映画の話#4 マーベルが変えた、アメコミヒーロー映画の世界
つい先日『アベンジャーズ/エンドゲーム』を鑑賞してきた。
ケビン・ファイギによる10年に渡るアベンジャーズシリーズは終わり、
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)は一つの区切りを迎えた。
マーベル自身が映画を制作したのは2008年の『アイアンマン』が最初であり、ヒーローキャラとしてはあまり認知度の高くなかったアイアンマンをあえてマーベル映画第一号に選んだのだ。
興行的には大成功であり、アイアンマンをメジャーなキャラへと押し上げた。
マーベルコミック原作の映画は、映画制作部門であるマーベルスタジオが制作しているが、以前は様々な映画会社が映画化権を持っており、今のMCUのような世界観の統一はなされておらず、それぞれの監督の世界観が大きく反映された多彩な作品が制作されていた。
代表的なもので言えば2002年から始まったサム・ライミ監督の「スパイダーマン」シリーズであろう。全3作公開され、当時最新の映像表現によるスパイダーマンが摩天楼をスイングする姿は、コミックファンにも感動を与えた。人物設定や映画独自の要素も高い評価を受けた作品だ。
あくまで子供向けとして作られたコミック作品をハリウッド規模で映画化することが、ブームになった。これは日本の実写化ブームとはまた違った現象だ。
もちろん、ライバルであるDCコミックス原作の映画も公開され、2005年から3部作で公開されたクリストファー・ノーラン監督作『ダークナイト』シリーズはヒーロー映画という枠に収まらない、衝撃作だった。
こうした状況の中でマーベルは自社制作での映画を企画し始める。
マーベル・コミックのキャラクターをすべて同じ世界観で登場させ、『アベンジャーズ』シリーズへとつなげていく「マーベル・シネマティック・ユニバース」だ。
DCコミックスも「DC・エクステンデッド・ユニバース」を展開しているが興行的にもイマイチで、多くのアンチファンを作ってしまった。
私はこの手法に賛成の意見も反対の意見も持っている。
確かに世界観を統一することは、観客にとっては理解しやすいし、作品同士のクロスオーバーもしやすい。『アベンジャーズ』を実現させる唯一の方法だ。私もヒーロー達が一つの画面に収まっている画は胸熱だ。
しかし世界観の統一は監督の色が薄まってしまうのだ。
クリエイター達の独自解釈を許さず、最終目標のお祭り映画へのレール作りの一部となってしまっているのだ。『ダークナイト』シリーズのダークで重苦しい雰囲気も、ヒーローを現実に近づけるためには重要な要素だった。
仮面ライダーだと平成ライダーシリーズはそれぞれが異なる世界線で動いており、映画では毎回なんらかの異変が世界に起きて、異なる世界のライダー達が集結するという流れになっている。
最近の映画でも『スパイダーマン/スパイダーバース』もこのマルチバース方式をとっている。
マーベルヒーロー大集結に向けた10年に及ぶ『アベンジャーズ』シリーズは幕を閉じたが、アメコミヒーローが独立した作品として、それぞれの監督やクリエイター達がやりたい事を自由に盛り込めた時代が恋しくなるのは私だけではないと思う。
マーベル主導による次の『X-MEN』シリーズは一体どうなっていくのか、今後も注目していきたい。