アリ
昨日から、脚と腰がそれぞれに激痛ではなく、ヤバ痛かったんでアンタもう今からこんな状態でどうすんのさ、とか思ってましたが、別にどうもしない。
大丈夫じゃなくても問題なくなったアリンコです。
別に、何がどうなっても良いじゃないかと、投げやりとはまた違うんですが、本格的に「なんでもいいや」ってなると、一瞬にして全てがどうでも良くなるという、足が痛かろうが、腰が痛かろうが、お米がなくなろうがどうでも良いので今回で最終回になると思います、ハハハハ。
三ヶ月、四ヶ月?ぐらい?お世話になりました。
インターバルはあれど物語を作る事は二十年ぐらいやってましたが、自分の事を、客観視はしてないけど言葉にして書き出し、人様に見てもらうという事はあまりなかったので、こういう事かな?違うかな?と考えながら、「今思ってる事を一方的にそのまま出す」というのはなかなか、私の人生では機会がなかったので、読んで頂いてありがとうございました。
まああの、最終回詐欺になるかもしれないんですけども、「後日書きます」って書いてねーじゃねぇかよって内容もありますが、ここは、自分の為にやってたコンテンツでもあるので、力尽きるまではダラダラ続けようかと思っていたのですが、そうも言ってられなくなってきた感じで。
最近は夢とオカルトの話が多かったですが、結局全体的に何が言いたかったかというと、「自分を大事にしてください」、その後に私も頑張ってるからさ、と続くのですが、アリンコは本日を以て終了します、死ぬ訳じゃないわよ、自分で強引に自分を終わらせる恐ろしさは理解してますので、あの、もう、何も発信する事はないって、自分の意思で何を学習するつもりもないっていう、こんな書き方するとまた誤解を招くな、難しいや。
怒ったとか拗ねちゃったとか、また謎の闇堕ちしてるとかでもなくてですね、どっちかというと腹括ったってそっちの方です。
私の性格上、厳しくなってきてしんどくなったら「やっぱり無理だわぁぁぁん」ってなるかもしれんので、かなりの高確率でそうなるのですが、主体性というか積極性もない保守的な私は、人見知りもするし初見の物事にビビりまくりの癖に、腹を決めたら割と強いんですよ、自分の意思でね。
土地勘もないし知らない人ばっかりだし、何それ?っていう未知の言語、もう固有名詞もわかんねぇよってなっても「なんとかなるだろう」って、そういう自分の性質をある程度知った時には、敢えて退路を絶って、そっちの方向にしかもう行けないわよって状況を作り出してましたが。
人に誘導されて「こっち?あ、違うの?そっち?違うの?」って事が多くて、ほら、体調も良くないし、自分のやらかしのツケも払えねぇ事の方が増えてくると、周囲に合わせてなるべく迷惑かけずに、支援をしてくれる人を裏切らないようにって、誰かの言う事を聞くっつっても、結局行動するもしないも自分の責任じゃないですか、「アンタがそう言ったからこんな事になっちまったじゃねぇかよ」っていうのは、小さい事だとたまにイラッとする事はあっても、契約事とかで明らかに契約内容と記載されてる事と、違うぞ、ってならない限りは全部自分の責任です。
物事の原因と、責任の所在はまた別物ですので、混雑してる情報に踊らされるのも、踊ってるの自分なので、踊りたきゃ踊ればいいと思います。
知りたくなきゃ知らなくていいし、見たくなけりゃ見なくていいし、聞きたくなきゃ聞かなきゃ良い。
それでも視界に割り込んでくる物事はあるし、「ウルセェ!」って事もあるのはしょうがねぇ。
もうどうしてもこういう感じの、こういった用途の、このサイズのって品物を探してお店に行っても「そんなの販売してないしそもそも作ってないです」って事もあるでしょうよ。
じゃあ、見つかるまでお店を回るか、代替品で妥協するか、自分で作るか、その品に関しては諦めるかしかない、私はその選択肢しか思いつかない。
それで、アリンコはお店を探して回ってたんですが、どうやら本当に無いみたいなので、それでそろそろ疲れてきたので、それでも諦めつかないし、自分で作れないし、代替品もしっくり来ないし、困った困ったって、困り果てておったんで、もしかして自分の持ち物の中に既にあるんじゃね?と探してたのがこの三ヶ月、ほど、の、期間でしたね。
残念ながら手持ちの中にも無くて、過去に忘れてきちゃったのかなと振り返っても無くて、あれれれ?と思ってる内に、別の素敵な物を見つけたりしたので、「無い」という結論だけが全てでは無いのですが、ああでも、この先もどうしても欲しいとずっとずっと探してたものは得る事もないんだろうなと、他の素敵な物も大切だけど、持ってたって事を認識出来ただけでも良かったよ、ありがとうって、なりました。
要らんもんも引っこ抜いたりして「あーあわわわわ」ともなりましたが、済んだ話です。
はい、済んだ話です。
この数ヶ月は本当に、幸福な、それだけではなかったけれど、貴重な時間でした。
本当にこのまま終わるのか?もうそれで良いのか?って心が動かないながらに自問自答を繰り返していた最中で、「最後もう一回で良いから人の事を好きになりたいんだよ、人間を好きになりたいよ」と願った事も、叶いました。
誰と何があったという訳でもなく、自分の記憶や、今現在から鑑みる記憶の整理の中にそれはあったし、あの、オカルト的な要素も含まれますが「こういう子いるけど、どう?」みたいなお知らせがあったり、どうもこうも何の接点もねぇわって、彼女がなんでこっちに来ちゃったのかよく分からん現象もあったり、あの、綺麗な女の子が急に「あの子どう?」みたいに、急に営業かけてきたっていう、私のとこだけに来たのか、他にも営業回りなさってたのかは知りませんが、どうもこうも無いながらに、「お、おおぅ、」みたいに、なってたけど、その後はタガが外れたように笑って過ごせてましたので、感謝です。
今もちょっと、笑ってんですが。
一生分ぐらい、溜め込んでた笑いが今来てるのでしょうね、何が面白いのかもう自分でもよく分からないし、なんでこんなに笑ってなかったのかもわかんない。
調子を合わせて笑うことはこれまでもあったのですが、お腹の底から笑うのって、堪えように堪えきれないって、リア友の謎発言とかの時ぐらいじゃないですかねぇ。
高校生の時にファーストフードでもバイトしてて、最終的にあたしゃファーストフードだとどのポジションも出来るし、忙しい時は二つ三つなら兼任できるぜってなってましたが、それまでファーストフードを利用する事もあんまりない、感じだったんで覚える事が山のようにある、インプット完了するまでそれに集中する為に他は一切頓着しないっていう、子供の頃からの癖があったみたいで。
大した量ではないですが、「台本丸暗記女」ですよ、子供だったのでお稽古事程度の内容量だと、歌とかは別物として脳内シュミレートで、子供だらけなんでそんな個性を押し出してくる子もいないだろって、文字を記憶するのではなくて全部「想像」の域で、出来あがっちゃう感じなので集中さえ出来れば、そこ特化で覚えるって癖があって、マニュアルだらけのアルバイトで「口頭で説明される」ってのに慣れてなくて、それで、教える側もアルバイトな訳でしょ。
ちょっとインプットさせてくれよって、トレイを拭きながら「あれがどうやってこうなって」と考えてたら、採用してくれた店長が「アリちゃん、笑って」ってスッゲェ笑顔で、強面の人なんですけど、笑顔が怖い店長に言われて。
面接の時にニコニコしてたから来てもらう事になったんだから、仕事はゆっくり覚えたら良いから、新人の一番の仕事は笑顔やで、って、面接の時に私がにっこりしてたのはそういう役だったんで、当時のポンコツな感性の私は「にっこりキャラやってりゃ良いのか」と、そこから、「たまに油断すると目が笑ってない嘘くさい笑顔のアリンコ」が爆誕したのですが、そう、気を抜くと目が笑ってないんですよ。
アリンコが何考えてるかわからん時は目を見りゃ良いって、言われてた事もあるぐらい、目を見て何がわかるかって、「目が死んでる時はアイツは何も考えてない」ってバレてた事もある。
病気してからは目どころか、表情筋に気を回せるだけのエネルギーがないので、鏡の中の自分と目が合った時に「全体的に死んでる感」があったので、コロナでマスクだらけになった時は、今も私はマスク必須ですが、外側を取り繕う必要もねぇって、ある意味楽ではあったのですよ。
この数ヶ月は逆に、マスクの下でニヤニヤしてたと思うんで、マスクのありがたみ...何の話だろう。
「アリちゃん、笑って」って店長の怖い笑顔も最近思い出したりして、初見で「コイツァダメだ」って見捨てる人とかあんまりいなかったんだなぁとか、逆に「お前のその貼り付けたような笑顔は何なんだ」って、なんか言ってくる人もいたなぁとか、思い出しました。
気分の良い話ではないですが、そもそも私が笑わなくなったってエピソードもあるにはあるんですよ、そんな大したアレでもないけど。
小学校の一、二年生を受け持ってくれた担任はもう大変だったと思います。
友達と遊ばない、積極的な発言をしない、給食食わない、ちょっと揶揄われたら無表情のままボロボロ泣く、なんで泣いてんだって聞いても「わかりません」、めんどくせぇガキだな。
その担任の先生が、なんか世界平和の絵を描くかなんかの図工の時間で、授業中に描き終わらなかったら休み時間とか放課後とかに描きなさいってなって、私間に合わなくて教室で一人で描いてたのですが、その時に「みんながニコニコしてる絵を描きたいのが伝わってくる」って、私に声をかけてきたんですよ、一人で私は笑ってたらしい。
それを聞いた瞬間、ちびアリは「やべ、」と思って、表情を無にして、先生が「なんで?なんでやの?」ってなってたのも思い出しましたね。
訳わかんねぇガキにジャブ打ったら心を閉ざされたみたいな、しかもまだ完成してない絵を「もう描きたくない」って差し出された先生の気持ちを想像すると、今の何がダメだったんだって混乱するでしょうよ。
本人ももう覚えてないでしょうが、ヘラヘラしてたら荒ぶる人がいた。
「何、笑ってんねん」って、その当時笑ってられる状況ではなかったのか、笑ったら叱られる。
声出して泣いても、泣いてりゃ良いと思ってんじゃないかと叱られて、宿題やっても「字が汚い」ってやり直しさせられて、習い事で結果出しても「調子乗んなよ」で、結果出なきゃ「やるだけ無駄やった」と。
若い頃に恨み言のように言ったことあるけど、「私そんな事してない」って、アリンコの被害妄想じゃねぇかって、でも私は表彰状じゃなくて盾を貰った時に、家に持って帰った時にぶっ壊されたりしたのも覚えてるし、私が関与してない事でも、両者の言い分がかなり食い違ってて、逆になってるとかよくあったので、なんでこの人こうなっちゃったんだろうって、背景事情も探ったりして、それなら仕方ないのかと、一時期は考えたりもしたけど、も、無理だ。
事情は事情として頭で理解できても、私もそんな器ねぇし、本人もある程度自覚して悩んでるっぽいけど、いやあの、ムリっす。
恨みとか憎しみとか怒りとかの感情すらもうないんだけど、過去というか記憶の整理をする時に思い出しちゃうし、夢とかで見ちゃうと、現実ではそこまではしないんだけど、もうそういう印象は意識しても軌道修正出来ねぇんだなって、今月に入ってからはもう、あんまり、先の夢とか見ないんだよ。
「何なんだそれは」っていう扱いをされる夢を見て、起きてから「あーもうそういう印象から切り離せないんだな」って、それこそ諦めました。
もう、それでいいや。
最後に、今朝見た夢だけ、本当に「先の事」なのか深層心理なのか、もう分析もする気がないけど、不思議な光景を見たので置いていきますね。
世界が、白い結晶になって、ボロボロに崩れてるところもある。
氷河期とかそういうのではなくて、季節は夏、もしかしたら今なのかもしれないけど、それは急に起こって、極寒ではなくて肌寒いぐらいになってて、空も何もかもが真っ白、白い灰みたいな感じ。
私の実家はまだあって、多分学校か駅からかの帰り道をちょっとだけ、急いでる、何が起きたのかはわかってるつもりで、私の背中にピッタリ寄り添うように、白い女性のような誰かがとりあえず「今」してはならない注意を促してくれてる。
実家に向かうまでの私道は途中で白く崩れてしまってて「いつも歩いてる道」は通れないんだけど、色んな場所が崩れたりしてるから、普段は絶対通れない場所に迂回する事はできる、それも白い女性が誘導してくれる。
崩れてない建物の方が多いけど、一部ボロボロになってたり、人も、真っ白な結晶になって崩れかけてる人と、そうでない人とがいる、そうでない人は意外と落ち着いてるというか、あんまりパニックは起きてない、慌てふためいて絶叫してる人もいるけど、何が違うのかと言えば、結晶になってない人には、それぞれ白い人がついてる。
その人の言葉に耳を傾けてる人と、そうでない人、結晶になってない人の違いはそこなんだって、結晶になってしまった人はそもそもその人達がついてなかったって教えてくれた。
実家に迂回してたどり着いたら、もう、私が病気で倒れる前に亡くなった犬が家の中にいた、もう一匹、もっと後に可哀想な事になってしまった子がいたはずなんだけどその子はいなかった。
認知症症状が出てないばーちゃんが、家に取り残されてる子を助けようとしてるんだけど、下手に建物に触ると崩れるかもしれないから「どうにかしてよ」って、私が無事だった事とかに頓着せずに騒いでて、まぁでもこの人は常に騒ぐからなぁと、これはどうすりゃ良いんだって私は、自分の白い人に訊くんだけど、どうにもならんと。
それで、実家も含めて「無い」はずの物があるというこの状況は、死人だらけだがそもそもここはどういう世界なんだと尋ねたら、それは私が知りたい話ではないと、その通りなんだけども。
死人だらけと指摘したからか、どうやって来たのかまだ全然普通に生きてるうちのオカンが電動自転車で実家に到着して、騒ぐばーちゃんにせがまれて、まぁやりそうな事なんだけど、危険だとか多分何も考えずに、「閉じ込められているのなら、ドアを開ければ良いじゃない」理論で止める間もなく玄関ドア開こうとしてバァンと家が総崩れになる。
そもそもうちの母に白い人はついてるんですか?と敬語になってしまったけど、ついてるけど聞いてねぇって、そうだろうよって、納得の回答で、ばーちゃんも倒壊に巻き込まれてるんだけど、これは助けないかんの?って、もうなんか、めんどくさくなってきて、仮に二人を救助出来たとしてもその後が、めんどくさい予感しかしないわって、私の心もなんか変というか、結晶では無いけど、固まってんだろうなと、落ち着いてる人は個人差はあるけど、感情が麻痺してしまってるって、そうじゃなけりゃこの状況に対応出来ないって説明されて。
聞く耳を持ってない人は感情制限も掛からないから取り乱して自滅するだけらしい。
それに関しては白い人は、当人に任せるっていうスタンスで、ついてない人はつく必要がなかったって、酷い話ですがなんか区分けがあるみたいで。
いやぁ私もこんな状況で、感情がほぼ麻痺してるとはいえ、これから色々決めてかなきゃなんないんでしょ、既にすごいめんどくさいんだけど、って言ったら、何が起きたかもわからんまま結晶になった人の方が幸せだと、私は考えるだろうなと、つまり自分の置かれてる区分が、当事者にとって最善ではないと。
或いは、混乱してわーって結晶に埋もれちゃった人もラッキーなのかもしれないって、感情を麻痺させてるから思考を放棄出来ないって、何が良いのか関係なく、そういう線引きなんだと。
という話をしてたら、結晶の瓦礫の隙間から犬が出てきて、ダーッとそのままどこかに走って行った、動物とかもあんな感じになっちゃうんですか?と、なんで犬は犬のまま走ってるんだと思ってたら、それはもう犬次第だと、犬も猫も、そこで結晶になってる鶏も、その個体次第だと。
どれだけ人の記憶に残ってるか、情を交わしたか、動物の方が人に情を向けてたか、そういうので何かが変わるらしい...もう一匹がいないのは何故なんだ、てか鶏?
あー、近所の幼稚園の、鶏さんがオブジェみたいに!ってなってる内に場面転換して、時間が進んだのか、あまりの異常事態なんで、無事なスーパーとかお店が、生き残るために必要な分を、商品が無事なら商品だった物を回収しようってなって、ここで「あれ?」と、私は何故か、全然普通に動けるのだが?と我に返ったので、照明が機能してないスーパー内での作業中に意識が戻った感じで、隣で作業してたおっちゃんの白い人が、白い人は何故かみんな女性っぽい、姿ははっきり見えないんだけど、その人が「それはもう道理が狂ってるから」って、私についてる白い人に、気づいちゃったんだから教えてやれよ的に言ってくれたそうで。
声は、自分の担当の人?のしか聞こえないというか、頭の中で聞こえる感じだから、脳内再生される声も自分の物何だけど。
道理が狂ってる、それまで必要だった制限はもう要らないからって、なんでかわからんけどその時は「そうなのか」と納得して、機械的な流れ作業で使える物を運び出して。
周囲の人は理性も知性も失ってなさそうなのに、本当に感情が麻痺してるんだなと、今必要な事に従事できるようにそこだけに意識が向いてる風で、そういえば結晶とか白い世界では無いけど、前にもこんな夢見たぞと思ってたら、作業してた人が「疲れたら休みなさい」って、ちょっと心配そうに言ってくれたんだよ、麻痺してるだけで失ってはいないらしい。
でも今生き残ってる人がこんな状態なら、自分さえ良けりゃって強奪とかも起きないだろうから、ちゃんと物事が機能するまではこれで良いのかも、っていう内容の事を言ったら、心配してくれた人が「そうでもない」って、こっちの姿が見えてないのか、機械的になってるから気にしてないのか、レジをこじ開けようとしてる人が数人いて。
今現金あっても使うとこねぇだろ、って呆れてたら、ああいう人はこの状況でもお金に価値があるコミュニティで利害のバランスを取ってるって、白い人が言って。
私は一時的に機械みたいになってしまった方に属してるだけで、そっちの方が「今」は平和だと私自身が選んだと。
そうじゃない人もいる、現金の強奪は見苦しいかもしれないけれど、お店側が機械サイドだからといって、ある物を利用する、そこに感謝などの情も「今」は失ってるように見えるのを、あちらは気味悪がってるし、自分達が生き残る為に何でもするってガッツを発揮出来てる自分達の方が正しいと考えてる。
実際のところどちらが「正しい」とかそうした基準はない、一時的に麻痺したのが感情かそれまで持っていた倫理観なのか、そうした違いで、あの人達は既に状況を嘆いて、それを乗り越えるか押し殺すかして前進しようとしてる。
機械人間に一時的になった人達もいずれ喪失を嘆く時間が戻ってくる。
こちらサイドで力尽きてしまった人がいたとしても、機械的に状況に合わせた処理を、合理的に行うだけだから、もし感情を取り戻したらその事にすら、とても動揺するかもしれない。
どちらも救済で恩恵で罰だ、どちらもその先を生きる為にそれぞれに必要な措置だ。
逃げる間もなく結晶になった者、パニックに陥りながらも踏みとどまってる者、感情を麻痺させて生存する事にのみ従事する者。
当人達が選んだはずなのに当人にその自覚がない、けれど数の話ではなくて、これが「三分の一」の結果だ。
...似たような夢を私は実際昔見てます、その時は機械人間と対立するだけ無駄だって側の目線で。
あの人達は生き残る「数」重視で、生存者を増やす為に自分が犠牲になる事も全く気にしないで怖いんだけど、人間に戻った時にどうなっちゃうの?って、お腹空いてフラフラになりながら、統制の取れたロボットみたいな集団と鉢合わせると、その集団行動を阻害した時に危害は加えられないけど集団を守る為の動きをするから、交渉も出来ないしあの人達からは何も奪えない、分けて貰えない、アイツらいるからここで食糧確保は無理だ、どうしよう?って避難所にいる身内の姿を思い浮かべながら、なんで共存できないんだろうって悲しかった。
体調を崩す前に見たので、私の選択は変わったのかもしれません。
私、考えたんですよ、結晶になってしまった、白い人がついてないとされてる人、その人達が実は、理想とする世界に真っ先に辿り着いたんじゃないかって。
それで「白い人」が何者かもわからないまま、その人に誘導される事を選んだ人と反発すると決めた人が地上に残ってしまったんじゃないかって。
機械人間の感情は凄惨な状況から脱したら感情は戻ると思います、反発した人もそこを乗り越えるだけの力があったのなら、「その先」を進む事もできるでしょう。
どのルートが良いとかって、自分で決めてるんですよ。
とはいえ、未来の話なんて予知できる能力など持っていない私の、ちょっとだけ思いを馳せられるだけの私の夢の話です。
今、どこが良いとか、どこは嫌だとか考えても、何が起きるのかなんて先の事はわからない。
予言めいた事なんて、根拠のない勘の範疇であるのならいくらでも出来ます、「そう来たか」っていう部類のものなら、いくつか。
でも少し、機会があれば思い出してください、三者三様、十人十色、それぞれに視点があってそれぞれに事情や想いがある、「もしかしたら自分は間違ってるかも」と思うような事はしないに越したことがない、でもせざるを得ない時だってある。
自分とは異なる性質の人をどう思うかはその人の勝手です、同族嫌悪のような感情論もあるでしょう。
なりたい者になれるかどうか、努力次第でどうこうなる話でもない、私は何もして来なかったか?して来なかったかもしれないし、やれるだけの事はした。
こんな筈ではなかった、どうして「普通」の人のように生きられなかったのか、何が原因だ、誰が悪い...、そうした事を考えても、意味がない。
この、先。
何があろうとも、何も無かろうとも、もしも思い出したらで良いので、考えて、みてください。
自分が出来なかったことを人に言うなって、そりゃそうなんだけど、私はもう、ここまでにします。
三ヶ月ほどの間、ありがとうございました。
ただ書き連ねてるだけじゃ途中で心折れてやめてたかもしれない、ハートマーク押してくれたり、引用していただいたり、初回の投稿記事を「えいや!」と送信したきっかけが、「私はまだ現実に存在してるわ」と確信できたからで、それでもすぐ不安になっちゃうから、自分が区切りをつけるまで続けて来られたのは、お読みいただいてる皆さんのおかげです。
ありがとうございました、私、自分が思い描いていた「人間」に、なれていたと思います。
何を考えてるかわからない気味の悪い子供から、ちゃんと、人間であった事を、自覚する事ができました。
人間でした、私、人間を好きになれました、ありがとう。
願い事、叶ったよ、ありがとう。
ありがとうございました、ありがとう、どうかこの先もたくさんの人がたくさん「好き」を見つけられますように。
ありがとう、さよなら。
ありがとうございました。