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思い込みから脱する快感。
先日、カヤジャムを作ったときのこと。
400mlのココナッツミルクに卵を5個。砂糖、パンダンリーフのしぼり汁も加えたら、湯煎で70度ぐらいに温めて、ゆっくり火をいれる。40分ほど経過すると、全体がもたっと硬くなるので、できあがり。
アジアの街角にいるような甘い香りに、パンダンの淡い緑がやさしげ。よい感じにできあがったカヤジャムを見ながら、頭に浮かんだ言葉はこれだ。なんか、量がすくないっ!
もちろん目に見えて少いわけじゃない。煮つめて多少は減ったかもしれないが、正確には材料の量そのままだ。そのことに、わたしの脳はムムッと戸惑ったのだ。
魔法じゃあるまいし、水分を加えない調理法で、できあがりが増えるはずがない。それなのに、カヤジャムを作る前は、もっと多い完成像を勝手にイメージしていた。
そういえば。先日、NHKの「あさイチ」で、いちごジャムを作っているのを見た。いちごを半分にカットし、グラニュー糖とレモン汁をまぶして15分ほど置く。すると、じわっと水分が自然に出てくるので、その水分も一緒に鍋に入れ、煮つめたら完成。もちろん水は加えない。できあがったいちごジャムは、素晴らしくおいしそうだった。うん、これはもはや、ジャムというより、やわらかいいちごやね。大さじ2杯ぐらいなめたら、余裕でいちご6個をパクついたことになるだろう。
そうだよね~。スーパーで販売されているよさげなジャム。いつも高級だな、と思っていたけど、あたり前なのだ。 だって素材そのものだもの。それに瓶代、人件費など、そんなもろもろもかかっている。
あたり前のことしか書いてません。でも、あたり前なことに、ハッと気づくことがある。そのことを伝えたくてたまりませんでした。
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カヤジャムとバターをサンドしたカヤトースト。それを半熟卵に浸して食べるのが、マレーシアの定番の朝食スタイル。いいのよ、これが。