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いのちと想いとともだちと。
このまえのnoteを書いたら、振り返ってみるのも悪くないと思った。
最近、人が自分から命を絶つニュースをTwitterのトレンドやら、配信の切り抜きで知ることが多くなった。有名人だけじゃない。一般人も。
「うそじゃん、私より年下じゃん」なんていうような子もたくさん、亡くなった。
(ここから先は驚いちゃう人もいるだろうし、気分を害してしまう人もいるかもしれない、ごめんなさい。)
そんな時、いつも思い出すのは、高校2年生の修学旅行前。
言葉にできないほどの色んなことがあって。なんて言ったらいいのか分からないけど、「色んなこと」という入れ物の中には入り切らないような「色んなこと」。一言で言ってしまえば、クラスから孤立した。孤立しただけじゃなくて、のしかかってくる「いろんなこと」が、痛くて、重くて。
私への拒絶、嫌悪ともとれる言葉が投げつけられるように浴びせられたのは、ある日の鍵のかかった空き教室。鍵を渡したのは担任兼顧問。誰も聞いていない。第三者なんていない。
そんな場所で、4人組に私はひたすら否定され続けた。4人いるなかの1人が言った「人間性がどうかと思う。」という言葉。3人がそれぞれ「私もそう思うよ。」と言って、自らの意見をそれぞれ付け加えた。私はその時、泣きそうだったのをこらえていて、脳みそはきっと20パーセントくらいしか動いていなかったと思うけど、そんな脳みそでも「そうなのかもしれない。」と思った。自分が自分で生きていていい自信も、自分が優しくあろうとそう思っている事でさえ、それが本当に「優しさ」なのか、わからなくなった。それで私は、鍵のかかる部屋が怖くなった。それで私は、信頼して尊敬してた先生を軽蔑するようになった。
そのまま、顧問のいる部活に行った。
練習する気分でもなかったけど、休んだら今度は顧問に「人間としてどうかと思う」って思われるんだ、今までも思われてたかもしれないのにと思って、部活に行った。
帰りは母が迎えに来てくれて、車の中で堪えきれず泣いた。たぶん、慰めてくれたけど、脳みそは既に容量オーバーで、なんて言ってくれてるのか理解できなかった。
「私今まで、人間性がなってなかったんだ」
人間として、ちゃんとしようと思うほど、心が追いつかない。
人間として、ちゃんとしようと思うほど、家に帰ったら、涙が出てくる。
「私、人間、向いてないんだ」
出来事があってから2.3日経たないくらいの放課後、私は唐突に死のうと思った。「死にたくは無いけど、死のう」と思った。2階の自室の窓から、学校のジャージ姿で身を乗り出してみたけど、高所恐怖症なのに、全然怖くなかった。でも、見えたのは隣の家の1階の屋根瓦と地面の土だった。今考えてみれば2階からなんてあまり死ぬこともないだろうに、「こんな所に落ちて死ぬのか、惨めだな。」と思った。惨めすぎて泣けてきて、窓のサッシを掴んだ手が震えた。そのうち「こんなにも人間として生きるのに向いていなくて、早く死ななきゃ苦しいだけなのに、自分は何してるんだ。」と思えてきて、なんだか焦った。小学校以来使っていないカッターナイフがその時、偶然目に入った。気づいたら手に取っていて、シャツのラインで隠れる二の腕・肩辺りを切った。ピリッとした感覚と、スーッと滲む血を見ながら、「痛いのに。」と思った。
「これってみんなと同じように痛いのかな。この感覚は合ってるのかな。おかしくないかな。笑われないかな。怒られないかな。」と思った。それでも自分から湧き出した質問に、答えを出す自信もなくて、泣いた。誰に聞ける訳もなくて泣いた。
母が何度かお風呂に入れと呼んでいたけど、私がお風呂に入ったのは23時頃で、学校から帰ってきたのが20時すぎだったからたぶん合計3時間は泣いていた。
そんなことがあっても、学校は休まず行った。母はたぶん、目に涙を溜めて、学校まで送られる私の姿を忘れられてはいないと思う。受け入れてくれる友達が、別のクラスだけど、ちゃんといたから。でも、そんなことがあったことは、その時だれにも話せなかった。なんだか、すごく厨二病みたいな表現になってしまうけれど、それを話したら、いよいよ自分が「人間」に擬態してるような気持ちがしてしまいそうで、嫌で、不安で。
でも、そのともだちが、私を見限って離れていくことは全くなくてうれしかった。色んなことを疑って辛くなっていた私だけれど、これだけは確かなのはその1件が落ち着いたのは、その時のともだちの存在がとっても大きかったこと。私はいま、そのともだちと仲良くいられて幸せだということ。
心から「出会えてよかった」と思う。
いままで、「生きていてよかった」と思っていると言ったら、それは日によって違うし、嘘になってしまうけど、「死ななくてよかった」とは思う。
もし、あの日、私の家がタワマンで、綺麗な夜景が広がっていたとしたら「もったいないくらいだな」と満足していただろうし、もし、あの時、ともだちができていなかったら、遅かれ早かれ私は綺麗な景色の見える場所を探して、死んでたんじゃないかと思う。
伝えきれないくらいの、沢山の感謝を心にしまって生きてきた。
私が高校時代の友達の話を他の人にする時はいつも、「命の恩人くらい、本当に大好きな友達なんだよ!」と私が他の人に紹介するのを、彼女たちは知っているんだろうか。きっと知らないと思う。
でもね、本当に、そうなんだよ。と伝えたくなる。