私、本当はバカなの?【1】
それは物心ついた頃から、幾度となく私の心に沸き上がってくる疑念。
最初の記憶は、幼稚園年長の時。
太鼓橋のテストの日のことだ。
今は自由保育を採用している幼稚園だが、私が通っている頃は一斉保育、つまり学校の授業のように、クラスの全員が同じ時間に与えられた課題をこなすという形式がとられていた。
週に何度か同じ課題に取り組んだ後、最終日にその課題の評価テストが行われるのだ。
最近あんまり見かけない気がするが、太鼓橋とはハシゴが半円状になって両端が地面に刺さってるアレだ。
端から登って、頂点まで来たら向きを変えて、後ろ向きに降りてくる。
当時から高所恐怖があった私は、この太鼓橋が大の苦手だった。
頂点までは行けるが、そこで向きを変えるのがどうしても恐ろしくてできなかったのだ。
課題はハシゴの横棒の掴み方から始まり、初日は四段目まで登る、二回目は上まで、三回目には上で向きを変えるといった具合に、段階を踏んで指導される。
だから私はおそらく三回目でつまずいて、先に進めなかったであろう。
しかし、その途中経過の記憶は残っていない。
覚えているのは、あのテストの日のことだけだ。
名簿順に一人ずつ太鼓橋を登って降りる。
先生はボードを片手に出来具合を点数にして書き込んでいく。
まさにテストだ。
今思うと全然幼稚園らしくない。
私はテストが始まる前に、先生のところへ行き、出来ないからやりませんと申し出た。
イヤな幼稚園児だ。
先生は、途中まででもいいからやりなさいと答えた。
ド正論。
しかし私は更に続けた。
やり方は違うけど、向こう側までは行けます、と。
先生は私の言う意味をはかりかねて、ちょっと戸惑った様子だったが、じゃあみんなが終わったら見せてと言ってくれた。
私はひとり、体操座りで他のみんなが終わるのを待った。
全員がクリア出来ていたように記憶しているが、そこは本当の記憶かどうか曖昧だ。
進行が上手く行かなかったのか、テストは昼食の時間にやや食い込んでしまい、テストを終えたクラスメイトたちは、上靴に履き替えて教室に戻るようにと言われ、私は日の高くなった初夏の園庭に、先生と二人きりになった。
「じゃあやってみて」
言われて私は太鼓橋の下側で雲梯をやって見せた。
園の太鼓橋は、遊具としてはごく普通のサイズだったので、雲梯として使うには圧倒的に横棒の数も距離も足りなかったし、その形状の都合で、真ん中辺りは一応ぶら下がった感じにはなるものの、始めも終わりも足は地面についている状態だ。
これはテストに見合う難易度なのかという一抹の不安はあったものの、方法はどうあれ『向こうの端までたどり着く』ということが、私はこのテストの最重要事項なのだと思っていたのだ。
私は多分ドヤ顔で振り返った。
先生はポカンとして私を見つめた。
私は先生のその顔を見て、自分の行為は全くの的外れだったことを瞬時に悟った。
課題の段階のどこまで到達できているかをチェックするのがこのテストの目的なのだから、上までは行ける、向きは変えられない、そのままスタート地点に引き返してくる、という私の現状を見せればそれでよかったのだ。
先生はそれを見て、50点だか30点だかの点数を書き込む。
ただそれだけのことだった。
なのに、今私がわざわざ時間を取ってまで披露した無様な曲芸は、一体なんだったのか。
死ぬ程恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
先生の沈黙が、永遠に思えた。
その後先生が何を言ったのか、テストはどういう評価になったのか、その記憶は残っていない。
とにかくあの激しい羞恥だけが、強烈に脳裏に焼きついている。
こんな調子で、自分が今求められていることが何なのかを理解し損ねて、頓珍漢なことをする事例が、私はかなり人より多いと感じる。
そしてその度にあの疑念がやってくる。
もしかして私、本当はバカなの?
誰にも尋ねたことがないので、回答は得られていない。
私自身も、結論には至っていない。
でも多分。
ね。