言葉
ちょっと間に合ってる感が全くないのですが、意図的に昼夜逆転を試みてあっさり成功しました。
アリンコです。
常に忙しい人とかに対してはちょっとアレな内容なのですが、特に時間の縛りとかないわよって方...相当少数派だと思うけども、逆転させるのは夏場は簡単です、あの、戻すのも。
逆転するのもやり方も推奨はしませんが、気持ちとしてはもう最悪二徹するぜと考えといて、サキュレーターとかで顔面に強風当てるって方法があるんですが、まぁ良いや。
なんで逆転してるかっていうと日中に予定がないのと夢の内容が雑多過ぎるからです、今週だけ反転させてます。
何が間に合ってないかといえば記事ですね。
前回のヘタレ過ぎる雑記の時に逆転させようと思ったんで即日決行してるんですが、音の問題か別の要因か、深夜の方が思考に集中しやすい気質?体質?でして、考える内容にも寄るのですが、昼間に出る結論と夜間に出る結論って、昔から全然違うんですよ、なんでかは知らん。
一夜漬けという言葉がありますが、一夜ではなかったですが何かを記憶するのにも夜の方が覚えやすかったです、昼間の方が向いてる思考作業もあるので、私が24時間活動出来るのなら効率も上がるんでしょうが、それどころか一般の、普通の人よりも横になってる時間は長い方でして。
記事が間に合ってないと書きながらさて、どこまで出すかと考えて好きなようにすりゃ良いんじゃないのと毎度お馴染みの答えしか出ませんで、とりあえず予定してた「ワード」の話を、しましょう。
なんか最近か、もっと前か、「これを唱えれば願いが叶う」みたいな謎日本語が存在するようで、それを「言霊」と説明されてるのを見かけて、アタイの知ってる言霊の概念と違うでと、そんな魔法の呪文的な事は、ホント知らんでと思ってました。
そもそも「言霊」に限らず、何かしらの意図を含む物にはエネルギーが宿ります、それは言葉であっても絵画であっても、なんでこんなデザインなんだみたいな土偶とかでも。
でも「言葉」というのは意思疎通の重要なツールで、文字だとするとそこに意思がなければラクガキめいた図形と同じ、意味のない図形、ある図形、そこに意味を持たせるのは大抵は発言する側でしょう。
言霊と言っても文章と呼べる文字列や単語そのもの、声に出して音にするのは「音霊」と呼ぶと昨日知ったのですが、音に関する話はまた別の機会があればという事で、ぶっちゃけ「ワード」と私が記載してるのは、造語というか適切な言葉が見つからなかったので、単語であれ短い文章であれ、そういう意図は元々なかったのに、何かしらエネルギーを持ってしまいそうな、「言霊未満」の言葉。
矛盾しますが、発言者の意思がなければ単なるラクガキだという側面の方が多いものの、受け取り手が何かしらの意思を誤認してしまえば、そこに「意味」が生まれてしまう。
アリンコとしては、受け手が意味を持ってしまいそうな言葉を「ワード」としている。
noteというコンテンツであれば、私が発信者なので、ざっくりいえば自分を守る為の予防線みたいなものですが、発言に注意しろよとか、アリンコがとんでもなく臆病だとかそういうのを抜きにしても、今の世の中「深読みの達人」と「文面通りに受け取る素直」が混在してるので怖い怖い。
世間が怖いというよりは文化そのものがそうなってきてるという話ですよ。
さて。
わざわざ「ワード」と言い換える必要があるほど、発言者の意図に関わらず受け取り手に何かしらの印象を与える言葉...、標識や看板などを思い浮かべてみてください、或いは信号、重要な事項に関しては意識を引きやすい表示をされてますよね?信号だと青、黄、赤の並びは全国統一されている、色の識別だけではなく点灯している箇所に規則性を設けられているのは何故なのかと考えればすぐ答えは出るでしょう。
青信号は緑色じゃね?という方向に脱線しがちな私ですが、気をつけるわ。
その色だけが認識できない人から以前聞いた話ですが、その人は何色がわからないと自覚があるから「無点灯」に見える時は、と意識してたらしいですよ。ここだけ脱線しとこう。
停電だったら俺はもう何もわからねと言ってました、そう、だろうよ。
標識も看板も信号も、発信者の意図がそこにはあります。
では逆に、「そんなつもりは、なかったのに...」みたいな、そこまでの意図はしていないのに、受け取り手に何かしらの影響を与えてしまう、言葉、これがワード。
人に向けて「バカ」だとか「アホ」だとか言ってはいけません、これは幼稚園児でも教えられてるのに、大人でも使いますよね、なんででしょうかね、私は生まれ育ちが大阪だからか「愛のあるアホ」という概念がありますが、現在40代前半、「東京言葉が気取ってて気に入らん」とかいう、正にアホの子が周囲にいた子供時代は、「アホだと愛があるけど、バカは傷つく」という不思議な文化圏で育ってますが、関東から転校してきた子がアホアホ言われ過ぎて深く傷ついてしまって、「アホには愛がある」とか、そんなん、言われてる側は知らんがな事件とか多発してた時代もありんす。
自分を含めて周囲が乱用し続けてると発言者は感覚が麻痺してくる、こういう現象がよくあります。
バカアホ論争はくだらねぇと一蹴できますが、もっと過激な言葉が、「自分は使わないけど」と前置きしても、乱用されてる場面、よく見かけませんか?昨今SNSなどで、法改正にまで至った事件、ありますよね?
わかりやすく例えるのならどうしても人を罵倒するような乱暴な言葉を出さざるを得ないし、マイナス印象の言語の方が人の心に響きやすいという悲しい現実もあります。
発信した方は使い慣れて、感覚が麻痺して、まるで挨拶かのように本当にそういう意図がなかったのに、受け取り手の命まで奪ってしまった、私が知ってる「言霊」とはこうした現象も引き起こします。
余談ですが、アリンコはここ数年は人と雑談めいた話をする機会は減ってますが、若い頃は「普通の人はそういう言葉を日常生活でポンと出てこんのよ」というツッコミを何度か受けてます。
「言葉が持つ脅威的なエネルギー」を漠然とですが一応は認識してたので、何をバカなことをしてるのやめなさい!と本心から思って、いう場面で「愚か者!」とか出てくる、変な人ですが、バカとかアホとかなんか、別の意味に変わってきちゃってるから、「愚か」が妥当だと、今でも思ってます。
そんな人のやる事なす事に、口挟むほどの興味も失せてきてますが、今回の本題とは別の、オカルトとか事件とかの場面で、やっぱり「何を、こんな、愚かな、」とか普通に言ってて、お巡りさんが何時代の人なの?みたいな顔してた事もありました。
ゴリゴリのオカルト方面で関わる人は、私の珍妙な発言にいちいちツッコミません。
言葉ってのは適切に使わないと危ない時あるよ、って、ご存知なので。
悪い方向だと「何時代?」ってなりますが、感動とかすると、素晴らしいみたいな意味でなんでか「マーベラス!」って言っちゃう事もあるので、そういう時は「どこの国の人?」って、なりますね。
理由は私にもわかりません、気付いたら「マーベラス!」って、言ってる、ゲーマーだったからかもしれない、いつから使い始めてたのかは思い出せないけど、近親者に、どんだけ言葉を尽くしても伝わらない相手が複数いたので、言葉言葉言葉ぁ、ってなってたら、なんでそこを日本語で言わないんだよ、っていう単語とか、使うようになってました、気付いたら。
ちょっと時間経ってきたので今だから書けますが、「侘び寂び」とか、日本語しか存在しない言葉もあるように、海外にもそういう言葉はあります。
侘び寂びって何なの?って説明すると長くなるのですが、「あれ?私が思ってるのと違うぞ?」みたいな話をラジオで聴いたので、ちょっと今、あの正解が、わからなくなってる...、私が思ってるのは、そもそも「詫び」と「寂び」が別の事だと思うんですけども、わかんない言葉は使いません。
逆に最近になって出来た言葉みたいなのにも、「言霊」として機能するのは存在します、そこに意思があるかどうか、ここが重要だと私は思いますし、意思疎通の手段として取り扱うのだから、発言する側、受け取る側が共通認識出来るのがベストですが、ここにどうしてもズレが出てしまうのも、ある意味仕様だとも考えてます。
「お話上手な人」や「聞き上手な人」は、このズレによる誤差を最小限に留める人だと、私はどっちも上手ではないので、そうなりたいなぁと頑張ってた時期もありました。
今頑張ってねぇんかい、って言われたら、頑張ってはいませんな。
私が今、もしかしたら何かの願望を含ませてるかもしれないけど、「どう受け取って貰っても構わないし、受け取るという事すら望んではいない」と、ある種無責任に発信しているのは、それぐらいのスタンスでしか出せない話をしてるからです。
ここで気をつけてるのは「配慮」という、ゼロには出来ないけど不快な思いをする人がなるべくいなければ、という点のみで、前回の「オーバーラン」ではそこも放棄してましたが、どんだけ言葉を連ねても伝わらん時は、伝わらん、と痛感して疲れてしまっているのと、基本トンチキな話しかしてないからですね。
お前ここへ来て何だその言い草は、と取られるかもしれませんが、意思疎通という意味での言葉のやり取りなど、受け取り手の認識の方が含まれてる「意味」の濃度が濃い。
何かの心理学で「90%」という考え方があるようで、パーセンテージに関しては常々、どういう計算式なの?と思うけど、計算式を知りたいとは考えておらず、ただ受け取り側に...表現が難しいですがアドバンテージがあるのは、そりゃそうだわなと納得してます。
受け取り拒否されてしまうと何言っても無駄なんだよ、これが私の知ってる現実ってやつです。
パーセンテージには本当に弱くてですね、その、ガチャの排出率が何パーとか表記されてても、アリンコ的には出るか出ねぇかの、二択しかないぐらい、弱点中の弱点です。
テニプリで一番好きなキャラは柳蓮二ですが、彼の算出する数字とか、もう参謀がそう言うてんねんやったらそうなんやろ、ぐらい、あの子の設定が超人過ぎるから、数字のセリフは、確率的に高いか低いか、の認識しかない。
「0パーセントだ」で、絶望、みたいな、そんな感じ。
ちなみにアリンコの持病の発症率は0.03%らしいですよ、発症の条件が揃ってる人は、予測では0.2%となんかで聞きましたが、それはもう500人に一人の中からの、更に0.03なのか、0.2%に含まれてるのかすら、もうわからない、わからないぞ!
するかしないか、黒か白かでもの考えてるので、パーセンテージは未知の領域です。
それに対してやや自信のあった言葉の方も、もう伝わらね、っとなった時に、アタイはフラットになった気分ですが、ここまで書いた「何かしらの力を持つ言霊未満の「ワード」」は、受け取り側の都合をあんまり考えてない、発信者側の意図、みたいなふわっとした場面で、私は使用してます。
発信者側の、と書くとアリンコだけの話かい!となりますが、「多分この人、自分が「何」言ってるのか自覚ないんだろうな」って時にも「ワード」として捉えてますので、「愛のあるアホ」の「愛」の部分を設けるために、「ワード」というワードをね、あの使ってます。
こっちが受け取り側になる時に「この人言い方に問題あるけど、言葉のままに取るほど、苛烈な事を言ってるつもりではないんだろうなぁ」の時に、ワードという概念は、非常に便利、自分を守る為にもね。
個人的な話をすると、うちの母が非常に残念なんですよ、特に言語の方面で。
なんでそんな要らんこと言うの?って、おかんあるあるを通り越して、言葉尻が乱暴とかではなくて、恐らく、その言葉の意味を勘違いして乱用して、言葉のチョイスで失敗してるであろう場面が多々あり、私自身も「この人とは何も話したくねぇ」と、わかっててもなりますわぁ。
どっかで聞いた事のあるセリフか何かを引用してんでしょうね、私が「言葉」に気をつけるようになったのは...、はて、「母の所為」とするか「母のお陰」とするか、この部分だけで、受け取り側の貴方の印象、変わりませんか?これが「言葉」の持つ力ですね。
何が違うの?同じじゃねぇかと思う人には、「ワード」の意味は伝わらないかと思ってます。
これうちの母には全く通じません、「同じ」と認識しちゃう人です。
別の方面で、私の母と同じところに置くと、不愉快に感じるだろうけども、別の方面な、全く別の方面で、私の一人しかいない友達は、これまた別方向に語彙力が残念でして。
細かい事は気にしないし、言い間違いも半端ない、友人の方はですね、発言者に対する信用問題にも関連するのですが、「言葉のエネルギー」を読み解く方向に非常に長けているというか、あの、私と似たような感じで「言うても無駄やな」みたいな場面に遭遇し過ぎて、言葉に対して雑な部分もあって、語彙力は残念なんですが、ニュアンスで伝えてくるので、たまに一文の中に同じ単語を何回ぶっ込んで来るんんだみたいな、事が起きます。
スピ方面に興味がないのであまり問題はないんですが、それ単発単語で「言霊」になりやすいから使い方気を付けた方が良いというワードを、言い間違いとか、書き間違いで乱発してくるという、何だろ、なんか、隙間縫ってくる系の、面白い人ですが、上手い事間違えるんだよ、ありゃもう天才だ。
その友人はですね、あの、科学的に証明できない現象を、何でもかんでも「運命」と言いますけど、彼女の発する「運命」は、前後の話でニュアンスで微妙に違う事だけは何となく伝わってくるんですけど、LINEとかの履歴を、何も考えずに見返すとしたら、結局全部「運命」になってるのが、面白い。
天災も人災も、人の思考パターンも偶然も何もかも字面だけ見ると「運命」、意外と数字には強い。
アリンコはあの、正式なというか、私の思う「運命」という概念はこの世には存在しないと考えてるので、特に気になるんでしょうね、「運命の乱用」っての。
人智を超えた天が采配したかのような偶然に見せかけた決定事項という物が存在するのであれば、私はそれを「運命」とは呼びません。
運命はフィクションの中にのみ存在すると思ってます、世間一般で「運命」と位置付けられてる事象の事を何と呼ぶのか?それは事象によって異なります。
あたしゃ、自分の身に起きる先のことは実はもう既に知ってるけど、「知っている」ことを知らない、という考えは変わってないので、それが神様的な何かに決められたとか、生まれる前から自分で決めてきたとか、あとなんだ、集合無意識だとか、時間の概念がとか、そういう理論的な話は解き明かす予定はないんですけども、もしも知る必要があるのならその内「知る」だろうと。
そこを「運命」と名づけるのは、ちょっとお手軽過ぎやしませんかっていう、ただの個人的な感想です。
この辺の概念は言語化できない感覚なので、「はぁ、なるほど。ドンピシャ」っていう動画とか見つけたら、それを引用させて貰うかもしれませんが、今のところしっくりくる物は、見つかってない。
宇宙の何とかが言ってる「人生の設計図」の存在とか、そういうのとかじゃないんだよなぁ。
自分で説明出来んのに、中途半端に出してくるのが、アタイのやり口ですよ、「そういう考え方を持ってる生き物がいる」っていう、何がしたいのかよくわからんパターン。
まああの、「考える余剰」がある時に、議題として考えて欲しいっていうのが本音です。
そこで結論を出したところで何か変わるかは知らん。
もしかしたら魔法の呪文みたいなのが本来の「言霊」なのかもしれないし、言霊とかワードとかってどうやって証明するのさ?ってなるでしょ。
証明したところで何の意味がある?でも、「言葉」って普段使ってるから見落としがちだけど、怖いよね、良い側面もあるよねって、そういう話。
ポジティブな言葉を自分にかけ続けて頑張れる人もいれば、そのポジティブワードが却って自分の足枷となる時もあるでしょ。
ネガティブな言葉が呪いのように苛んでくる事もあれば、実際はそこまでではないと奮起する事もできよう。
自分が認識してる現実と乖離しないように、使えるものは使っていきましょうと。
それであの、注意事項が一つ。
この記事を書く前に、私が最近よく観てる「匿名掲示板の内容を動画にしたぞ」っていうコンテンツの中で、その掲示板で主張してる人がどう考えても常識としておかしい、という、いつもは避けるんですが、「私がおかしいのかもしれない」という観点からも、ちょっといくつか観てみたんですよ。
報告者がおかしいっていう晒し者みたいになってるのが、あんまり好かないので、ずっと「こういうのを動画にするのはなぁ」と思ってたのですが、わかりやすい事例が上がりやすい、というのを前提にしても、内容を観てみると、共通してるのが「マイルールを妄信し過ぎている」という勘違いからの、おかしな顛末でして。
人の話を聞かないというか、他者の意見を都合良く曲解するという傾向が散見されて、客観的に観てると「確かにそうかもしれませんけど私はこれまでこうして来たんです」って、どっかのタイミングでよく出てくるので、ここを「言葉」にすると、「聞き入れてる」ように見せかけて「聞こえてる」だけの現象だなぁと感じました。
見せかけて、ってのが曲者で、様子のおかしなその人も「自分は人の意見も聞いてる」と誤認してしまってるのかなと。
認識のズレというのは「個人」という存在であるからこそ、完全に一致する事はほぼ無いと思います。
特に言葉を通じて、それが文字であれ音声であれ、「実はどうとでも受け取れる」ツールであるからこそ、ズレが生じるという事を頭の片隅に置いておいた方が、呼吸はしやすいかもしれません。
ズレがあるから、気をつけて気をつけて、もう言葉選びに気をつけて、何も言えなくなっちゃうよー!って人もそりゃいるでしょ、私がそうなんだから。
そういう方は、あの「どうとでも取ってくれ」と重要事項以外は投げてしまっても良いと思います、私はそうしてる。
そこの価値観も個人差があると思うので、あくまでも「私はそうしてる」という程度で。
ただあの「聞き入れてる」と「聞こえてる」と、ついでに追加すると「聞きたくねぇ」は完全に別物であると意識した方が良いかもしれないねという、ここが予定になかった追記です。
日本語は世界的に見て、かなり難易度が高いと良く言われてますし、それを痛感する事も経験上ありますが、その分「お話上手」であったり「受け取り上手」な人がたくさんいると思います。
私は何度も書いてますが、人は聞きたい事ばかり聞くという部分があって、だからこそ難しいのでは無いかと考えてますけども、「傾聴力」という言葉があるように、聞こえてくるのではなく、耳を傾けるという方法もありますね。
どれだけ相手の目線に合わせたつもりで感情移入しても、完全に理解する事は非常に難しい。
痛覚とかだと比較的わかりやすいかな?ああ、同じ重量扱うにしても基礎体力が違うのだから、「そこにエネルギー使ってます」感が変わってくるの方がいいのか?痛覚だと、怪我の程度が医学的に同じでも、痛みに対する耐性に個人差あるから、どんぐらいのダメージかは本人にしかわからんと、いうのが、入って来やすいんだけども。
じゃあ当事者じゃ無いからわからーんと、全部放り投げる事も、出来ないでしょ、出来る人もいるんだろうけど。
言葉は意思疎通のツールであること、認識には齟齬が生まれる事、ズレが生じたとしてもそこを埋めようとする事で理解出来る部分は少なくはない、そういう事を書きたかったんだよ。
そして発した人の意図と違う風に受け取ってしまう事がある。
その上で「快」「不快」の感情論が上乗せされるから、あの、人間難しいですね。
でもワードを上手く使って、なるべく生きていきたいですよ、生きてる内は。
自分の発した言葉で、自分を含めて誰かを呪う事になったり、自分を含めて誰かを騙す事がないように、気をつけたいなと、今回はそういうお話です。
そう、自分に騙される事も往々にしてあるから、気をつける事は盛りだくさんでめんどくせぇな。
言葉は重ねれば重ねるほど薄っぺらくなるという考えもありますが、重ね重ねて、重みを増していくというケースもございます。
読んで字のごとく、漢字もまた面白いわね。
ここに「音」が絡むと、また事情が変わってくる場面もありますので、またそれは追々書ければ良いなと考えてます。
では今回、ちょっと理屈っぽくなったけども、ここまでお読みくださってありがとうございました。
昼夜逆転が数日続くので、更新頻度がまだ読めませんが、また次回に。