暗中
えー、先日排水口ダイブでご臨終されたアタイの耳太郎(イヤホン)に続いて、今朝起きたら何が起きたのか抱き枕のシロクマジローの脇腹辺りがさっくり裂けていたので次に危ないのは三郎か長太郎だと思ってます。
私はアリンコです、眠ぃでございます。
いやジローはね、商品タグにそう書いてあったから、私が「モノに変な名前つけて遊ぶ」的な、アレから派生した通称では無いのですが、睡眠中寝返りが打てずに朝起きたら体固まる現象をどうすりゃ良いんだと調べたら、横向きで寝るのならなんか抱えた方がいいってんで、洗濯機に入れても大丈夫なのを探して、まぁ長いお付き合いでした。
でも朝起きたらジローをぶん投げてる事もあったので、寝返りは関係なかったですね。
アリンコは不眠気味なんで、病院で薬も貰ってますが「寝る時の状況」をある程度パターン化しなければ、どんだけ眠くても落ちません。最近の寝落ち現象は謎です。
いつからだろう、疲労と眠気が直結しないんですよ。
もうしんどいしんどい、眠れなさ過ぎてしんどい、となった時に、病院行って、医者に「こういう状態なんです」的な説明の最中に自覚したのが、どうにも最後の一押しだけが、足りない。
この、寝ようとする時に何故か抗おうとする。
これは、その薬処方して貰ってからも謎にあった、変な癖でした。
無駄に意識を保とうとする癖。寝たら負けだと無意識に思ってる。何と戦ってるんだ。
なので「寝ても良いんだよ」を自分に教える為に、睡眠の為の儀式的な習慣を己に叩き込むというめんどくさい人対策をしてたんですが。
「さて今日はそろそろ休もうか」の時に、まず薬飲む、これは、まだ必要なんだよ。
それから白湯を飲む、冬場でもデケェ保冷剤をタオルに包んで枕にセット。
スマホ充電器に挿す、電気消す、一言ボソッと声に出して呟く、横になる、ジロー抱える。これで寝れます。
この、最後の工程が無くなった今夜、果たしてアタイは眠れるのだろうか。
ここで眠れなかった場合は、また一度起きて、「別に今日やらなくても良い事」をして、スマホスルーのリトライです。
あまりリトライが続くと、呟く内容がなくなってくる、という事もありますがそういう時は同じ事言ってりゃ良いかと思います。
呟きの内容は基本はお礼ですね、たまに願い事の時もありますが、「今日も◯◯でありがとう」って誰かに言っておけば、なんか良い気分で眠れる。
保冷枕は必須です、体感気温バグってるんで、頭冷やして、布団被るなり何なりしてセルフ寒暖差を作らないと、体から力が抜けない。
明日目覚めなければ良いのに。
そう考えて布団に入ってた時期もありました。
明日、そんなもんが来なけりゃ良いと。
基本がネガティブ気質なんで、まぁネガはネガで使い方次第で良い側面もありますが、明日以降の予定、計画、その他諸々、目が覚めなけりゃ、嬉しいも楽しいも無い代わりに、悲しいめんどくせぇも無い訳ですから、「明日」、んなもんいらねぇぞっていう、時期。
アリンコはここ二日ほど、敢えて記事を書こうとしてなかったんですが、それはちょっと、自分の精神的なコンディションが特に理由がある訳でもなく良くないと判断したからでして。
テメェの機嫌はテメェでとる、的な考えは、確かにあったのですが、気が変わりましてね。
あのー、自分ごとですが、あたしゃ自分のご機嫌取りもしないと、考えてました。
だってこいつ(自分)こうなっちゃうと何しても揺るがないので。
アンタ何がそんなに気に入らないんだ?お?言うてみ?と自問自答する方向に変えましたね。
大体周期的に「特に何も無いけど気分が落ち込む」的な日でもなかったので。
時間経過で回復する時は放っておくし、別の事で気を取られてご機嫌になるのならその程度。
自分の力でどうにもならん部分に対して不機嫌になってるのなら、そういうジレンマも必要なんじゃないか、ただでさえ、人と関わる事がほぼ無いんだ、それでそのタイミングで「外」に用事があるのなら、数時間ぐらいならなんかキャラ作って、演じていればいい。
幸いな事にあたしゃ物や人に八つ当たる傾向ではない。
仮に誰かが原因で怒りがどうにも治らんとしてもだな、その当人に怒りをぶつけたところで、怒ってる内は、相手をやっつけられたとしてもそれはそれで腹立つと言う、負の連鎖が起きる事は知ってるから、それこそ別で気を紛らわすか、「何故自分は何に対して怒っているのか」とフォーカスして、そうか、それにムカついたんだ、そうかそうか、災難だったなと認める方が、後に尾を引かない。
そうすりゃ、対人でなんかトラブった時に、冷静に「ここ、何とかなりませんか」と解決に向けて進める事もあるし、何ともならん時もある。
今回は、アタイの不機嫌は体調に関する事だったんで、どうにもならんパターンだったけどね。ウム。
延々愚痴愚痴と、どうにもならん不平不満を、頭の中で吐き出させて、ネタが切れるまで徹底的に出して、まぁ、それで何とか。
今更どうしようもない思い出しムカつきとかは、紙に書き出して破るってのも良いんだろうけど、身体的な問題はその時やり過ごせても、後から後からまた似たようなのが出てくるだろうから、そりゃもうムカついてる時は、ムカつかせておいた方が良いと思って。
なのでお礼も言えてないね、今晩三つぐらい言っておこう。
そう、「明日が来なけりゃ良い」の時期はですね、この半年間の謎のメンタル落ちは一種の転換期というか、これまで蓄積されてたストレス的な何かが一気に襲ってきた感もありつつ、10年程前に起きてた暗黒期はな、ありゃもう、完全に体調と環境が原因でした。
オカルトものを書こうとすると、謎の激痛が発生するので「こりゃもうやめとけって事か」と、自分の体験した摩訶不思議な話は控えようと思いましたが、完全に抜け切った訳ではないけれど、当時の心理状態だけでは説明がつかん、怪奇現象によって一番最悪な状況からは抜け出ました。
悩みましたが、この時の話を、デンジャラスですが、克服してるので今回晒そうかと。
親父が亡くなってから、一気にモチベーションが下がったというか、逆に親父の最期の時に必死だったからなのか、それでもまぁ半年ぐらいは保ったとは思う。
朝の通勤電車で疲労困憊してしまうので、始業一時間前に会社に向かって、休憩して、残業ない部署だったんで仕事終わってから休憩して帰る、というルーティンが固定化しつつあった時だ。
丁度、勤め先も途上は長いものの電車一本で通えるっていう、場所移動があったんで、乗り換えでわちゃわちゃするより楽になったはずだったんだ、駅から職場までもまぁ近くなった。
したらば、当時は実家だった、自宅から自宅の最寄り駅まで行くことが、厳しくなってきた。
その内、電車に乗ってる間に、具合悪くなって途中下車するようにもなった。
これは困ったなぁと思ってたら、ついに、自室から出ることも困難になってきた。
肉体的な不調と、精神的な不調が、徐々に。
この時実家にいたのは私と、認知症のばーちゃん、通いで近所に住んでる伯母から夕方までは来てくれるんだけど、このばーちゃんが、体は超元気で頭だけが、ちょっと、アレになって。
夜間とかに一度外出という名の脱走をされると、私の足では到底追いつけない程のスピードで逃走するので、「お前なんでばーちゃんちゃんと見てなかったんだ」的な、まぁそんな事もありつつ。
ウチの従妹が「いやおかしいやろ、なんで病人に丸投げしとんねん」とツッコミながらも、謂わば住まわせて貰ってる状態だったからね。
仕事も行ってたし、病人とか、そういう認識はなかったんじゃないかな。
あと後に判明して、妹が膝から崩れ落ちたんだけど、この時ウチの残念な母は、「神経と精神の違いがわかっていなかった」らしく、伯母にも、アリンコは「今とにかくやる気がなくなってる状態」だと誤解されていた...、妹はもう結婚して、東京にいたんで、姉に対する当たりの強さがよもやオカンのアホさから来てると知った時に、一悶着あったらしい、という事は一応聞いている。
精神疾患だとしてもダメな対応ながらに、神経伝達が上手くいかなくて実質身体が動かないのとでは、事情がだいぶ変わる。
いや私も、何でこんな無茶振りをされてるんだと疑問に感じた事はあったけど、伯母の夫である伯父が「結局アリンコは何なんだ」と病名でググって、ヒィィィってなって以降は、その人が「いやいやお前らは何を言ってるんだ」となったものの、ヒィィィってなる病気よ、ヒィィィって。
アタイの持病は感染もしないし、直接命を削るものではない。
発症する可能性を持ってる人は多いものの、発症率も低い。
その発症率が低いんだけど、死亡率は高い。
これがどういう事なのか、自分の体験と共に、ご説明しましょうか。
やればできる論はともかくとして、伯母と母姉妹による、「気分を上げていこう作戦」は完全に逆効果だった。
その気になれば何でもできる、っていう「何でも」の項目が、実質「その気にはなってても出来ない」状態だったので、出来ねぇっつってるのに、やってみなけりゃわからんと、結局出来ない。
その内に「こんな事も出来んのか」と言われてしまい、今であれば「はい、出来ませんが何か?」と言えるけど当時はかなり傷ついた。「こんな事」が、出来ない。
ついでに「アリちゃんは怒ってもさ、結局許してくれるんよな」という、謎の定説まで、アリンコの耳に入ってくるようになり...、それは、本人には聞かせたらまずい件ですよ、ウチのおかんはアホなんで。
ところで、うちの実家近くには、道的には近くはないのだけども、朝夕とカラスの溜まり場みたいな場所が、川とか無視するとかなり近くにありまして。
大量のカラスの鳴き声から、謎に過酷な一日が始まる、という状況を「いつ」から認識し始めたのやら。
やれるやれる、いや出来ない、出来ませんでした、これが、次第にカラスの鳴き声に責められてると錯覚し始めて...この辺りから頭おかしくなって来てたんだと思う。
父が手術後に子供時代からやり直したように、祖母が徐々に記憶退行していったように。
人間は壊れる、という思い込みと、まだ若いからという謎の励ましから、この先自分が「何も出来なくなって「脱落」」すると、不要な人はカラスの餌になる、と、謎の妄想に取り憑かれた。
バイオハザードを、観たからかな?
本格的に職場に行けなくなって、休業して、そのまま退職になったものの、その頃には「カラスに殺される」と毎朝、そして夕方に発生する大量の鳴き声に戦々恐々としていた、ちなみに近所のカラスが人を襲ったという話は聞いていない、でもその時は怖かった。
でも次第に、その方が良いんじゃないかな、自分はダメなんだし、と考えるようになっていた。
そして、何故、カラスは私を殺しに来ないのだろう、いつ来るのだろうと、歪んでいった。
冬だったよ。ついに退職になった事で、オカンが実家に来て、猛烈に私を非難した、神経と精神の違いがわからん人だったので。精神でもあかんと思うが。
まぁオカンには何をどう言っても通用しないので、言われっぱなしだったのに、その時私は、何故か、カラスに対してブチギレてしまった...、来るのなら早よ来いよ、待ってんのにさあ!みたいな。
どうせ殺しにくるんだろ?わかった、待ってても無駄に時間が過ぎるだけだ、わかった、もうわかった、私は待たない。
私は「カラスが、カラスが」と謎の妄言を繰り返しながら、家を飛び出したらしい...というのも、この時の記憶がかなり曖昧だったから。
母は私が狂ったと感じたという、確かにそうなのだが、狂ってるのはお前の残念な思考回路と情緒だ。
この時、私はもう走れなかったはずなのに、完全にぶっ壊れてたのか、山道を、駆け上がっていったそうな...、なんだ、やれば出来たんじゃねぇか。
痛いから防衛本能なのか何なのかどんだけ意識しても動けなくなる、という症状が、その防衛意識が完全に壊れてたからなんじゃなかろうかと、後に医者は言った。
そして私は、登山ルートに突入し、そこから外れ、我に返った時には「ここはどこなんだ」という、道すらない山の中で、水場を探していた。
なんでなんだろうな、まぁセルフキルした時にはあの世でどうなるか、的な話を散々父方親族に聞かされてたからかもしれない、冬になれば近畿とはいえ雪が積もってる山だ。
あたしゃ、その状況で「うっかり」水に落ちれば、そのまま自分は終わるとその時本気で信じていた...この期に及んで甘い考えだ。
現実は、ええ、川であったとしてもね、全部凍ってました。ま、川っつーか、湧き水が漏れ出てるような程度だったもんで。
沼なのか湖なのかもよくわからん溜まりだと、やっぱり凍ってんだよ。
ここで、動けないほどではないにしても、激痛があちこちで発生してた。
私の中途半端な意思では、「ここで倒れてもいいや」ぐらいの生温い思考と、でも人がいれば、その時考えようと、「助けて貰う」という選択肢も僅かに残っていたという、イマイチ煮え切らんところにあって。
ここから、私の頭がおかしくなっていたのか、怪奇現象的な何かが起きていたのか、今思い返してもわからん事が次々と起きる。
まず家は、あるんだ。山の中でも、もう確実に隣の県に突入してるんだけど。
痛いから寒さがあまりわからないにしても、何故か上着引っ掛けた状態でちゃっかりスニーカーで出てきてるから、携帯がないし、時刻がわからない、夜中だったはずだ。
すっごい近くで犬の鳴き声がする、完全な不審者だからな、それでそのお宅の玄関が開く、「どうしたどうした?」みたいな、家の人の声も近くでする。
しかし、こちらから犬を含めた相手の姿が見えないし、向こうも何故犬が鳴いているのか、わかっていない。
気配は至近距離で、でも、互いに「見えていない」。
ここで助けを求めようと声をかけた、でも、「え?どこ?どこ?」みたいな反応で、見えてない。私も見えない。
これは、もうあたしゃ、死んでんじゃねぇか、と思って、その場を離れて、でもそれなら何で体痛いんだとも思いつつ、父方の祖父母の話を思い出していた。
自分で人生から逃げ出した人の末路は、ここでは書かない。
私とは違って、どう足掻いてもやむを得ない事情を抱えて、亡くした人もいるだろう。
アリンコは完全なる「逃走」だ、だから、言葉はおかしくなるけど痛覚だけは「生きてる」んじゃないかと考えた。
しかも現在地が何処なのかわからん状態で、まさかの彷徨いだ。霊道もわからん。
あー、やっちまったなぁ、から、徐々に恐怖が芽生えた。
父は最期まで生きたのに、娘がこのザマか。
母は残念な人だけど、きっとすごく後悔させる最悪の選択を私はしてしまった。
私がいなくなって悲しむ人はいるだろうか?悲しんでくれる人は、いる?
頭の中でぐちゃぐちゃ考えてると、気づいたら車道に立ってた。
車道っていっても、山道、車は一台も通ってないし、ここはどこなんだと。
アスファルトの上に座り込んで、しばらく考えてると、道の端に数字が振られてる事に気づいた...上の方に「進む」につれて、57から56、55、と減っていく...何メートル置きなのかもちょっとよくわからない。
57という数字が、妙に気に掛かった。
父が亡くなった歳でもあり、母方の祖父が亡くなった歳でもある。
正確には、父は57になった直後に息を引き取った、その時に叔母が言っていた、「ウチの家系はなんでか誕生日を過ぎた直後に、亡くなる」、祖父母もそうだったらしいし、偶然なのか何なのか、そういう傾向にあるらしい。
その日は二月だった、私は七月生まれだ、リタイアすると、関係ないのかな。
この数字が、尽きる先に何があるのか、と、ゆっくり休憩しながら、先に「進む」事にした。
民家はもうない、人気もない、車はどうしてか全く通らない、生き物の気配もないし、街灯はちらほら見えるけど、直接その道を照らす場所にはない...、どこからの光なのかもわからない。
32、自販機とベンチのある場所にたどり着いた、当時の私の年齢だ。
ポケットの中に小銭が入っていた、一円玉を除けば、飲み物は買えるギリギリの。
なんで小銭が?と思いつつお茶を買った、そしたら自販機が喋った。
「いらっしゃいませ。どうされましたか?」
いや、それはどういうセリフなんだと思いながら、ベンチで休憩すると、「どうされましたか?」がエンドレスループし始めた。お前がどうしたんだ?何が起きてる?
なんだこの現象は、と、そもそもこの自販機があるという事は管理してる人がいるという事だとぼんやり考えて、足が痛いながらに先へ進んでからふと振り返ったら、その広場は無かった。お茶のボトルは手元にある。
そこから歩調はどんどん遅くなって、でも「もういいや」と思うようなタイミングで、数字が現れる。
一桁になった時には、終点にたどり着いたら、どうしようかと埒も開かないことに不安になっていた。
不安になっていた、そう、おかしかったんだ。
恐怖を感じた時から実は気づいてた、「どうにでもなれ」と飛び出した癖に、私は「この先」の事を懸念し始めている。
どうでも良くはなかった、どうでも、良く、ないと、でもただ、どうすれば良いのかわからなくて、逃げ場を探していただけだと、自覚してしまっていた。
死にたくはなかった、死んでも良いなんて嘘だった、本気だったのなら、もっと確実な方法を実行していた筈だ。
「人に迷惑をかけてはいけない」とか言いながら、今自分がしているのは何なんだと、誰も助けてくれないと嘆きながら、私は助けを求めたのかと、ぐるぐるしながら。
0の場所にあったのはね、電話ボックスだったよ。
ここで決めろという事なのかと、そこに近づくにつれて、もう決めていた。
謝ろう、助けて貰おう、そうしよう。
結局、私は弱い、弱くても良いじゃねぇか、弱いんだからと。
でもな、「逃げ出した」奴に対して、そんなには甘くなかったんだよ。
公衆電話の赤いボタンあるでしょ?緊急通報ボタンね、小銭がもうないから、そこ一択だったんだけど、管制官っていうのかな?そこには繋がった。
でも相手は動揺していて、次第に深夜なのに、上司なのか何なのか、人が集まってくるような、あっちこっちで声が挙がってる気配があった。
何でも応対してくれたオペレーターさん曰く、公衆電話だと尚更に「どこ」から通報してるのか、表示が出るらしい...、私が掛けている電話は「存在しない」らしく、位置情報では何かのバグなのか、地中が示されてたようで。
山の中だからじゃなくて、お前は今海中にでもいるのか、と。
どうやってそこにたどり着いたのかもわからん、実家の山道を登って、彷徨った結果に見つけた電話だ。
「切らないでください!こちらから折り返せません、切らないでください!」
そうこうしてる内に、一瞬だけ意識が飛んだ。
もう全身痛くて、寒くて、甘いとはいえ必死で「本当に良いんだな?また、現実に戻って良いんだな?」と選択して、相手を混乱させてる。
そう一瞬だったと思う、一瞬、父がボックスの向こうで、「大丈夫や」って笑ってた。
思わず受話器を放置して、外に出たらさ、......どっかの駐車場だった。見覚えがあるけど、何処なのかわからない。
それまで全然、電話ボックス以外何もなかったはずなんだ。
中に戻っても、駐車場の風景は変わらず。
しかもだ、戻ったタイミングで、あちらも「電話」を特定したらしい。
アリンコね、山の中にしかいなかったはずなのに、県一つ跨いで、どっかのサービスエリアにいたんだよ。
お迎えが来てくれるってんで、駐車場見渡してたら、朝になってた。
知ってる場所だった、車での弾丸旅行の時に、時々利用してた、恐らく父にとっては、自宅から最も近い、「よく利用していた休憩所」だったのだろう。
この後、保護して貰った私の「迷子人調書」が大混乱した事も、途中でぶっ倒れて救急車にチェンジした事も、おかんが捜索願を出してくれてたけど状況が状況なのと、府警の方は病名ググって「これはヤバい!」と、アタイが死んでんじゃねぇかと近隣大捜索展開になっていた事も、
全て、非常に申し訳ない事を、致しました。大迷惑よ、二度とやらん。
この大捜索時にバスはもう終わってたけど、電車を使ったかもしれない可能性も捜査されてて、だからこそ一夜で病気抜きにしても女一人が山越えて別の山奥で発見されたって、「おいおい誘拐じゃないだろうな」とかにもなりつつ。
まぁ、自室から「ダメな自分をひたすら責める謎の日記」に、カラスに殺される的な書き殴りも発見されつつ。完全に危ない人の、日記。
なんか、刑事さんが、これ発見した時にやべぇ!ってなったとか、それを突かれると、何書いてたのか見るの恐ろしくなったんだけど、支離滅裂過ぎて自分でも意味わからんかったな。
最初に保護してくれた県警が威圧的だったのを、府警の方が「下手に刺激すんなぁ!」的な、やり取りも、救急車でぼんやり見てて、結局何だったのかわからん、って事で、終わった。あ、受け入れ先病院無いから、待機長くて意識戻ったっていう。
触るな、刺激するな、威嚇するなだったかな。
そうググッた人はね、触るなになるんですよ、接触するだけで痛いんで。私はそうでも無い方だけど、グーグル先生には「重度」パターンが先に記されてるんで。
当時、妹が後に事態を知った際に、おかんの「神経の精神の混同」以外に、同時刻おかしなことが起きていたと、教えてくれた。
まだ二、三歳だったはずの姪が、夜中にひょっこり起きて、玄関に向かって「開けろ開けろ」みたいな大騒ぎをしたらしい。
どうしたのかと問えば「アリちゃんが泣いてる」と。
凄く泣いてる、泣いてるよ、と。
ごめんね、本当に。助けに来ようとしてくれたのね……。おばちゃん泣いてはいなかったんだけど、自分の為に泣けなかったのよ。
私の持病は、治療法どころか原因すら定かではない為に、発症すれば重軽度にもよるけれど、生活そのものが根底から覆る。
肉体的な苦痛もさながら、目には見えない謎の症状な為に、ググった人はヒィィィってなるけど、それは酷い状態の時なので、それはともかく。
自分はやれるはずだと考えていても出来ない、或いは、お前はその程度なのかという事に対する、無理解による精神的苦痛...、アリンコは温かったけれど、これによる死亡率が、非常に高い。
確率の話だ、確率は上がるさ、分母がそもそも少ないから。
何が「きっかけ」になるかまでは、推測の域を出ないけどある程度は「これじゃないか」的な事は、ある。
まぁ早々ねぇわ、でも、誰にでも起こり得るトリガーでもあるわ。
とはいえ、私はあの謎の道中もさながら、結局は自分で決めた。
誰に理解されなくても、苦しくても、結局「生きる」事を決めた。
莫大な迷惑を掛けながらも、「決める」という機会を与えて貰って、一夜、選択する猶予があった。
もしかすると「あの世」ってやつに片足を踏み入れていたのかもしれないし、頭がおかしくなっていたのかもしれない。
自分で起き上がる事も出来なかったはずの父が、ガラス一枚隔てた、遠い場所で立っていた。
もう二度と裏切れない人が、笑って立っていたんだ。
自分がいなくなったら悲しむ人がいるかいないかなんて、そんな話ではない。
悲しみはさ、折り合いつけて克服出来る、もうどうにもならなくて、その道しか選択肢がない人を非難するつもりはない、そこを選択する前に、どうにかならなかったのかと惜しむ気持ちは、あるけど。
私は、その時まで自分は裏切られたと考えていた、多分。
自分の意思に反して、動かない、体。
誰にどんな言葉で説明しても、思い込みという呪いで、理解を得られないと。
あのー、ここまで一通りの過程を経て今思うのは、そういう次元の話じゃないんだよねって事。
時々、「人は何故生まれてきたのか」的な、疑問をネットに投げかけている人を見る。
私の回答はその人が求めているのとは違うから、それに返事はしないけど、人間が生まれてきた「理由」とかね、きっと「無い」ですよ。
生まれてきた意味とか無いよ、生きてる内にね「意味」ってのは生まれてくるんですよ。
どう生きるか、の模範例とか無視しちゃって良いと思う、その通りに生きられない事だってある。
共存する為に設けられた法とか、倫理とかは、共存するのなら守りなさいよ、そこは好き勝手しちゃうと、弾き出されるか排除されるわよ。
別に毎日楽しくなくても良いわよ、「なんでこんな事になってるんだー」な時はあるわよ。
この、所謂「負の感情」的なものを、どうにもならん無理ゲーみたいな事態を、どう攻略するか、「意味」をくたばるまでに作っていきゃ良い。
と、考える私は、多分誰の救いにもならんのやろうけどもやな。
今回こんな感じでございます、いつもより長くなったね。
まぁ失敗はね、色々重ねてますが、「山を越えた女」って事で、日々上機嫌不機嫌緩急つけながら生きておりますとも。
結局あたしゃ、夜な夜な一体何処を彷徨ってたのかはわからんけど、わからんままで良い。
って事で、ここまで読んで頂いてありがとうございます。
ちょーっとメンタルがまだ不安定なので、しばらく日にちが空くかもしれませんが、また次回。
ありがとうございました。