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20年ぶりのスキーを体験して

利用者 出口です。 私は先週1月16日金曜の夜から昨日、1月19日まで
所属する団体主催のスキーツアーに行ってきました。
日本台湾親善の為、雪の無い台湾のブラインドを招待する形で
毎年行ってるようですね。

先週1月17日、夜に大阪を出発しバスで5時間。
岐阜県スターシュプール「ひだ流葉(ながれは)スキー場」
夜中12時頃に現地に到着し、五分ほど雪道を歩いて宿に…

あくる日、7時頃起床し朝食後スキーウエアに着替え
日本台湾のメンバーと開会式後、
スキー板をもってゲレンデへてくてく。

まず長いスキー板をスキー靴に片方合わせて
片側スキー板状態で数メートル程歩く練習。
それから左右に板をはき、両足で歩く練習の後、
その状態で軽く滑りながら前進。

思い起こせば私のスキー初体験は、実は実は、盲学校の幼稚園の頃が最初。
でもその頃はまだ自己流で、その時は体も柔らかかったせいなのか?
なんとか自分流にスイスイ滑っていた記憶があります。
すごくスパルタの幼稚園でしたが、それだけは自由にさせてくれていたっけ〜
大人になって障がい者スキー教室が大阪市身体障がい者スポーツセンター主催で
毎年行われてる事を知って、
「私をスキーに連れてって」が流行っいた頃、健常者も重度の障がい者も
同じゲレンデで楽しめるイベント。
まだあの時弱視で健康だった僕が感じていた気持ち。

あれから20年の月日が経った。

多忙だったり体を壊したり、コロナだったりで
随分のブランクがあり、視力も無くし体も若くない。

「私をスキーに連れてって」 時代、僕なりに「ハ」の字型のボーゲンスタイルからすべり出し、
左45度に直滑降で緩やかに傾斜し、
ある時点から左足に重心をかけ右旋回し、
ポールを見ながら左右にジグザグ。

クールにシュプールをかいていたっけか。

今ではそれは昔話、、、
靴にスキー板を付ける事さえ一苦労だ。

ボランティアさんの助けでやっとこさスキー板をはいたと思ったら、
地面にまっすぐ立つのも怖かった。
やっと滑り出しかかとを広げ、ゆっくり真っすぐ。
「スキー板をもっと平行に!」と、指導員の声。
でも「前に誰かいるかも 何かあるかも」

そうこうしてるうち 後ろ「ハ」の字状態から、前のめり転倒!
昔取った杵柄。
でもその転倒後の対処の仕方を一緒に行った
スキー上級者が褒めてくれた(嬉しかった)

ランチをはさんで午後から斜面をカニさん歩きで、長いスキー板を雪に押し付けながら頂上に向かいゆっくりと行進行進行進。
約10メートルほどからボーゲンスタイルでゆっくり下降。

そして早二日目のレッスン。
やっと思い出し始めたあの頃の記憶。

二日目最終日は午前のみスキー練習
リフトは結局使わず。

自力でカニさん歩き行進で20メートル頂上から  
さっそうと滑降、
少し様になってきた、でももう疲れた。
でもでも久しぶりの楽しい体験!!

それより台湾の方々(ブラインド) との交流会はすごく盛り上がった。

雪の内国の人にはすごく新鮮な体験だった事でしょう。

この催しは毎年行われるでしょう。
障害をもった人も、
健常者と同じ条件で楽しめる数少ないスポーツだと思います。

障害をもった人も
健常者と同じ条件で楽しめる数少ないスポーツだと
私は思います。