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【後期流産(死産)⓪】noteに記す経緯と、流産が分かるまでのこと


noteを書き始めた経緯


はじめまして。「牡丹の芽」と申します。仮のペンネームです。

2024年8月、妊娠15週で後期流産(死産)となりました。
現在、赤ちゃんのいない産後休暇を過ごしています。
悲しくて辛い気持ちや思い出も大切にしたい、忘れたくない、という気持ちから、退院後から必死で記録を綴っています。
記録自体は誰のためでもなく自分のためにはなりますが、
赤ちゃんの心臓が止まっているとわかってから、私自身も色んな方の記録を読ませていただき、「私だけじゃない」と思えることも多くあったので、
noteを使って公開していこうと思います。
 
私の場合は、赤ちゃんが亡くなっていたのが12w1dで、それが分かったのが14w4d、出産に至ったのが15w0dでした。
そのため、法の下では「死産」扱いとなり火葬が必要で、産後休暇の対象となりますが、
医学的には死産は22w以降のため、「後期流産」の扱いとなります。
このnoteでは、「後期流産」「流産」もしくは「死産」と記載方法がバラバラになることをご了承いただければと思います。
 

妊娠期間について

妊娠するまでのことと、妊娠してからのことも記録しておこうと思います。

※今回は妊活や妊娠期間についての内容です。後期流産(死産)のことは次の記事から書き始めております。

妊娠するまでのこと(婦人科系疾患・妊活のこと)

10代前半、婦人科系の疾患による緊急の手術・入院歴があったため、授かりにくい体質である可能性があると思っていました。

昔から、いつか子供が欲しいという気持ちは強かったです。
20歳ごろから低用量ピルを服用し、生理痛を緩和して子宮を痛めないようにしたり、妊娠を望まない期間は排卵をなるべく抑えるなど、将来子供を持つためにできることは早い段階から心がけていました。

25歳で結婚し、旦那とも子供が欲しいという考えは一致していたため、夫婦2人の期間を1年ほど過ごしたのち、妊活を開始しました。
低用量ピルの服用をやめ、基礎体温を測ったり排卵日予想検査薬を使って自己流のタイミング法で妊活を進めていましたが、半年ほどは授かることができず、
次もダメだったらクリニックに検査に行ってみようと決めていた27歳の6月、妊娠検査薬で初めて陽性が出て、旦那と2人でとても喜びました。

妊娠してからのこと(働き方やつわりの症状)

■働き方や上司への報告
週5日、基本は土日祝休みの職場で正社員として働いていました。大学卒業後に新卒で入った会社で、5年目でした。

大体10時~21時頃は働いていることが多く、残業は毎日2時間ほどある仕事でしたが、フレックスタイムや在宅勤務も併用できており女性も多い職場です。

安定期に入るまでは内密にしたいと思っていましたが、妊娠6wのタイミングでつわりが始まり、迷ったうえで思い切って上司のみに伝えました。
妊娠が継続できたとしても流産になったとしても、どちらにしても急なお休みなどで迷惑をかけることになるかもしれないと思ったからです。

上司は男性ですが理解してくれて、つわりの間はフルリモートにして、業務についても体調を優先するよう言ってくれました。
とてもありがたかったです。
週に1度は面談で私の体調を確認してくれてそれに合わせて仕事量や内容を配慮してくれていたので、無理のない範囲で働くことができ、休むことなく就業できていました。
 
■つわりやその他の体調
妊娠初期は本当に1日1日が長く、つわりも辛かったです。
「トツキトオカ」というアプリで、毎日日付を見ては、「あと何日だ…長いな~」と話していました。

私の妊娠初期の体調不良の症状は主に下記でした。

・37度の微熱が常に続く(つわりというよりは、基礎体温が高かったことによるもの)
・頻尿で夜間何度も起きる→それにより寝不足気味になる
・食べづわり(空腹が気持ちわるい)
・よだれづわりと吐きづわり(嘔吐するというよりも、吐きそうになって唾液のみだらだら吐く状況)
・眠気づわり(夜間眠れなかったことによるものかもしれません)
・喉づわり(のどの粘膜がむくみ、常に首を絞められている感覚)

水分が取れなくなったり、体重がすごく落ちるようなことはなかったので比較的軽いほうかもしれませんが、今まで通り働き続けることは無理だと感じるくらいには辛かったです。
私は仕事で配慮してもらえていたから良かったものの、出社必須やフレックスがない妊婦さんは本当に大変で退職する人もいるだろうなと思いました。
 
つわりは妊娠11wごろまで続き、12w半ばごろに軽くなってきました。
12w0d(赤ちゃんが亡くなったと推定される前日)の妊婦検診では赤ちゃんも順調に育っていることが確認できていました。

13wからちょうど会社もお盆休みに入るため、夏季休暇が明けたら業務量を通常通りに戻し、心配してくれていた他メンバーにも妊娠について伝えていこうと上司と話していました。
 

妊娠中の思い出(数年ぶりの帰省)

夏季休暇期間にあたる13w3d~13w5dの間、数年ぶりに家族みんなで母方の実家に2泊3日で帰省し、たくさんの親戚に会うことができました。
旦那が私の祖母の家に行くのは初めてで、本当に楽しい時間を過ごすことができました。
やっとつわりが治まってきたことが嬉しくて、おいしいものをたくさん食べたり、観光地でたくさん歩いたりしました。
海が近く、よく晴れていたのでたくさん写真も撮りました。
少し気持ち悪くなることはあったものの、体調を崩すこともなく、帰るころには「つわりも治まって楽しい思い出ができてよかった」と夏の思い出を振り返っていました。
親戚にも、「身体大事に、無理しないでね」「元気な赤ちゃん待ってるね」など声をかけてもらい、祖父母には曾孫を、父と母には孫を見せられるという素敵な未来を思い描いてワクワクしていました。
 
今振り返ると、この帰省の1週間以上前には赤ちゃんは亡くなっていたのです。
亡くなっていたけど母体には何も異常を起こさず、帰省を楽しく過ごさせてくれた、本当に親孝行なわが子です。
ちょうど妊娠4ヶ月を過ぎていたことから、妊婦検診の間隔が1ヶ月ごとになっており、次回の検診は8月31日(16w4d)と、少し先の予定でした。
 
長くなりましたが、ここまでが後期流産が分かるまでの私の妊娠生活の記録です。
次から、異変が起きたことや子宮内胎児死亡が分かったときのことなどを書いていきたいと思います。

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