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胎盤と臍の緒に手を合わせ、我が子の冥福を祈る

2024年8月26日(月)
普段は9時過ぎまで寝ている私だが、7時30分のアラーム1回で起きた。

今日は、6日前まで私の子宮の中にあった胎盤と臍の緒を火葬する日。
本当ならば子宮の中で亡くなった大切な我が子を火葬するはずだった。しかし、私に似て恥ずかしがり屋だったのか、姿を見せずにお空に帰ってしまい、残ったのは胎盤と臍の緒だけだった。病院の先生も助産師さんも必死で探してくれたけど見当たらなかったのだから仕方がない。

喪服を着る必要はないと言われたが、落ち着いた色合いの服装で行く。私も旦那もネイビーのワントーンのコーディネート。良いレストランでデートするときみたいにお互いにファッションチェックをしてから家を出た。

9時過ぎに斎場に到着した。
市営の綺麗で立派な斎場。「良い税金の使われ方だな」と、市民であることを少し誇りに思う。
駐車場に入ったところで「●●様(私たちの苗字)ですか?」と声をかけられ、車を降りるとスタッフの方に出迎えてくださり、「お疲れ様でございます」と丁寧に挨拶された。無知な私は、(こういう時は「お疲れ様」と声をかけるものなのか・・?)などと考えながら、ペコっとお辞儀をした。どんな表情をしたら良いかよく分からない。火葬の受付は葬儀屋の方が済ませてくれた。

10畳くらいの部屋に案内された。蠟燭が灯されていて、お焼香が置いてある。葬儀屋の方がそこに白い箱を置いた。

「お別れのお時間をお過ごしください」と言われ、旦那と私は箱を開ける。入院中は胎盤と臍の緒を見ることなく退院していたため、初めて見た。箱の中にはガーゼに包まれた胎盤と臍の緒が入っていて、想像以上に大きかった。冷凍庫に入れられていたのか少し霜が降りている。

6日ほど前に、病院のトイレで出産したのだ。ひどい貧血を起こしながら「赤ちゃんが出たかも!」と慌てる私を落ち着けるために、助産師さんはトイレの中を見せずにベッドに戻らせてくれた。子宮から出た時の感覚としては、5,6センチくらいかと思っていたが、そこにあったのは想像の倍くらいの大きさの赤黒い塊だった。
正直、どこが胎盤でどこが臍の緒なのかわからない。
「我が子」というよりも、自分の臓器の一部。まじまじと観察した。通常40週目まで役割を果たすはずだが、15週間でその役目を終えてしまった。
心の中で労いの言葉をかける。
「お疲れさまでした。ありがとう。」

持ってきたお花(黄色のスターチス)と、入院中に書いた我が子へのお手紙を入れて箱を閉じた。お焼香をして、斎場の方に終わりましたと目配せする。

胎盤と臍の緒に手を合わせ、我が子の冥福を祈る。

台が動いて火葬炉に入っていき、扉が閉まった。
「このボタンを押すと火葬が始まります。ご親族のどなたかにお願いをしておりますが、お辛い場合は私にて押させていただくことも可能です。」

気持ちは落ち着いていたので、私が押すことにした。
壁にポツンとついている、直径1センチ程度の小さな丸いボタン。
一度呼吸を整えて、人差し指でギュッとボタンを押した。ボタンの中が赤く光り、装置が動き出すような音が聞こえた。

この先の人生で、火葬のスイッチをまた押すことはあるのだろうか。もしあるならば、必ずこの日のことを思い出すだろう。

「火葬は30分から1時間程度です。終わりましたら館内放送でお呼びし、そのあとお骨上げを行います。私はこちらで失礼いたしますので、残りは斎場のスタッフにてご案内させていただきますね。」と葬儀屋さんは丁寧に挨拶をしてくれた。この日の短い会話と、火葬の日取りを決める電話のみのやり取りだったが、不快感は一切なく、誠実に対応をしてくれてありがたかった。胎盤と臍の緒のみの火葬であるにもかかわらず、その点には何も触れてこなかったのもよかった。

綺麗な休憩スペースで待った。旦那と私以外には館内の掃除の方しか人を見かけなかった。
胎児の火葬は、火力がまだ弱い朝のうちに行うことが多いと聞いたことがある。そのほうが骨が残りやすいからだ。

受付近くに掲示板のようなものがあり、その日に火葬される故人の名前が書かれていた。月曜だが、結構たくさんの方のお名前が書いてある。私たちは苗字だけ。死産の場合は苗字だけの記載になるようだ。この日は、私たち以外は苗字だけの方はいなかった。

30分では終わらなかったのか1時間ちょっと待ち、館内放送で再び先ほどの部屋に呼ばれた。

部屋の前で斎場のスタッフが待っていてくれた。20代くらいの若い方に見える。「どんな気持ちでこの仕事をしているんだろう」など余計なことを考えながら部屋に入る。

「これからお骨上げを行います。」

お骨上げ用のお箸などが用意されていたが、内心、「お骨上げといっても、胎盤と臍の緒だけだからさすがに骨は無いんだよな・・」と思っていた。旦那もおそらく全く同じことを考えている。

案の定、骨らしきものは全く見当たらない。せめて胎盤と臍の緒を拾いたいと思っていた。私は不器用なので旦那に任せる。

小さな黒い炭の塊がいくつかあったので、それが胎盤か臍の緒であると信じて骨壺に入れる。違うかもしれないけど、自分たちがそう思い込むことが大切である。
スタッフの方が、手持ちのライトで照らしながら必死に骨を探してくれていた。胎盤と臍の緒だけの火葬であるということを知らされているのか、そうではないのかはわからなかったが、「私も探してみましたが、骨らしきものはこれ以上は無いかと思います」と少し残念そうに言っていた。
「もし見つけられたら病院の先生もびっくりですよ!」と思ったが、口には出さず、代わりに「ありがとうございます」と言った。

火葬許可書(火葬証明書)を受け取って斎場を後にした。

火葬の時にたくさん泣くかもしれないと思ってポケットティッシュを多めに持ってきていたが、涙は一滴も出ず、穏やかに過ごすことができた日だった。

約10日間、悲しみに暮れたり痛みに耐えたり目まぐるしく過ぎていった後の、心身共にひと段落着いたタイミング。

雨予報だったが、よく晴れた日だった。

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読んでいただきありがとうございました。
火葬に至るまでの後期流産(死産)のお話はこちらです。


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