【後期流産(死産)④】入院初日~子宮口を広げながら、赤ちゃんの名前を考える~
後期流産が分かってから2日後、入院初日のことを書いていきます。
前回の内容はこちらです↓
記憶に基づいて書いていきますので、処置内容など正確ではない部分もあるかと思います。
ちなみに、入院する病室は個室でした。相部屋とどちらが良いかなど聞かれることも全くなかったので、この病院では「流産や死産となる場合は個室」と決まっていたのかもしれません。配慮していただけていてありがたかったです。料金は高かったのかもしれないけれど、個室でよかったと思いました。
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8月19日(月)14w6d 12時30分「1度目の診察」
入院当日。旦那と母と3人で11時ごろに病院へ。
母も、病院で軽く説明を受けるまで一緒にいてくれた。
母を見送って、昼食を食べたのち、出産に向けた辛い処置が始まった。
まずは、赤ちゃんが本当に亡くなっているかの最終確認から。
経腟エコーで先生が確認してくれた。
やはり動いておらず、体がふやけている様子もなんとなくわかった。
大きさも12w1dのまま。赤ちゃんではなく胎盤のあたりに少し赤と青のチカチカ光るものが見えたが、心拍は確認できなかった。
分かっていたことだけど、やっぱり悲しかった。
そのまま一度目の処置。
緊張しているからか力が入ってしまう。
消毒と、何か器具を挿入された。
詳しい説明はないがおそらくラミナリア(または、ラミセルかダイラパンだったかもしれない)を1本挿入したのではないかと思う。
・・・激痛だった。
痛くないという人もいるみたいだが、私は初産で子宮頚管もかたく、力も入ってしまっていたからか、かなり痛かった。
これまで感じたことのない痛みに涙がこぼれた。
思わず、「痛い、痛いです・・・」と泣きながら声をあげたが、それで処置を止めてもらえるわけでもなく、「痛いね、もう少しだよ」と言われながら、何とか処置が終わった。
夜にもう一度様子を見て、明日の朝から陣痛促進剤を入れるかもと言われた。
この後の処置がどのような流れになるのか、よくわかっていなかった。
涙を拭きながら部屋に戻る。抗生物質が飲み薬で5日分処方された。
部屋に戻ってからの痛みはあまり強くなく、ベッドに横になって旦那と話していた。
8月19日(月)19時ごろ「2度目の診察。痛すぎてまた泣いた。」
夕食の後、診察室に行くように促された。
消毒と昼にいれたラミナリアを抜く作業から。
抜くだけでも痛い。むしろ抜くのが痛いのか。
カーテンがあるので、今消毒をしているのか、抜いているのかなどわからなかった。すべての処置が痛い。ただ、一度目の処置の時に「力抜いて、お尻を落として」と何度か言われたため、今回はそれを意識した。先生が、「上手だよ~」と言ってくれて、少しだけ安心感があった。
終わったと思ったら、そこからまた挿入だった。
カーテンの向こうで、看護師さんと先生が、「何本?」などと会話をしているのが聞こえる。
何本入れるのか、知りたいような知りたくないような気持ちで耐えていた。
おそらく5本ほど入れられたようだが、やっぱり痛かった。子宮に向かって、何かが突き刺さってくるような感覚が分かった。
診察台から降りるとき、痛みでガクガクと足を震わせた。
「みんなこれに耐えてるのかな」いま他の人のことなんて気にしてもしょうがないのに、急に冷静になってたくさん泣いてるのが恥ずかしくなってきて、そこにあったティッシュで涙を拭いた。情緒が不安定だ。
結局その後も泣きすぎて心配されて、助産師さんが診察室から部屋までついてきてくれた。今の時点でこんなに痛くて、陣痛なんて耐えられんのかな。情けなさと不安に押しつぶされそうだった。
部屋に着き、旦那に「痛すぎる、辛い」と泣いて訴えながらベッドに横たわった。
その後旦那は、簡易ベッドを取りに行くために家に一度帰宅した。
「旦那さんも付き添って泊まってもらって大丈夫」とは言われていたが、ベッドなどは無かった。
そもそも、後期流産の処置のために付き添いで泊まるという人はあまりいないのかもしれない。
8月19日(月)深夜~20日(火)明け方「辛くて長い夜。赤ちゃんの名前を考える。」
19時の処置が終わった後からずっと痛みが続き、
消灯時間の21時を過ぎても、痛みで一睡もできない。
強い生理痛のような鈍痛が常にあり、それに加えて弱い陣痛のような子宮を握りつぶされる痛みが不定期に(1時間に7、8回ほど)訪れていた。
痛み止めの処方ができるか確認したものの、出産後でないと処方できないといわれ、ひたすら耐えるしかなかった。
※おそらく、通常の出産と異なり早く陣痛が来ると想定されたため、陣痛がちゃんと分かるように痛み止めが処方されなかったのだと思います。
出血したらすぐ知らせるようにと言われていたが、痛みだけで出血は無く、夜中も1、2時間おきくらいにトイレに行った。
トイレに行く度に、助産師さんがナースステーションから顔をのぞかせて「痛みはどうですか」と聞いてくれた。
「ずっと痛いです・・・眠れないです」と苦笑いで答える。「辛いね、ベッドで横になってゆっくりしてね。」と励ましてくれた。
部屋が狭いので、トイレに行く度に旦那を起こしてしまい申し訳なかった。
眠れなかったので、一人で赤ちゃんの名前を考えた。
それまで一度も名前らしい名前で呼んだことは無くて、「赤ちゃん」「ベビちゃん」などの一般的に胎児を指すような名前で、おなかに語りかけていた。
戸籍に名前は残らないけれど、この子のことを無かったことにはしたくない。何も与えてあげられないので、せめて名前を付けてこれからも大切に呼び続けたい。
そう思った。
痛みに耐えながらで全然思考を巡らせることができなかったのに、
突然、ふっと頭に1つの名前が浮かんだ。
後から考えれば考えるほど、私たちの子にぴったりの名前。
(名前をこのnoteに書くかはまだ迷うけど、いつか公開することがあれば由来も書き記しておきたい。)
「旦那が起きたら提案しよう、漢字はどうするかもう少し相談しよう」とワクワクした。
良い名前を思いついたけど痛みは治まらず、やっぱり一睡もできないまま、夜は更けて翌朝を迎える。
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入院初日のことを書きました。
辛い処置が続きましたが、この日のハイライトはやっぱり素敵な名前を思いついたことです。
妊娠が分かってすぐのころは、遊び半分でよくChatGPTをつかってAIに名前を提案してもらっていました。色んな聞き方で好みの名前を引き出そうとしましたが、AIが提案してくれる名前はどれもイマイチでした。
(私のAI活用力がまだまだなのかもしれませんが…)
AIのほうが人間よりも速くたくさんのアウトプットを出してくれますが、今回のように急に良い名前が頭に浮かんだりするので、私の脳みそもまだまだ捨てたもんじゃありません。
次は、入院2日目のことを書いていきます。