煙のしらせ、禁煙(1669文字)
「魂を信じる?」
煙って盲目、誰も知らないことを知っているふりして空に昇る。
男が墓石の前に立つと下げていた袋も夏、御用。
形だけは守ってきた伝統もこの時期、スーパーに並ぶ造花と生花の匂いに紛れて、食品サンプル、擬態、いってらっしゃい、のブルースを歌っていた。そりゃ魂を信じたくもなるよな。
人々もまた盆のブルース、駐車した車をひっくり返しては忙しそうに「おい、線香とおはぎを一緒にするな」と、蝉も亡くなる。季節に応じたクリスマスで俳句を読んだことがあるんだ。優秀な文学を誦じるかのような蝉の死、これがまったく夏のようで感慨深い。
男は溢れるブルースに揉まれながら線香とセッターとお茶とおはぎと造花を買った。夢の中で「絶対に生花を買ってこい」と叱られたにも関わらず、夏から落ちる太陽のように造花を買ってしまった。追いかけてしまった。もう、夢のあと。
手にしたプラが水を浴びても生き返らない生命力って造花でも微妙。夢を追いかけるように故郷が遠のいた気がして男は急いでハンドルを握った。「爺、ごめん」その声も虚しく花は造花のまま。茎の節目に生えた貧困、引っこ抜いても花と花。車内の温度で夢も覚める。
切り盛りしてきた日本。俺も日常の伸び代になって理想のご飯を食べたかった。でも今日というこの日に現れた自動車の数々に紛れている俺、京都、北九州、山口、横浜、足立、なにわ、のそれぞれと会話になっているような気がしなくもない。「お前らどこ行くの?」「お前どこから来たの?」ほら、大満足。車間距離こそコミュニケーション。荒ぶる神々への供物として煙草を一本如何ですか?鳴り響くクラクション。故郷までずっと一緒。
やがて、生家を通過し山をめざし勾配にさしかかり、参るために必要な手順を思い返す。どこへ参るにも人の仕草が必要で、入山の許可も夏のおかげで済ませてしまい、特別なことをしなくてもそれとわかるようなナビゲーションシステム「到着しました」
石に刻まれたのは歴史で、人が帰るのは墓石で、いま短くなっているのかも知れない男の命は噂にすぎず、あとで足りないことに気付く。そう男は考えるといっぱいになった。父も母も嫁も姉も妹も弟も、形だけはいっぱいになっていたのだろう、忘れ去られて山の一部になってしまった爺の気持ちを形だけにしていた。そんな身のない話を煙草に詰めて爺に報告する男の汗が、ぽつりと落ちる。
「夏、嫌いだな」
男はこっそり伝統を守った。誰にもバレないように煙草を吸って、この夏、必ず煙草をやめると誓った。遠くの畦道を老婆が通り、こっそり地獄に花を添えた。恥ずかしいのではない、悲しいのだ。なぁ、老婆よ。男は杖をつき去って行く老婆の後ろ姿を見送り、二人のような心で墓に登った。天に近づき、命をかけて煙草を吸って、墓に寄り添い里の主。
スーパーの70円とコンビニの110円を買い求める人々から値切って手に入れた湧水をトクトクと浴びる先代達。聖水でもわりきれない御縁を嗜めるにはこの程度の苦労、勝手します。
「おや、ご苦労様。この余韻があなたの喉元に届く前に我々は死んだって言っても煙草はやめないだろ?幕の内で頃合いはかって出すものもあるし」
「もう唇なめてる」
「苔を落として綺麗にしなさい。舌で嘘をつくのは夏だけにして」
「それよか生花買えなかった。みてみ?ここだけめっちゃキレイ」
「あなたの憂慮が造花になったのです。それを我々は知っていますから、値段だけに」
男の耳に聞こえてくる死って漢字、調べるには暑すぎて、みるみる落ちていく苔の流れに沿って時代を調べるのが末裔の勤め。ってことにしてもいいかな?俺にも休みが必要だと思うの。
墓から飛び降りると夏。袋の中からセッターと線香とお茶とおはぎを取り出すと、男は最後の煙草を揉み消した。綺麗に洗われたことによって大きく開かれた墓前に跪き、爺のセッターを供える。おはぎ、線香、お茶の順に供えて、造花をとりだし唇をなめる。
「俺、煙草やめるから」
「魂を信じる?」
墓の中から煙がもくもくと昇っていく。
男は空を見上げると口元を拭った。
それから造花の茎を抜いて、花を口に放り込んだ。
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