ディアエヴァンハンセン(コナーマーフィを慈しむ)
他の投稿サイトにも投稿した物ですがここにも書きます。
コナーマーフィの顔が頭から離れません。物語の人物ですが人が亡くなると言うのは悲しく私たちの心に思い鉛を刻みます。「死人に口なし」彼の言葉をもう聞くことは出来ません。メールを打つことも出来ません。私たちはもうコナーの言葉を聞くことが出来ません。コナーの真意はわからない。コナーが安らかに眠れるように祈ります。エバンはコナーの死後コナーの家族と大いに関わることになります。霊的世界がもしも存在するのだとしたらもしかするとコナーがエバンを導いてくれていたのかもしれません。エバンの行動は確かに愚かなことでした。
だけどエバンの嘘がなければこのまま家族に蟠りを残し悲しみに暮れていたかもしれません。エバンがコナーの死後コナーの家族と関わることでコナーの供養をしていたのかもしれません。
エバンは父親がいません。コナーも父親を亡くしています。義父がいます。エバンの父親は他の女性と一緒にいます。アメリカでも再婚家庭は多いです。日本でも増えてきています。離婚も多いです。複雑な家庭が多いです。ふくざつな人間関係がそこにあります。父がキーワードなのかもしれません。私は自身の経験もあってかこの世の中人間社会で父性の重要さを感じています。父親という存在の大切さと大きさを非常に重く感じております。子供と言えば母親が重要と思われがちですが父親が重要でないかと言えばそんなことはありません。母親も重要ですが同じように父親も重要なのです。子供たちに道を示す存在だからです。そして愛されていると確認するために父親が必要なのです。父親から与えられて貰う安心感は母親の物と違います。どちらもなくてはならない物です。
子供にとって家庭とは神聖な場所です。子供にとって父母は神様のような存在です。自分そのものだからです。二人がいなければ生まれていないからです。子供に関心を持ってください。子供のことをもっともっともっとみてください。全ての根源なのです。全ての自分の元となる場所だからです。それが崩壊するということはある意味自分の死を意味します。
事情があって複雑な家庭環境はたくさんあります。私自身も父がいませんでした。昨年亡くなりました。上手くいかないことを学校のせいにしたり友人のせいにしたりしがちですが結局最終的には父と母のことです。結局子供たちは父と母に認めて貰いたい。愛されたい。全ての根幹、全ての根源はそこからです。そこがないと始まりません。それがなければ子供たち(大人の私たちもかつての子供です)の愛はいつまでも満たされません。枯れていくのです。どんどんどんどんと枯れていくのです。悩んでいるお子さんがいれば耳を傾けてみてください。お父さんとお母さんがいれば子供が落ち着きます。お父さんとお母さんがいない人もたくさんいます。そんな時は話してあげてください。たくさんたくさんその人のお父さんとお母さんのことを話してあげてください。
感想として映画本体の内容と趣旨が違うかもしれませんが本作を見終ってからなんとも言えない気持ちになりました。結局コナーの真意は聞けないからです。コナーの気持ちは闇に葬られたままだからです。「君は独りじゃない」映画のメッセージ性もわかりました。だけどやはり死んだのです。コナーは死んだのです。いなくなってしまったのです。何も言えずにいなくなってしまいました。
そのこと「you will be found」を聞いて深く感じています。
彼は確かに生きていました。作品の中で生きていました。だけど死んでしまった。ショッキングでした。かなりシビアな作品だと思います。難しい問題を扱っていました。同じく海外ミュージカルに「next to normal」という作品があります。全体的な感想として同じようなイメージを持ちました。同じく個人的には映像化して映画化してほしいと思う作品になります。話自体が非常に重く繊細さを持ち合わせています。精神的な問題をテーマに扱っています。
エバンとコナーはもしかすると良き友人になりえたのかもしれません。もしかすると友人になりたかったのかもしれません。私は「sincerely me」が好きになりました。
もしかするとこんな未来があったかもしれないからです。楽しそうに遊ぶエバンとコナーをもっと見てみたかったです。ジャレッドについて書きます「家族同士が友人だから仲良くしてるだけ。勘違いするなよ。」と憎まれ口を叩いていましたが案外本当の良き親友は近くにいるのかもしれません。エバンはジャレッドには「本当はコナーと友人ではなかったし遊んだこともない」とはっきりと明かしていました。腐れ縁のような関係かもしれませんがエバン本人が気づいていないだけでジャレッドとエバンは良き友人だと思います。
エキセントリックな感想になりますがゲーセンで無邪気にはしゃぐ三人の姿が良い意味で悪目立ちしており微笑ましくなりました。私はもっともっともっとこの三人の友人たちの姿をみたいたいと思いました。それは想像上の姿だったかもしれません。夢の中の世界だったかもしれません。コナーの願望だったかもしれません。エバンの願望だったかもしれません。二人が友人になりえた姿をみてみたかったのです。