見出し画像

珍小説 「◉◉パン◉◉」 (12,547文字)

  その日・・・というと何か特別なことでも起こったかのような書き方だが、これはあくまで物語を書くうえでの口上で、「ある日」と言ってもいいわけだが、「ある日」と書いた場合、その時期や季節といった時系列を表す対象が広くなる。と言うことで、わたしはさんざ考えたあとで「その日」と書くことにした。

なぜなら英語で表記すると「その日」は「The Day」
対して「ある日」は「some day」だからだ

 わたしは自由症候群と言って、主語述語、動詞、形容詞、接続詞、女子、対義語、隠語、サンゴ、論語、モンゴ、老後、その他もろもろ、俗にいう「文法」とかそんな感じに縛られたくない知性の低い者だ。いかに有能な緊縛師がいたとしても、その美しさや芸術性が賞賛されるのはごく一部、ある種の特殊性癖を有しているマニアックな人々からだけで、わたしのような一般人、市井の人間にとっては文法という規制行為なんざ毎日コンビニで見かけるスポーツ紙の芸能ゴシップとなんら変わらない。あってもいいが正直心底どうでも良く、理解さえできればどうと言うことはない。
 と、わたしの認識がそう申しているので「The Who」のようなバンドのようでカッコがよろしい「The Day」つまるところの「その日」を採用することにした。

 「その日」と言うからには必ず何かが起こったのだろうと思う人もいるが、あくまでこれは口上であるため、実際のところ何も起こっていないのかも知れない。これもやはり、わたしのような一般人、市井の人間にとって日常なんざある事とさる事の繰り返し、あっちで起こったことを見て、こっちで起こったことを見る。それから家に帰ってテービジョン、モスクワ、ヨツベを見ながら、起こったことの感想や感慨、ようは当たり障りのない、言ったところで何がどうなるわけでもない、本棚の隅でホコリを被っているエロ本の精力剤広告のようなことを漏らす。と言うのが常。なかやまにんに君が『おいっ!オレの筋肉‼︎到着するのかい?しないのかい?どっちなんだいっ⁉︎』と、たいして面白くもないギャグを盆ジョビの曲を流しながら叫ぶのとおなしことで、いかに彼が我々の知らないところで、血の滲むような努力を続けた結果今のように人気を獲得できるようになったかなんて、今夜食すフタバにとってはどうでもいいことなのだ。

 じゃあ‼︎これから話すことがどうでもいいことなのかと問われれば、否、わたしはあくまで「The Who」から想起される「The Day」つまるところの「その日」がカッチョいいと思って採用したのであって、いちおう、ナスのお新香ていどの「お話」はあるだろう。そこでなにかが起こったのか?と諸君は思うのかも知れないが、さて、どうだろうな。

 では、あらためて

 その日、木造二階建てのアバラヤでは、39歳男性、わたし、が窓から身を乗り出してタバコを吸っていた。わたしは風を舐めるのが大好きで、タバコの肴として風が運んでくる隣家のビーフすつゅうをぺろぺろと、煙を吐きながら舐めていた。
 風を舐めているのか煙を吐いているのわからない、エクトプラズムを中断した鯉のように口をパクパク開閉する。周囲は静かなもので、物音と言えば言えばアバラヤの軋む音や、隣家よりときおり聞こえる叫び声ぐらいなもので、人工河川が南に流れていたが生物の気配はなかった。それ以外は終わりの場所が、終わりの頃には気配がなくなってしまうのは河川も人も同じように思う。

 そうこうするうちに隣家の食卓が終わったのか、ベランダから一糸纏わぬ姿の隣人が「ハーヒフーヘホォォォイ」と爪楊枝を咥えて出てきて、日も去った。

「ハヒフヘホイ」とは彼の常套句で、リラックスしたり興奮すると思わず叫んでしまうらしいのだが、わたしもどこかで聞いたことがあるような気がしないでもないわけでもない、どっちなんだい。追い出そうとするたびに心のどこかが疼いてしまうのは、空洞を覗かれている文のせいだと思う。彼とは長い付き合いだが、その姿形は異様で、きったない。どの星のもとで生まれたら、あのような存在になれるのだろうか。

「こんばんは」

わたしはいつものように挨拶をした。

「挨拶がいつもと同じだと?俺様に向かって」彼は昔から意地が悪い。しかも、とにかく黒かった

「挨拶がいつもと同じなのは、わたしだけのせいではありません。それより、今の晩の飯はなんでした?わたしの予想ではビーフすつゅうだと思うのですが」

「風の味がしたか」

「えぇ、まぁ、いつものことですが。今日は煙増しですね」

「風の味がするだけマシだな」

 そういうと隣人は、後ろにあったスツール椅子を短い足に絡めると、足元にひき寄せて座った。こちらからでは塀に隠れて姿が見えないのだが、角のようなアンテナだけが顔を出して、風に揺れている。おそらくリラックスしているのだろう、また「アレ」が聞こえて夜が早まった。

「おまえ、飯の友は?」

「フタバですね」

ハーヒフーヘホォォォイ」

どうやら隣人も好んでいるらしい。だがしかし、わたしに友はいない。

「今日はもう、一緒にやったのか?」

「いえ、ここのところずっと風ばかり食べていて、飯の友はしまってあります」

「まぁ、おまえじゃあな。もう随分と長い付き合いだが、お前のうちは日を追うごとにヒビやシワやヒモが増えるだけでなく、人がいなくなり音も出なくなる。いつまでもアバラヤで耐えるとは、惨めっったらしいことこのうえナスのお新香。そういえば昨日、配達員が封筒持って玄関に立っていたが、受け取ったのか?」

「いえ、まだ。もしかしたら郵便ポストに入っているかも知れませんね。でも、おかしいなぁ。昨日、確かにわたしは居間でくつろいでいたはずです。買ったばかりのホギボーが心地よくてずっとぐるぐるのしていましたから、気づいてもおかしくないのですが。何時頃でした?」

「さぁ、俺様もわからんね」

 ぐるぐるのしていたのはわたしだけではなかった。確かに違ったのは静かにしている隣人のベランダ、塀に隠されている彼の言葉に、魂を感じた気がしたのだ。魂とは何か?それはおそらく一生変わらない性質のようなもので、DNA。DNAは一卵性ソーセージでさえ違いがある。魂が配列で決められているのであれば、プログラミングと同じと言うことでいいのかな。つまり魂はデータであって、わたしが法の外、文の外で遊びたいと願っていることも、初めから決まっていたことだとしたら、法を無視するこの欲求にも説明がつくはずだ。それと同様に、隣人のあの黒さとわたしに対する興味は、何か根深いところに原因があるような気がしていた。あの塀の奥で隣人は、真っ白な歯を夜空に向けて、輝かせていると考えたら不気味でならなかった。

「わたしの家に封筒が届くなんて、まずないんですけど。誰なんでしょうか」

 隣人の反応はなかった。寝ているのか、それともあえて黙っているのか。わたしはしばらくその場にいて虚空を眺めていたが、封筒のことが気になって階段を降りた。薄暗い部屋では足元が確認できず、手探りで進むと小さなものが転がったり、大きなものが現れたような気がした。法の抜け道を探すことばかり気にして、いま、自分がどの法に囲まれているのかと言うことをあまり気にしていなかったからだろうか、あらゆるフミが散らばっていた。
 文に法をつけるのは、そもそも言葉が記号であり、法がなければ機能を失ってしまうからで、失うことで困ることと言ったら死ぬことだろう。現代ではそうでもなく、言葉を持たずとも生存することは可能だ。現に、わたしがあえて法を外れてしまっても、かろうじてこの文章を読むことはできるのだから。

 暗がりゆえ、手を左右に振り回して電灯を探していると細いヒモが指にかかって天使が消えた。牛の丸みを引っ張り出して、「ジョ」と光が弾ける音がして灯った。アバラヤにも色々種類があるが、このアバラヤは文法の外、フミのガラクタの集積だ。「おん疲れ」をわたしは読んで、表に出て郵便受けを開いて封筒を取り出す。
封筒にはこれといった宛名や消印が書いてなかった。

 ん・・・封筒が届く、宛名も消印も不明。既視感のあるような状況だ。たしかハンガリーがどうとか、そんな話があった気がする。その話も手紙が届くところから始まっていた。結局、その話は始まりそうで終わることもなく、猫がワンっと吠え、犬がニャーと鳴き、クーデターが起きたんだっけ?男が鏡を見つめながらそのまま消えてしまうやつ。
 その他にも『ジョンレノン 対 火星人』では「すばらしい日本の戦争」から手紙が届く。また別の『俺、南進して』では、たしか昔の女から手紙が届いて、男は南進する。そう考えると手紙が届いて始まる物語というのは山ほどあって、この物語も、手紙から何かが始まるのだろうか。わたしは固唾を飲んで封を切った

イントロ

そうだ  うれしいんだ  生きる よろこび  
たとえ  胸の傷がいたんでも

間奏

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きることで 熱いこころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ ◉◉パン◉◉  やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 はてな。この文字列には見覚えがあるが、冒頭に「イントロ」と書いてあるし、「間奏」の文字も確認できる。つまりこれは何かの「歌」ということなのだろうか。わたしはこんな歌知らないし、その目的もまるでわからない。

 これだけだ。ぺら一枚が入ってござい。
 文章の末尾には特徴的な一節がある。

 「◉◉パン◉◉ 」の後に「やさしい君は」とつづくところをみると、人物名であることがわかる。わたしは口をパクパクさせながら考えた。「パン」とは人の名前だろうか。しかし前後に「◉」が付いているところを加味すると、そうでもないかも知れないかも痴れな。「パン」といったら、小麦粉を練って焼きあげる食物のことだろう。歌詞は人生について語っているらしく、どこか幼さを感じさせるが、まぁそうだろうなぁ。テービジョンで流れていても鼻くそを穿りながら聞き流すていどの歌詞。だが、クソガキどもはこれを見て心が震えることだろう。わたしにもそんな時代があったっけな。なんだか口のなかに苦味。
 苦味。風の味のかたみ。と、手紙を読んでいると視線を感じていた。違和感だった。口を開けたまま横目で隣家を見ると、縁側から黒い影がちらちらとしていた。元から黒い隣人だから闇に紛れてアンテナだけが街灯を反射して光っている。気になるのなら声でもかけてくればいいのに、アンコウみたいな奴だ。

 いちいち黒ちくりんを気にするのも煩わしいのでシカトして

 改めて「◉◉パン◉◉」をじっと眺めているうちに、◉が何かを現している図形のようなもののけがしてきた。つまり◉に入るのは文字ではなく、図。わたしはウロウロした。頭のなかのきわの畑を掘り返して、目玉か、乳首か、天狗が出てくるのではないかと考えた。やがて顔を出したのはグラス・・・んん、おそらくこれは俯瞰視点からの絵に違いない。そう考えるとつまり「パン」は食物のパンであるが、これはキリストの象徴であって肉にあたる。そして◉はおのずとキリストの血、ワインということになるだろう。グラスに注がれたワインを上から眺めているのだ。
 これを書いた者はヒントとしてこの文字列を謎解きのように配置したらしい。パンは絵を描くことが下手だったから諦めて文字だけにしたのだろう。そん考えると合点がいく。

 ◉◉パン◉◉=キリスト

「ああーめん キリストさん やさしい君は」

 どうだ、たしからしさの世界は消えた。

 キリストはドMの骨頂。人の罪を背負って贖罪することで使命を果たし神への愛を示した。これは彼にとって間違いなく喜びであったはずだ。よって「そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び」も納得できる。「いけ みんなの夢 まもるため」はまさに十字架を背負い歩く彼ではないか。

 ここまで来て、宗教の勧誘だと察知したわたしはペラ一を両手で握りつぶしてポケットに突っ込んだ。妙な勧誘が最近は流行っているからな。謎解きだと勘違いしたすえ、答えを書き込み郵便受けに投函すると後日「大正解‼︎おめでとうございます‼︎先着三名様にはなんと!無料で聖書を差し上げております!こちらへ氏名、住所、電話番号、銀行口座をお書きのうえ、返送してください」なんてなことを言って、有り金をすべて搾り取られるのだ。口のなかの風も心なしか臭かった。そのまま屋内へ戻ろうと振り返り、振り返りざま、少し気になって隣人を横目で確認した。 
 もちろん隣人は漆黒の元に漆黒であるので存在しないも同然で、運良く光があたることで存在しているアンテナもどき、つまり角と、穢れの長としては無駄に白い歯が煌々と照る者として、縁側で未だチラついていた。「みえてますよ」と声をかけると、例によって「アレ」が響き、ドタバタと家のなかへ、アンコウが消えていった。


 明くる日、例の手紙のことをぼやっと考えてはみたが、思い当たる節はなく、なんだか気分が悪いし、無職で時間がありあまりのわたしは、うえを向いてフミを書くことにした。上を向くのはいいことが書けるような気がするからで、自ずと口も開いてしまう。こうやってフミするときわたしは遠足だ。「いいぞ、やってきたぞ、このまま行け」と勢いで書き連ねる。 

警告 

次に書き連ねたるフミはわたしの遠足であるので、危険この上なく絶対に読まないように。読んで憤まんし固まったら臨終


大陸のドン

 「まともっておやつだよね?」
それもそうな
ケンケンで暮らしやすい愛情に島がないって言われても
バットマンとしては花が足りない
むしろ黄色
当時の風土では、記憶力が他人の脚で角度を決めてたらしいから、
血染めでご飯の友、及び代々の習わしも
ダニエル・ジョンストンのゲップを望遠鏡で眺めているようなもの
Mountain Dewも「鐘」と聞こえる



それから、神輿の正念場で催された花が過ぎていく
比べる気さえ起きない徒競走でおんぶを誘ったのだろう
隣りをケンケンで走っていたトトロが桑の身で口いっぱいにして
「お前はこれから何を読み解く?」
つって、猫バスに乗り込んでそのまま食い逃げの体

血染めで

お前「その腹に詰まってるもんなに?」って聴く暇もなく
八咫烏が醤油浴びて割れていた

 そりゃ、俺のガウス、反転した授業でメイちゃんを解体していました
弁当屋の紅生姜より淡い思いでもあるしよ
ってマチスに説明
てめぇパンフィリウス落としてから目覚めろよ
国際宇宙ステーションの磁石と距離を取りすぎたんだ



「阿漕な少年時代を歌いたくなった」

冷血を読まされた?


「油で書いた手紙もらった」
魔の山でデザインしたのか
「しーっ」

そんな風土と仲良しな場合Facebookが増えていくし
毛筆ぐらいならって油断が紙面を中心に寄せていく


バットマン「日本は青空として良い意味で空」


情熱を燃やすってレベル
もういいよ
ありがとうございました



 これを書いたわたしはオシッコをちびってしまった。書いてるあいだの気持ちよさときたら右に出るものはなく、このためにわたしは生まれて北のですか?そう訊かれました。

 こうやってわたしは遠足から帰ってきては、文の外だな。と、キャッキャと騒ぎわめき散らかした。いつからだろう、ずっとフミをいじり倒して、いやらしい声を聞こうと頑張っているうちに、うちに住んでいたよっちゃんイカやうまい棒を筆頭に、孫悟空、風助、サミュエル・ベケットや岡本太郎、ワーグナーもモナリザも、ラッセンゴレライにジェームスブラウンにエヴァンパーカーだって、汚れなき戦士たちがわたしの家から出ていったのだ。汚れなき戦士たちは複雑なこと、不可解なこと、混在していることが、嫌いだった。純粋で強い魂こそ彼らが求めていた仲間で、わたしのような突然変異はヒーローの仲間にいれてもらえない。だが悲しいかな。わたしだって純粋にフミを求めたのだ。どこから読んでも、だれが読んでも、意味がわからなくても、面白いフミを。しかし全力であたったことで、更に先、もっと先、と先へ先へと進んでしまった。
 人類が共同体をつくり、動物たちが群れをつくり、惑星が星系をなし、それぞれが置かれた場所で、治る場所で、可能な限り他へ向けて調和していくことは、生存戦略として必要なこと。これはどこであっても、なにであっても、ただひとつ逸れて存在し続けることはできないということで、もちろん言葉たちも同じように在った。しかし、わたしの高邁な精神はそれを許さない。 やがて言葉たちはわたしに反抗し、フミとしての役目を終えると、てんでバラバラ、この家を埋め尽くすようになっていった。


 わたしは口をパクパクしたまま横になった。背中の下から「まともっておやつだよね」が膝蹴りを仕掛けてくる。痛い。天井いっぱいに「Mountain Dewも「鐘」と聞こえる」が張り付いていて唾を吐きかけてくるもんだから、衣類はぐっしょりと濡れてしまった。
 ゴミ箱には「バットマンとしては花が足りない」が、タンスの中には「醤油を浴びた八咫烏」が、他にも、たくさん。そして「当時の風土では、記憶力が他人の足で角度を決めていたから」がオナラをする。

「前進しろ、未開の地へ赴け、そして、自由と愛を尊ぶのだ」

 そう言って彼らを育ててきたものの、今ではご覧のように、わたしへの反抗心を剥き出しに攻撃される毎日。しかしわたしは気持ちが良かった。フミを支配することは、セックスをするよりも気持ちがいい。ヤッたあとはもう用済み。わたしはすっかり慣れっこだったが、フミ達が騒ぎ出したときは「うるさいなぁ」と寝ることにしていた。




 口を開けたまま寝てしまったわたしは「Mountain Dewも「鐘」と聞こえる」のヨダレで目を覚ました。あたりは薄暗く、すでに夕刻。隣家よりハンバーぎゅの匂いを感じて、フタバはいるものの飯の友がいないぼっちのわたしは、今日も風をご馳走になろうと、二階へ向かおうとしたところ「日本は青空として良い意味で空」をノックする者が現れた。

「ハーヒフーヘフオォォォイ」見事な二頭身の隣人
「あら、こんばんは」
 隣人が「日本は青空として良い意味で空」を乱暴に閉めるとフミがバラバラと解体され落ちて、隣人の足元に積もる。
 足元のフミを見下ろす隣人「やってますね」
「あぁ、散らかってますがどうぞ」
「俺様はここでいいぞ。おまえのアバラヤに用はない」
「どうされました?」
「昨日、おまえ、手紙よんだんだろ」
「あの、宗教勧誘のペラ一ですか」わたしはポケットからグシャグシャに丸められた手紙を取りだした。
「読んだか」
「ええ」
「どうだった?」
「・・・はい?」

 わたしがすっとぼけた返事をすると、隣人は急に足元にあったフミを両手に掴んで、いきなり、わたしの顔に擦り付けてきた。わたしは両手で隣人の手を掴み、離そうとするが、指先に小さな針を無数に刺されたかのような痛みが走り、痺れが体内に充満していく。指先から首、首から岬、岬から奈落、奈落から大地、大地からフロンティアへ。「」が頬に突き刺さり「日本」が鼻腔を埋め「良い意味」が涙袋を引きちぎった。わたしは痺れと痛みで胃の中から風をもどす。今日はまだ、ハンバーぎゅを舐めていない。隣人はわたしの首の下、二頭身の限界値にいる。「やメレ」と痺れによって狭くなってしまった声帯から、声をふり絞ると、隣人は掴んでいた「」を地面に叩きつけ「もう一度手紙を読むんだ‼︎」と絶叫した。
 石膏で全身を固められてしまったように自由が効かなくなったわたしの体は、そのまま後ろへ卒倒する。上り框に背部を強打し、頭が三段ボックスにあたり、上に載っていた「メイ」ちゃんが落下し、わたしの額に突き刺ささり、そのまま気を失ってしまった。遠のく意識のなか「ハーヒフーヘフオォォォイ」がかすかに聞こえた。

 目を覚ますと白い翼がふわふわと風を送ってきていた。わたしは自分が死んでしまい、天使が現れて風のご馳走をくれているんだ。そう思い、いつものように口をパクパク開閉した。しかし、その翼をよく見ると付け根がやけに黒い。そのうえ優雅に見えた翼も筋張っていて、どちらかというと羽。少し首を上げて、羽の持ち主、おそらく天使、そうであって欲しい者に目を向ける。
 「ふわぁ」っとした。隣人だった。彼は元から翼がついていたかのように、自在に羽を操っている。よく考えてみれば彼は2本の角も付いているし、歯だってこの世のものとは思えない噛み合わせ。井口も真っ青のギザギザだ。
 まるで悪魔のよう・・・・ハッとした。彼は「もう一度手紙を読むんだ‼︎」と絶叫していた、あの手紙はキリスト讃歌の歌詞。つまり、彼は悪魔のふりをしてキリストを信仰しないと不幸が起きるぞ、というメッセージを伝え、入信させるように仕向けてきている。つまり新興宗教の手先ということだ。

 「あなたカルトなの?いったいどうして」

「そうだな。確かに俺様は神を信仰しいる。あいつがいないと俺様は生きている意味がない。あいつは自分の身を削り、他者に分け与え、その意思を人々に伝えているんだ。たしかに神に違いない。そういうお前だって、神の肉を分け与えられていた本人じゃないのか」

 そういうと隣人は、壁に張り付いていたフミ「誤魔化しの侘しさこと織田信長」を手にとった。いつどこで生まれたのかもわからない、ヤリ捨てられたフミ。

「いつからだ。おまえがフミをぞんざいに扱うようになったのは」
隣人の目から白目が消える。

「そんなこと、覚えてませんよ。それに、わたしはフミをぞんざいに扱っている訳ではありません。探究とは、気の遠くなるような試みです。何度も立ち向かい、挫けずに向き合う。その過程で生まれる痛みなど大したことではありません」

「ほんとうか?おまえはいつから書くようになった?そもそも、なぜ書いているんだ」

そういうと隣人は床に落ちていたペラ一を拾いあげ、わたしに
「もう一度読んでみろ」と言った。

そうだ  うれしいんだ  生きる よろこび  
たとえ  胸の傷がいたんでも

間奏

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きることで 熱いこころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ ◉◉パン◉◉  やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため 


わたしはもう一度読んでみた。
やはりキリスト讃歌だ。わたしが遠足に行くことと、なんの関係もない。

「わたしにはわかりませんね。あなたが何を言いたいのか」

隣人の黒目が大きくなり、顔面を覆い尽くす。

「たしかに、おまえはまだ幼かったからな。わからないのも仕方がない。神はその当時からずっとおまえのそばにいた。そして自らの顔をちぎり、お前に分け与え、その意味を伝えた。神はずっとニコニコしていたぞ。おまえが夢中になって絵を描いて、喜んでいたからな。しかし、今のおまえのそばに神はいない。フミをぞんざいに扱うようになってから、あいつはおまえの元から去ってしまった。それからというものおまえは風ばかり口にしている。ただ流されて形ないままに、おまえのものではない喜びを自分のものだと考えて」 

 わたしは思わず口に手をやった。だらしなく広がった唇、口内からは異臭がする。身を起こして座り直す。流血が衣服を染めていく。

 隣人は立ったままこちらを見つめていた。わたしの言葉を待っているのだ。わたしは幼い頃を思い返してみた。たしかに幼い頃、絵を描くのが好きだった。幼馴染が活発に遊ぶなか、わたしは一人でお絵描きをしていた。そばにはいつも保育園の先生がいて、泣き虫なわたしを慰めていた。絵を描いていればすべてを忘れられた。

「いつからですか、その神様とやらがいなくなったのは」

「自分で考えるんだな」

 そういうと隣人は、踵を返し出ていった。後ろから見ると、背中についた羽は小さく目立たないものだった。


 彼が去ったあと、顔に刺さっていた「日」や「空」「メイ」を抜き。わたしは衣服を着替え、散らばったフミを片付けることにした。隣人から言われた言葉が思考のうえに纏わりつき、考えることが難しかった。散らばったフミたちは静かだった。わたしが肩を落とすのを待っていたかのように、何もなかった。
 とにかくフミたちをまとめて、ゴミ袋に入れていった。またたくまにいくつもの袋が並んでいく。片付けながら隣人の言葉を反芻した。「いつから書くようになった」いつから書くようになった?「なぜ書いているんだ」なぜ書いているんだ?
 頭のなかに詰まっていたこれから表に出ようとしていたフミたちが、正確な言葉や思考の邪魔をして記憶を辿ることができない。それでもどんどん片付けた。あらゆる所に張り付いて、この家を覆い尽くしていたフミたちを、剥がしては捨て、剥がしては捨て、埋もれてしまった言葉の底にあるものを見つけようとした。
 テーブルを覆っていたフミ「出来ればの家を建てたのが思いの丈」を剥がすと、その下、テーブルの表面に薄く小さな文字で書かれた文章が見えた。「今日から・・・」だけが見えて、何か続きがあるようだが、他のフミで隠れている。わたしは両手を使って、勢いよく残っていたフミを剥ぎ取っていった。その下にあったのは赤いリングバインダーを開いた状態のルーズリーフだった。


2004年12月17日 今日から日記を書くことにしました・・・

この文章を読むと、少しづつ頭の霞が晴れていった。
わたしの字であることは間違いない。それに見覚えのある、スクラップブックのような外観。

 わたしは当時二十一歳。絵が好きだから、という理由でグラフィックデザイナーの専門学校に進学し、わずか半年で中退した。それからというもの絵を描くことができなくななった。絵を描けなくなった代わりにバンド活動を始めた。しかしなにか物足りない。当時はまだ、まともに本を読んだことがなかった。ある日、バンドメンバーと行った古本屋で、偶然出会った梶井基次郎の「檸檬」を読んで感銘を受け、小説を読み漁るようになった。
 その影響もあり、当時苦しみのなかにいたわたしは、その思いをぶつけるためだけに日記を書き始めたのだ。バインダーの表面はバンドのステッカーや雑誌から切り抜いたイラストや写真でコラージュされていて、フミの下で経過した時間により、所々剥落している。
 日記は2004年12月から2011年6月まで続いていた。後のページは詩で覆い尽くされていた。その歪で異様な姿形は黒歴史ノートそのものだった。

 その日、1日に感じたこと、考えたこと、悔しかったこと、悲しかったこと、恨んでいるもの、愛しているもの、忘れたいもの、覚えておきたいもの、思いつく限りのことが、隙間なく文字で埋め尽くされ、一日の日記に一ページ使っている状態だった。
 わたしが書いたとは思えない、拙く、愚直で、まっすぐな文章は、読んでいて恥ずかしくなるものだった。しかし、確かにそこには衒いのない本当の文章と言葉があった。例の讃美歌が聞こえてくる。

なんのために 生まれて  なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!

 それを問いただすように日記は続いている。生きることに意味など無いと気づいてから、わたしは「生」について考えることがなくなった。

今を生きることで 熱いこころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

 わたしにとって書くことは生きることだった。
 サルトルも言っていたはずだ。

 だが、いまはどうだ。たった1000文字を書くのに丸一日かかってしまう。これではダメ、あれでもダメ、もっといい言葉を、もっと意味のある言葉を、そうこだわり続けたことで綻びが生じ、書くことさえまともにできなくなったでは無いか。いったいわたしは何を書いているんだ。

 そう自問自答していると、開いていた日記の文字が蠕動を始めた。文字のひとつひとつが連なり、ノートから浮かびあがり、飛び出した。するとゴミ袋に捨てられたフミたちの字も日記の文字に合流し、旋回し、とぐろを巻き、赤と黄色の衣服に包まれて、やがて人の姿が現れる。

「ボクだよ!!アンパンマンさ!!」

 その懐かしい声を聞いたわたしの目からは、茫漠たる涙が瀑布のように溢れ出した。

「あぁああ、愛しいおかた・・」

 そうだ。わたしは幼き頃、アンパンマンが大好きだった。アンパンマンを抱いて毎晩泣きながら眠ったものだ。絵を描くときも、必ず彼がそばにいた。わたしの家から出ていった多くのヒーロー達。その一人が彼だった。

「どうしたの?昔みたいに、また泣いているねぇ」

「うぅぅ、これで、ヒッ、これでいいんです」

「そうかーボクのこと、やっと思い出してくれたんだねぇ」

 わたしは詩を書くようになった頃から、そばにあるのはいつも哲学書か、無頼派の本だった。彼のアンパンを食べることで、燃えるこころと書く喜びを得ていたはずが、彼がいなくなり、血肉も失い、どこから流れてきたのかもわからないような風を食べ、腹を空かし、いつしかすべての法から逃げることでしか、存在を証明できなくなった。それはやがて快楽のみとなり、フミ達を痛めつけ、ヤリ逃げする下衆に成り下がった。

「ほんとうにごめんなさい。ぼくは何かを勘違いしていたようです」

「いいんだよ。ほら、これをお食べ」

 そういうと、アンパンマンは自らの顔を引きちぎり、わたしに渡す。彼の血肉を頬張ってみたが、味がしない。それはそうだ。いま、目の前にいるアンパンマンは、わたしの過去が作り出したものだから。

「どうだい?おいしいかい?」

「ごめんなさい。あじがしません」

「そうだろうね。もうボクは君のもとにはいないんだから」

「ドドドドど、どどどうしたら、ボクの元に戻ってきてくれますか」

「もう戻ることはできないんだよ。僕はいま、他の子供達に顔をあげてるんだ。君はもう充分強くなったから大丈夫。でも、どうしても会いたいんだったら、いつか探しにおいで」

 わたしは涙を拭いた。いずれまた会えることだろう。薄れ行くアンパンマンに手を振っていると「ハーヒフーヘフオォォォイ」とバイキンマンが掛けてきた。彼も嬉しいのか、小さな羽を高速で動かしている。

「アンパンマン、待ちくたびれたゾォぉぉ。今日こそは・・・・」

「ああぁーんぱぁーーんちっ」

「ばいばいきーーーん」

隣人は空に吸い込まれるように消えてしまった。

アンパンマンも、フミや言葉と共に、隣人を殴り飛ばしてから消えた。

わたしは、フタバ社「御飯の友」を白飯にかけて腹一杯かきこんで、明日への希望を見出していた。





この物語はフィクションです

いいなと思ったら応援しよう!