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鎮魂は新しき命と人を生みゆくこと【首切り山の御霊からの伝え事】
みなさま お元気でいらっしゃいますか? 音葉です^^
大好きなnoteの記事も色々と動きが始まるとなかなかに書けず(@@)今日は久しぶりにパソコンの前に座って書ける幸せをかみしめております^^
先週から急遽千葉、長野、新潟と開きがあったのですが、今回はいつもの孤独旅とは違い様々な出逢いに恵まれ、天の絶妙なる計らいや、人々の大きな力を改めて感じる感激感謝の日々でありました。
そして今日は、今回の旅の最中でもメッセージを沢山戴いた鎮魂の大切さについてお伝えしていけたらと思います。なるべく短くまとめますので(笑)最後までどうかお付き合いください^^
あがれぬ御魂たちを光で天に引きあげる
こたびの神様のお役目をしていく中、神社などに光を降ろすと同じく、時としてそれ以上に大切と言われるのが鎮魂、上れぬ御魂たちを天に引き上げることです。
神社によく行く方はご存知かもしれませんが、大小関わらず神社には招魂社、もしくは忠魂碑、慰霊碑など、戦争や災害、戦などで亡くなった方々の御魂をお祀りする場が多々あります。
全国の都道府県に存在する護国神社という神社は、靖国神社のように御魂を祀る事を目的とした神社で、旅では神様より必ず示しがあり、私達も光(ひ)降ろしをさせて戴いております。
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(写真:静岡県護国神社で光降ろし後の空)
「祀る」という言葉の意味を引くと、以下のような語源が出てきます。
1.神霊をなぐさめる儀式を行う。
「祖先の霊を―」
2.神としてあがめる、また、あがめて一定の場所に安置する。
「祖先を―」
このように、神に手を合わせる事と亡くなった御魂たちに手を合わせる事は、どちらも大切かつ密接なつながりがあるようです。
人は誰でも死を迎える存在
世の中には様々な形で死を迎える人達がいます。私達が開きの旅で巡る中には、戦場や処刑場とされた場所、激しい労働の果てに亡くなられた方が多い場所や、災害などで多くの方が亡くなられた場所も沢山あります。
そのどれもが歴史の波に翻弄された残念、無念の本意ではない死を迎えられた方々であり、悲しみや苦しみ、恨みつらみなどにより天に昇れず、霊魂のままその場にとどまり続けている場合がほとんどで、その長きに渡る悲しみ苦しみの深さたるや、平和な現代を生きる私たちには想像を絶するものがあります。
また、念が上がれぬまま土地に残る事で、その土地にどんなに新しく綺麗な建物と立てたとしても、繁栄が難しいケースなどもよくあります。
私たちはその場に立たせて頂き、御歌を奏上し天界と繋がる光の柱を立て、とどまっている御魂たちを神様と力を合わせ天に引き上げさせて頂くのですが、
御魂たちが伝えてくる壮絶な最期の様子や苦しみに胸が痛く、時に涙が流れると共に、二度とこうした悲劇を生まない為にと伝えがある重き言葉たちを、現代を生きる私達は知りゆく必要があると強く思う次第です。
ここにお伝えするのは、首切り山と呼ばれる処刑場で自らも斬首の役を務め、最期には自身も斬首の刑となり命を絶たれてしまった男性のお役人様からの言葉です。心痛き表現もありますが、ぜひご覧頂ければと思います。(霊的なことが苦手な方は、おへその下、丹田に両手をあててお読みください)
首がのうのう 首がのう
あわれなり
魂切れゆきて 首探しよる
首のみなりて 胴探しゆく魂
切り離されて後も 魂切れず
離れたる胴 あるものと思い
ただ呆然と目に移りゆく 血染まりたる地
ぼんやり見えるだけのことよ
首切られゆきても 切られとわからず見ゆるが
あわれなる我の姿
ただただ動かなきを知るばかりのことよ
妻子(つまこ)思い ぼんやりと思うも続かず
ただただ 死 待つだけのことよ
魂切れ 魂抜けよりても 人ごとに思うなりて
命あらずを受け止めること 難しきことなり
魂離れゆかば この世
嬉し楽しきこと次々に思われて
妻子愛しく 離れゆくもできず(天に昇れず)
この地にとどまるだけのことよ
つらきのう なにゆえ我ここにおると
つらきのう 首なき姿 哀れなことよ
人 首切りゆくは地獄よぞ 地獄地獄よぞ
切るも 切られるも 地獄よぞ
切りたる手 恐ろしきことなんたること
首切るは怖ろしきことよ
同じ人人切りよる 何という世であることか
我たち立てし光の柱なるもの 皆 群がりて
昇り昇りゆき すがりつきたる様よ
あがれあがれよ
あがりよれば 無きと思うた神 近づきゆきて
御魂救われゆくであろか
我 この地とどまりて
残りし御魂たち 見送りて後 我 昇りたる
我 責(任)持ちて 皆送りて後 昇るゆえ安心いたせよ
我 首切られるが切りもしたゆえ よう気持ちもわかるゆえ
償いてのち上がりゆく
残らずあげゆくぞ
安心なされよ ゆきいかれよ
御魂めぐりて 神役立つ御魂になりゆくは
ありがたきことよ
さらばであるぞ 安にゆかれよ
(11月23日 首切り山にて(栃木県大田原市)
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霊は恐ろしき存在ではない
この首切り山は現在何の石碑も存在せず、名も無き小さな三角州の空き地になっていました。周りには道路が走り住宅地も目の前。きっとその場所がどういう場所であるか知らずに住んでいる方々も多い事と思われます。
天にあがれぬ霊たちにとって何より辛い事は、その存在を承認してもらえないことです。招魂碑や慰霊塔など場がある時はまだ良いのですが、このように名も無き場では人々に手を合わせてもらう事も叶わず、更に悲しみは募っていきます。
そういった場に限らず、そもそも今自分たちが住んでいるような場所も、時代をさかのぼれば数え切れない人々が様々な形で旅立っていった場所であり、霊と言う存在は特別なものでも忌み嫌い恐れるものでもありません。
特に引っ越しや移住など住まいを移した場合などは、その土地の神様同様そこに縁のあった魂たちに畏敬の念を持って手を合わせる事もとても大切だと思います。(住まわせて戴く、という想いが大切です)
霊を攻撃しない 遊ばない
残念なことに、人によっては場に留まる霊たちを悪しきものとして、悪霊退散とばかりに力で祓ったりする方もいます。
確かに、霊たちがその念の強さ故、人々に悪さをする場合も皆無とは言えませんが、そのほとんどは、心霊スポットを巡る方達のように霊を見世物や遊びの対象としたり、生かされをわきまえない人間達への怒りが伴なう場合、また、何か強い訴えがある場合がほとんどで、本来理由がなければ人に積極的に害を及ぼす霊はいないと私は感じています。
これは人に憑いている霊にも同じことが言えるのですが、たとえ一旦強い霊力などで霊たちを追い払ったとしても、霊魂がしっかりと悟り天に昇れない(成仏しない)限りその霊たちはまたその場に戻り、より強い念を持って佇むことになってしまいます。故にしっかりと霊の話を聴き、神の光で鎮魂して後の天への引き上げが何より大切な供養となります。
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先人たちの霊にはお詫びと感謝を
私たちはこうした厳しい世を生き抜いた先人、祖先たちがいて下さったからこそ命をつなぎ戴くことができ、豊かな時代を生きる事を許されているということ。そしてその悲惨な世を繰り返さない為にも、先人に学び、生かされの今を感謝で生きる事が何より大切と感じます。
神様をお祀りする場所に亡くなった方々を祀るなんて不吉なのでは?とか、慰霊碑などは怖いというイメージを持つ方もいらっしゃるようですが、いつか私達も旅ゆく身。霊魂たちはある意味私達の未来そのものの姿です。そして私たちそれぞれに持つご先祖と同じく、お詫びと感謝を持って向き合うべき尊き存在でもあります。
神様がお伝えのように、どうか立ち寄られた際には、この世を生きた同じ人間として、恐れず畏敬の念を持って手を合わせて戴けたらと願います。
最後に今回の旅で戴いた神様からの言葉をお伝えさせて頂きます。
魂を鎮め天に引き上げる事は、輪廻転生が止まってしまっている魂を新しき命、新しき人(人生)へ送り出す、生み出すことなのだという言葉に、胸が熱く熱くなりました。ぜひお読みいただければと思います。
障やりについてやご先祖についてはまた別で書かせて頂きます。
【神言葉 物部神社 名乗らぬ神】
人魂 鎮めよるの大事事 伝えゆく
人 皆 死にゆく存在よ
亡くなりゆくこと 霊なりゆくこと
忌(いみ)にあらず 穢れにあらず
清らかなる姿と しかと見つめゆけよ
墓なるもの 暗き怖きにあらず
我たち皆 (いつか)入りよる所ぞ
(この場)無念残念と 念残しゆきて
亡くなりし御魂 特別に上げゆく場
碑なるもの 様々に置きしは
迷い彷徨えるもの 集まりし場にて
人々の祈り 光にて 魂上げゆく為といたすものよ
人魂 ざぁざぁと上れぬは
魂の巡り(輪廻転生)止まる事にて
その魂の 御魂救いゆくは
新たな命 生みゆくこと
新たな人 送り出す事となりゆく
鎮魂が先ぞ
神祈ること 静めゆく魂
同じ想い 立てゆくぞ
人の祈り立ちゆく場 光立ちゆきて
魂上がり 神と結びゆかれるものぞ
忌み嫌う事なかれよ
光の御役たちよ 上れぬ魂 救いゆかれよ
御魂残りし場に 繁栄無く
悲しき念 方々に散りゆく
恨み嫉みねたみ苦しみ
あらゆるもの包み込みゆきて
天に引き上げゆかれよ
清き清き光にて 出来ゆく御業ぞ
光降ろしなるは 大事大事な
神与えし役割 御業よぞ
その力 小さく見ゆることなかれよ
大元なる魂 引き上げゆくも
光降ろしならこそのものぞ
信じゆきて 光 放ちゆけ
静まりたる魂
我に(私達)謝して 天に謝して
身軽成りゆき 清らかに上がりゆく様
涙失くして見れぬ
ありがたきこと 尊きことと
しかと受け止めよ
人の巡り 生みゆけよ
(3月23日 物部神社 新潟県柏崎市)
今日も明日も明後日も、皆様にとって素敵な1日となりますように^^
いつもお読みくださりありがとうございます
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つながる神様は自分が大切に思う神様でよいと思うのです。「何々神をあがめないと」とか「あの宗教が正しい、間違っている」なんていう対立の時代ももう終わり。万物一切に神あり。日本には八百万の神と呼ばれる神々もいますが本当は元ひとつ。”神様”という言葉に抵抗のある人は、宇宙や太陽、自然などこの世の一切を作った”絶対的な何か”(something great)という概念も素敵だと思います(^_^)
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