には食べ物を咀嚼することも飲み込むことも出来なくなりました。
待っててくれたのかな。この年末はほとんどを実家でにょんにょんと過ごしましたね。4日の朝方5時くらいからはずっと手を添えて過ごしました。よしかかって寝る姿が最高に心地よかったらしい。あのときのまま看取りたかったのです。最期は7時半頃に父の出勤を見送り、妹が仕事を休んで看取りたい旨の電話を聞き届け、私の目の前でくしゃみを1回。にょんにょんは涙を流しながら息を引き取りました。



今日はにょんにょんが好きだったおやつを3件はしごして購入し、
たくさんの造花を買ってにょんにょんを囲いました。葬儀まではもうしばらくおうちにいることに。平日じゃないと見送れないそうで。
私も月曜日に仕事先の地方に戻ります。
残り少ないけど、にょんにょんでいっぱいの時間を満喫しようと思います。


うちのにょんにょん 

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