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「母の日」の由来、日本で広まったきっかけは?

皆さま、こんにちは✨
オトシネマ広報室の音々です♫

GWはいかがお過ごしでしょうか?
1週間後にはいよいよ「母の日」がやってきますね💕

オトシネマでは、本日より5/8まで「母の日」特集企画として、お母様へ向けて実際に綴られたお手紙を、プロの声優やAI音声合成技術によって読み上げる(代読)「Mother's Dayボイスレター」を配信させて頂きます💌

昨日この企画を発表すると共に、母の日が始まった由来や日本で広まったきっかけについて、AI音声合成のコンテンツで紹介したのですが、こちらのnoteにも文章で掲載させて頂きたいと思います✏️

※母の日の由来について紹介する音声コンテンツは以下より↓↓↓

※お母様へ向けて実際に綴られたお手紙を読み上げる「Mother's Dayボイスレター」はコチラから↓↓↓

母の日の起源

今でこそ日本では、広く知られる「母の日」の習慣。この「母の日」の起源については諸説あるのですが、一般的に広く知られるのはアメリカから伝わったというお話です。

かつてアメリカは、1860年代に南北戦争という内戦が行われていました。
当時、ウェストヴァージニア州は北軍と南軍が駐屯する場所で、衛生環境が悪く、怪我人や病人も多い状態でした。そこで立ち上がったのがアン・ジャービスという女性。

彼女は「母の仕事の日」(マザーズワークデイ)というボランティア団体を結成し、衛生環境を整え、敵、味方、関係なく、病気やケガをしている人々に手を差し伸べ、救いました。

アン・ジャービスは南北戦争終結後も、医療補助活動や平和活動、そして子どもたちへの教育活動などを行い続けました。

そして、1905年の5月9日、アン・ジャービスはアンナ・ジャービスという娘を残し、亡くなったのです。

その2年後、娘のアンナ・ジャービスは、亡くなった母親の偉大な活動を後世に残そうと、母が生前、教育活動を行っていた教会にて、記念会を開催しました。

アンナ・ジャービスの母親への想いに共感した人々は、母親の大切さを再認識し、教会へと集いました。 この時、アンナ・ジャービスは母親が好きだった白いカーネーションを全員に配り、亡き母へと手向けました。

これこそが、カーネーションが母の日のシンボル、現代のカーネーションをプレゼントする文化のはじまりになったと言われているのです。

母の日が日本に広まったきっかけは?

では、この「母の日」が日本に広まる事になったきっかけは何だったのでしょうか?

実はこの日本での「母の日」定着の背景には、とある企業の存在が大きかったと言われています。

それはチョコボール」などの人気商品で知られる、お菓子メーカーの森永製菓です。

時は昭和初期。満洲事変を機に、徐々に世の中が軍国主義へと傾いていく時代でした。

そんな状況の中、森永製菓は、全国に、心あたたまる「母の日」の行事を広めようと「森永、母をたたえる会」を作り、関係諸団体に呼びかけた結果、全国規模の「母の日中央委員会」が組織されました。

また、母をたたえる歌の歌詞の懸賞募集を行った結果、いちまんごせん点以上の応募があり、その後、レコード化されたりもしました。

また、昭和12年、母の日中央委員会の協賛を得て、「森永、母の日」の行事を全国規模で展開することになり、第一回「森永、母の日大会」は、5月8日・9日の両日、東京・豊島園の野外ステージを舞台に開催されました。

20万人もの母親を招待して盛大に行なわれたこの催しは、新聞や雑誌に大きく取り上げられ、そのことが、日本に「母の日」を広める大きな力となったそうなんです。

Mother's Dayボイスレター配信

世の中が戦争へと傾いていく中、この一企業が心温まる「母の日」を広めようとしたというのは非常に素敵な話ですね。

私たちもこの「母の日」を盛り上げる為に何か出来る事がないだろうかと考え、思いついたのが、今回の「Mother's Dayボイスレター」の企画です。

先日、この取り組みを始めるにあたって、クラウドソーシングサイトにてお手紙を募集したところ、数時間で物凄い数のお手紙が集まりました。

一通一通の心のこもったお手紙に、非常に心を動かされると共に、お手紙をお寄せくださった皆様に本当に感謝の想いです。

これから5月8日「母の日」本番まで1週間、毎日、実際に綴られたこのお母様へのお手紙を配信していきたいと思います💌

オトシネマの「Mother's Dayボイスレター」どうぞよろしくお願い致します!

(おわり)

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