1995年4月、ピカピカの1年生になる予定だった私は1995年1月16日にランドセルを買ってもらった
その頃では珍しい赤色のランドセルではなく「ワインレッドのランドセル」
他の子とは被ることのないカラーをいくつも試して喜んで決め、胸に抱きしめ帰った
心地よい状態のまま眠りにつき、頭に物がぶつかった衝撃で起きたとき、目に入ったのは父が必死で頭もとに並んでいる大きなタンスを抑えている姿だった
その原因は1995年1月17日午前5時46分に起こった阪神淡路大震災
頭にぶつかったのは昨日買ってもらった箱に入ったままのランドセルだった
それと同時に揺れている?いろんなものが落ちてくる?タンスが前にきてる?なんか部屋がぐちゃぐちゃ、なんで?
今までの経験ではなかったことが同時にいろいろ起こりすぎて「?」しか浮かばなかった
一つ部屋をあけて寝ていた祖父に声を掛ける母に祖父が答え無事を確認した
祖父の部屋に行き、小さな窓の外から赤黒い光が揺れていた
我が家は半壊で終えたが、周りの家は下町で木造で古く隣のマンション以外潰れ、火災もいたるところで起こっていたそうだ
外に出るため2階から階段を下りるのも一苦労
町の電気屋をしていた我が家は1階の半分が店舗だったため、商品の大型テレビやラジオが落ちかけていたり、蛍光灯の類はすべて割れていたのではないかと思う程ガラスだらけの床だった
店では父の趣味で熱帯魚を買っていたが、そのきれいな熱帯魚たちも床におち水がなく口をパクパクさせていた
その上を通る時「ごめんね」と声を掛けながら通った
店だったので玄関ではなく、シャッターが入り口だった
シャッターの真ん中が揺れで曲がってしまい、どうやってもシャッターが上がらない
父が何度も蹴り、外からもシャッターが上がらないことに気づいてくれた人が必死に開けようと手伝ってくれ、人ひとりがなんとか通れる隙間ができ外に出た
するとまた驚きが待っていた
目の前にあった幼稚園の園舎がなんの遮りもなくきれいに見えていた
いつもは中を隠していた2m近い大きなグレーの塗り壁は、50mほどの長さ分が地震ですべて歩道に将棋の駒のように倒れていた
その間も地震で揺れる
いつの間にか幼稚園の園庭に車を回していた母に車の中で2歳になったばかりの弟と待っているように言われて待っていた
園庭にどんどん人が増えてくる
でも父も母も帰ってこない、なにが起こっている
すると今度は親戚の家にすぐに迎えに行くから先に行っておくように言われる
父がバイクで送ってくれるからと言われ、パジャマの上にあるだけの服を着せられ紐で父に括り付けられ、バイクに乗り親戚の家に向かった
道が道でなくなっていた
アスファルトが割れゴツゴツな地面をいろいろ避けながら走るバイクの後ろで、子どもながらにまたお父さんにすぐ会えるの?あそこに居るお母さんもおじいちゃんも大丈夫なの?と考えていた
そして親戚の家で当分の間、私と弟だけがここで暮らし、父と母と祖父は家を片づけないといけないから来れないと言われ大泣きした
服を寒くないようにと何重にも着せられ、親戚の家はあったかく大泣きして吐いたほどだ
その泣いた自分の声も、吐いた状態も、まみ何枚服着てるの⁉と叔母に驚かれた声や表情も今でも覚えている
とまだまだ書ける記憶はたくさんあるのだが
30年後の2025年1月16日は息子の参観日で小学校に行った
神戸市で震災後育った人なら誰もが歌えるであろう「しあわせはこべるように」を子どもたちの声で聞かせてもらい、胸が熱くなった
30年前は同じように子どもだった私たちから、我が子たちにもこの歌が受け継がれている
子どもたちの声はしあわせを運んでくれるんだと実感した
30年前のあの時、学校のプレハブに住む方たちが歌を聞き涙を流していた意味が少しわかる気がする
30年の節目に防災リュックをしっかり、子ども達と見直そう
そしていつ何が起こるかわからないからこそ
自分の思いは言葉にして大切な人に届けるよう伝えていきます
30年後の今日は1月17日は小さなお子さんとママさんへ絵本の魅力をお届けしてきます
こんなことをさせてもらえる人生を歩いているとは6歳のあの時の私は知る由もないことだ
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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