ばあちゃん
幼い頃、核家族で両親がサービス業の共働きだったわたしたち姉妹にとって、隣町に住む母方のじいちゃんばあちゃんは親代わりみたいな存在だった。
保育園や学校がお休みの日は朝から夕方まで、祖父母の家に預けられていて、写真が趣味だったじいちゃんに連れられて、毎週末のようにあちこちお出かけしていた。
そんな、大切な存在のばあちゃん。
歳やら病気やらケガやら、もろもろ重なって自宅でじいちゃんに介護してもらう生活を送っていたけど、先日ついに入院に。
半身麻痺、もう言葉も話せなくなってしまって、老老介護だしね。自宅に帰ってくることは難しくなってしまったの。
簡単にお見舞いに行ける時代ではなくなってしまったから、もう会えないままさよならを待つしかないのかと思っていたんだけど、なんと!週1程度ならOKとのことで、会いに行ってきました。
顔を見たら、なぜだか涙が溢れてきたよ。
会えてよかった、って自然と言葉が出てきて
赤ちゃんを撫でるみたいに愛しい気持ちでいっぱいになったの。
話せないけれど、「わかる?」と聞けば頷いて
言葉をかければ、手をぎゅっと握って何かを伝えようとしてくれていて。
あぁ、生きているんだなって感じられた。
母が、「あんな風になって、改めて考えてみるとあの人の人生は幸せだったのかなって思っちゃう。かわいそうだなって。」と話していたけど、わたしはそんな風には思わない。
たしかに、ばあちゃんの星を見てみると、午前中田んぼの中で産まれたって本人が武勇伝のように話していたから、10〜12ハウスの太陽。時代もあるしね、太陽は生きれていなかったのかもしれない。
早くから精神疾患を患って、辛そうなところを幾度となく見てきたし、自由を求めていたことも知っている。
母がそんな風に考えてしまうのもわかるんだ。
でも、彼女はいつも明るくて、元気いっぱい感情豊かに笑って泣いて怒っていたし、
冗談ばかり言ってげらげら笑ってる彼女を見て育ってきた。
かわいそうな人なんて、本当にいないんだと思う。
思い返してみたら、わたしったら彼女の生き写しかのように、そのまんまだったりするよ。
スピ寄りな感覚も、豊かすぎるくらいな感受性も、
繊細さも、明るさも、自由を求めているところも。
彼女からしっかり受け取っていたんだなぁって、今日あらためて感じてる。
わたしはそれをgiftだと知っているし、そのおかげで愛をたくさん受け取ってる。
それは彼女の人生もまるっと肯定することになるなぁって感じるの。
かわいそうな人なんていない。
誰もが、知らず知らずのうちにでも、何か役目を果たしているし愛を循環させている。
だいすきなばあちゃんを通して、今日感じたこと。
忘れないように、備忘録_φ(・_・
そして、母へも。
きっとこの経験を通して、たくさんのことを感じて考えているであろうことに超絶リスペクト。
親を亡くすことは、わたしのほうが先輩だからな❤
まだばあちゃん生きてるけど。😂
経験できること、感じられることが豊かだなぁと心から思う夜。
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