私たちが音楽を続ける理由
「音楽大学出身です。」
日本でそう聞くと、大体の方が「クラシック」を勉強したんだな、と感じられるかと思います。
実際に、そうです。
クラシック以外の勉強も中にはありますが、大学で学ぶものの多くがクラシ
ックでした。
しかし、音楽大学とは関係のないところで「音楽」というと、果たしてクラシックのことを指すのでしょうか。
語弊があってはいけないので先に言いますが、私たちは大学院に進むほど、クラシックが大好きです。
長い時間をかけ、様々な批評家の厳しい評価にも耐えながら残った音楽なので、それぞれが所謂名曲であることは言うまでもないことです。
更に「学習」とするためには、そのものの価値やある程度の歴史がはっきりと学ぶに値するものである必要があるので、クラシックを勉強するというのは理にかなったことであると思います。
しかし、クラシックの曲だって、その曲が生まれた時代においては最先端の新しい音楽だったり、身近な流行の音楽だったりするわけです。
音楽は、音楽を創り上げる人そのものです。
それを感じとることは、音楽を聴くすべての人に与えられた自由なはずです。
何が言いたいかというと、誰かの評価や理由や意味、すべてを取っ払った上で「感じられる」ことそのものが「音楽」なのではないかと思うのです。
素晴らしいと言われてきたから素晴らしいものであるわけではないということ。
確かに音楽は、関われば関わるほど、追いつこう追いつこうとしても、とても遠くにある崇高なものです。
けれども、同時に、とてもとても身近なものでもあります。
それが音楽の不思議なところ。
音楽を通し、作曲者や演奏者を遠く、かつ近く感じるのです。
「音楽にジャンルはない。あるのは良い音楽と悪い音楽だけだ。」 とは、デューク・エリントンの言葉。
私たちは、音楽が好きで、だから音楽のそばにいきたい。
どんな種類の音楽であっても、その気持ちは同じです。
だから、心から好きだと思える音楽を奏で続け、「感じて」いただける音楽を目指し続けていきたい。
それが、私たちの今の気持ちです。
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